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自己認識の否定をやめる

もともと夜型で、一日も終盤になってやっと冴えてくる。深夜みんなが寝静まった頃、もそもそと行動し始める。昨年無職だった期間はすっかり昼夜逆転だった。

仕事を始めてからいくらかはリズムが戻ったのだが、最近仕事が激務すぎて明け方まで仕事をしたり徹夜を何度かやってしまって、それからまた夜型が戻ってしまった。

激務が落ち着いても、寝る時間になっても頭が冴えて寝付けない。

眠剤で、暴れる思考を羽交い締めにしてぶっ潰してしまうしかない。

窓の外はどんどん明るくなってきてもあと3時間後には仕事に行かなきゃならない(在宅やけど)という生活を1週間続けていたら、ついにメンタルが崩壊したので昨日はスマホを22時半には切り、眠剤なしで死んだように寝付いた。目が覚めたら朝の4時半だった。いつもやっと寝付く時間だ。たくさん寝たのに目覚めがすこぶる悪かった。この部屋には地縛霊がいて、少なくない頻度で私は眠りを邪魔される。今朝見た夢も、地縛霊が私を怖がらせようと思って見せた夢だ。地縛霊との付き合いは13歳の頃からだから、途中私が実家を出ていた期間を抜いても20年以上になる。このことはまた別の機会に書いてみよう。

ところで、うちは母親がカップラーメンを絶対に食べさせなかったので、今でもコンビニでカップラーメンを選んでいるとエロ本を選んでいるかのような罪悪感があるし、お湯を入れている時もなにかとても悪いことをしているような気分になる。カップラーメンの食べ方も説明をよく読まないとわからない(こんなことでカマトトぶったって仕方ない、ほんとのことだ)。お召し上がりの前に入れてくださいと書いてあったはずの加薬なのに、いざ3分経ったので入れようと思ったら加薬の袋に「お湯を注ぐ前に」と書いてある。またやっちまった。カップラーメンを上手く作れない。え??と思ってもう一度よく読むと「お湯を注ぐ前にフタからお取りください」だった。日本の商品は往々にしてバカ丁寧すぎてかえってまぎらわしい。私はカップラーメンを作るぐらいでキレている。

何年ぶりかに食べるカップラーメンはお湯が多すぎたのか味が薄い。6月にこうして実家の自分の家にいると、34歳の6月に仕事を辞めて、ロンドンの恋人に半年ぶりに会いに行くちょっと前の日々を思い出す。遠くまで会いに行って、上手くいかなくて帰ってくるという馬鹿みたいな経験を2度もしている。友人家族はみな呆れ半分で私のことを嘲笑するが、いつも真剣だった(あ、そうじゃなくて真剣になっちゃいけなかったのか…)。自分を大事にするやり方がわからなかった。今も自信がない。

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自己嫌悪があまりにも酷くて、カウンセラーに相談したのが今年の1月の終わりだった。ほっておくと、自己嫌悪が止まらなくて気が狂いそうだった。無職で暇なこともあって、出口のないどうしようもないことを永遠と考え続けていた。自分の尻尾を追いかけて狭い箱の中でぐるぐる回っているネズミだった。私が酒飲みだったらアル中になっていたかもしれない。

彼女から褒められてもにわかに信じることができなかったのだけれど、頭の回転が速いことや、なんでも平均以上にできるのにできないと強く思い込んでいる、などと言ってくれた。私があまりに自信がないので、励ますために言ってくれているのだとわかっていたが、飲み込めない顔を悟ったのか、彼女は「こういう風に誰かに言われなくてもそれを自分で知っている自分になっていきましょう」と言った。

まず、そのコツとして、「自己認識の否定をやめる」という難しい名前のトレーニングを教えてくれた。どうやるのかというと、自分自身に貼っているネガティブなレッテルをはがして捨てていくというものだった。例えるならば私は、自分というものにベタベタと、ネガティブな言葉が書かれたシールをたくさん貼って生きているということだった。

例えば「どうせできない」「私にはできない」「何もやってこなかった価値のない私」「根無し草」「私がやったところで結果はたかが知れている」「私のやることなどどうしようもない無駄なことだ」「うぬぼれているだけだ」「絶対にうまくいかないようになっている」「すべては無駄に終わる」「結果は出ない」「誰と比べても実は劣っている」「損をしてもいい」「なんでもない人」「からっぽの人」

今、例えで思いついた言葉ですらこんな感じで、かなり醜いレッテルを自分に貼っているのだ(こんな言葉が出てきたのは、自己否定が強かった頃の癖なのか、今でも自分をそう思っているのか、不安になってしまった)カウンセラーは「このシールは、自己防衛なんです」と言った。

それからひとつ注意なのだけれど、自己肯定とも少し違うらしい。自分に否定のシールをたくさん貼ったままの自分を肯定してしまうと、否定をまとったままの自分を肯定してしまうことになるので、まずはいらない自己防衛のシールをはがしていくことが先、ということだった。

自己防衛。自分を守るために身体にシールをたくさん貼って、息もできなくなっていた。こういうシールを貼っておけば挑戦してもどうせうまくいかないことがわかっているのだから、行動しなくてよかった。自分を守るために貼っていたシールに縛られて、自分らしい人生の選択ができなくなっていた。私は行動して失敗するのが怖かったんだ、きっと。自分を信じて行動に起こせないから、他人だけを信じて行動して、何度も失敗した。

カウンセラーから「ふと浮かんだネガティブな自己否定は、気づいたら紙に書いて捨ててください」と言われた。それはシールをはがして捨てる行為とイコールだそうだ。

めんどくさかったけれど、やってみた。何故めんどくさかったかというと、いちいち言葉を紙に書いてその言葉を見るのも嫌だったし、それを捨てるのも紙がもったいないしバカバカしかったしめんどくさかった。こんなことで何が変わるのかとしらけていた。熱血教師に反抗する非行少年みたいだ。

紙に書いて捨てるという行為が自分にはどうしてもバカバカしいことをやっている感がぬぐえなかったので(それから、そういった言葉を目で見てしまうことが本当に嫌だった)、はがしたシールをいちいち見るのをやめる代わりに、カウンセラーの女性が褒めてくれた「頭の回転が速い」ということをまるっと受け入れてみることにした。私は性格がねっとりしていて、一度聞いた話も念のため自分の言葉で言い換えてそれが正しいかどうか確認するぐらい臆病だし、何をするにも人が10分で終わることを30分かけないとできないし、自分を頭の回転が速いと思ったことなど人生で一度もなかった。でも彼女は「あなたは話していてわかるのだけれど、かなり頭の回転が速いですよ」と言った。

カウンセリングを受けてからすぐに、新しい仕事が始まった。心療内科に通いはじめたのと、カウンセリングを受けたのと、新しい仕事が始まったのと、すべてのタイミングが重なったのだ。

自己否定のシールをいちいち眺める代わりに、頭の回転が速い私として生きることにした。書いていて笑ってしまうけれど、これが功を奏したようで、そうやってるうちに「なりたい自分を演じているうちにほんとにそうなっていく」の術を見出した。頭の回転が速く、仕事を素晴らしきスピードでさばき、感じがよく人を爽やかな気分にさせる人。こんな感じ。あー笑える。こんなこと赤裸々に書くと本当に笑えるな!でも、劣等感の塊でずっと生きてきた私にとっては革命的なことなのだ。

演じているうちに、たぶん私の持っているリソースがどんどん引き出されていったのだと思う。職場に根性の腐ったような意地悪な人がいないこと、人間関係に恵まれたことも大きくて、感謝している。在宅という環境が自分にとても合っていたことも相乗効果だったと思う。

これは私独自のやり方だけれど、このやり方が私には合っていたみたいだ。見るだけで悲しくなるようなシールは自然にはがれていったみたいだ(きっとまだ残っているだろうけれど)。仕事を利用して鬱もどっかいったし、長年貼りついてこびりついてたシールもじょじょにはがれつつある。仕事セラピーだ。

自己防衛のシールがはがれるにつれて、やりたかったことが湧いてきている。この感情をふたつ前の記事で「自分の中に火がついた」と表現したのだが、冷え切った灰みたいだった私の中に熱いものがこみあげてきている。(とてもいい記事なのに誰も読まへんから宣伝も兼ねてまた貼っておく)

このトレーニングはまだ始めて三ヶ月ぐらいなので、今後も経過を書いていこうと思うけれど、その必要もないくらいに当たり前に、自分が色眼鏡をはずして歩いていけるようになっていることを願う。

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