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バースデーシンドローム

5月。爽やかな新緑。青い空。そんな12か月で一番綺麗な月に産んでもらっても、私にはやっかいな病気があって、誕生月になると心がドロドロ、モヤモヤしだす。

いい歳して誠に恥ずかしいのだが、誕生日を爽やかな気持ちで迎えることがめちゃめちゃ苦手だ。詳しくはこの「バースデークライシス」という記事に恨みたっぷりに書いてあるので、読んでみて欲しい。

誕生日がらみのサプライズはトラウマ級。サプライズってもんは熟練のプロによって考え抜かれたものしか受け入れられない。たいていのサプライズは杜撰で深く傷つくが、好意からのおこないなので相手に怒れないのもまたタチが悪い(我慢ならなくて怒ったこともある)。サプライズ実行の数か月前から練りに練ったプラン、寸分の穴のない完璧なサプライズが行えるセミプロのような上手な人しかやるべきではない。サプライズの恨みも、上の「バースデークライシス」で詳しく書いているので、読んでみて欲しい。

今日これを書き始めてまた直近の元カレの恨みを晴らす方向に走りそうだったが、やめにした。43歳から私は変わるのだ。元カレは誕生日を記憶しておかない人で、わりと近い関係の人の誕生日もfacebookのお知らせを頼りにしているくらいの意識の低さだったので、とてもとても辛い思いをしたのだが、もうそんな恨み節、書かなくていい。だって私は43歳から変わるのだから。私は変わる!変わるんだ!!

フリーランサー a.k.a. 独身/子なしとしての43歳の自覚

結婚まで考えて6年もつきあってた彼と42歳で破局して私はまたシングルになったわけだが、どうして結婚破談になったのかの理由のひとつに「子供を持つか持たないか」の問題があった。どこかですでに何度か書いたかもしれないが、私は40代に突入した今の今まで積極的に子供を持ちたいと思ったことがなかった。36歳で元カレに出会った。元カレは子供が大好きな人だったし、この人とだったら楽しい家族が作れそうだと思ってたから、自然の流れで子供を持つことになったら全力で愛すぞ、ぐらいに思っていたのだが、彼が自分の国に帰ってしまって、二人の間に物理的にも距離ができてしまってなかなか一緒になれず(元カレとの色々はさんざん過去記事に書いた)、結局40代に突入してしまった上に42歳で卵巣に疾患がみつかり、右の卵巣を摘出したことで私の中で子供を持つという選択肢がないに等しくなり、結局彼も子供を持つことに消極的な私と一緒にいられないと思ったのか、静かに離れていった。

もっとも私は今も、自らの子供を持たない人生の選択になんの後悔もなく、むしろ潔い気持ちでいる。子供が好きではないし、「自分の子供ができたら変わるよ」と何人かの人に言われたけれど(強制的な言い方をされたことはありがたいことに一度もないです)、そんなお試し的な気持ちで産んでみるほどのモチベーションがないし、これもどこかで書いたかもしれないが私は鬱っ気とアトピーを持っている上に高齢出産で、なにかよからぬものを子供に伝染させてしまうのがなにより怖かった。

もともとの子供嫌いと、子供を持つことのこうした恐怖がかけあわさって、今の今まで子供を持つことに積極的になったことは一度もないまま、本当に子供のいない人生をいくことになった。

そんな自分は正直自分のことを中心に考えて生きていればいいので、子育てをしている同世代よりも気楽かもしれない。実際、子育ての大変さを知ると(子育ての大変な話はたくさん聞くが子育ての幸福の話はなぜかたくさん聞かないせいもあって)「よっしゃ、その壮絶な子育てからまぬがれた」という気持ちにさえなる。当たり前だけど、まぬがれたという表現は適切ではない。なぜなら子供を持つか持たないかは自分の選択なのであって、天から降ってくる災害ではないのだから。こういう言葉が出てくる時点で私は子供を持つということに強い恐怖を持っているのだと思う。

その私が一度は「この人とだったら楽しい家族が作れそうだな」とまで思ったのは事実なのだから、私たち(私と元カレ)のタイミングが完全にずれていたのは明確だ。私は年齢的にも交際が始まった早い段階ですでに結婚を意識していたが、彼は結婚に対する意識がなさすぎた。私は早すぎたし、彼は遅いどころか、そもそもその意識がほぼなかったのだ。

42歳でシングルになった今は、子供の面倒を見なくてもいいし(さきほども書いたようにこれは子供を持ちたくなかった私の目線で書いている表現ね)、子育てにかける時間をすべて自分だけにかけられるのは私にとっては幸福だと言える。まだまだ勉強したいことがあるし、キャリアで叶えたいこともあるし、子供がいたら不器用な私にはそれはとても難しいだろうとも思う。

他力でない生き方、自立

相手がいると、期待はつきものだ。他人に期待するなとはよくいうけれど、人間関係に「期待」はつきものだと思う。期待とは役割に対する認識だ。職場での期待、家庭での役割、相手に何を求めているのか。その期待に対する認識が一致していない場合、人間関係は破綻する。これぐらいやってくれて当たり前だろうの「当たり前」の認識をすりあわせることを怠ると、関係にひびが入る。しかし、「暗黙の了解」という概念からうまれるトラブルの存在はやっかいだ。双方の「そんなこと言わなくても当然わかるやろ」の認識がそれぞれ違うということを人間は忘れがちだ。それが他人だった場合は特に、育った環境の違いなどからそういったトラブルはよく起こる。

元カレと出会った時、私はすでに36歳だった。年齢的にも私は結婚を考えていた。元カレはとても家庭的な人で、家族を大切にする人で、また自分の家族を増やすという意識がある人だった。なので、あえて認識の確認はしなかったものの、このまま彼と関係が続けば自然と私も子供を産むことになるだろうと思っていたし、この人がパパだったら楽しい家族が作れそうだなと思っていた。彼が私のことが大好きなことは、日々肌で感じていたから言うまでもなくそうだし、このまま結婚して楽しい家庭を築くのだと思っていた。

私のその認識に大きな間違いはなかったかもしれないが、もし子供を持つなら何歳までには、とか、そのためには結婚を視野にいれなければとか、そのための段取りとかをしっかり話すべきだった。特に私たちの場合は国際結婚になるのだし、日本人同士の結婚よりももっと段取り的なことをしっかりと話さなければならなかったのに、現実的な課題に向き合うことなく、私だけが一人内心で焦っていて、話題を切り出すこともできず、結局土壇場で頓挫してしまった。国際結婚では結婚という形をまずとらないと多くの場合は海外で私は居住することができないのに、彼は結婚という形式的なものに重きを全然置いておらず、そういった形式的な話を嫌った。そんな人と国際結婚という高い壁を乗り越えられるわけがないし、ビザとか手続きの障害の前にパートナーを説き伏せることから始めなければならないなんて、いくら根気強い私も最後には音を上げてしまった。ましてやこの先何十年も続く結婚生活が絶望的に思えてしまった。

誇張じゃなくてこういう高い壁がまぶたの裏に何度も映った

今思えば、小さな認識の違いをいちいち正すのが怖くて、たくさんの違和感を見過ごしていたように思う。私が認識のすりあわせをあえてしてこなかったのは、その結果、「どちらが悪いということではないけれど、私たち違ったみたいだね。さようなら」となってしまうのがとても怖かったのだった。

私が自分の年齢と、この先の人生プランをどう考えているのかを彼にしっかり伝えて彼の意見を聞く、この先のことをどうするかを膝を突き合わせてしっかり話し合うということをしなかったので、結果的に関係は破綻してしまった。彼は「改めての話し合い」というものが嫌いで、それを知っていた私が、あえて彼の嫌いな話し合いの場を作ることを怖がってしまったというほうが正しいかもしれない。私は一人で焦りや孤独や不安を抱えていた。

他人とともに生きるということは、相手のコンセンサスを得ながらやっていかなければならない。しっかりと双方の認識のすりあわせをして、だめなら離れるという潔いことができなかったのは、私が相手に依存していたからだ。相手が私から離れてしまったらとても困るので、関係を繋ぎとめておくことが大事なことだった。そのため、本心をだまして自分を偽りながら関係を続けていた。一人になってしまうと、人生がとても心もとなかったのだ。パートナーがいて初めて完成する人生、のような、他力本願の人生だった。

愛しているから一緒にいるというよりも、パートナーが自分のアイデンティティになってしまっていた。

おかしなルートや寄り道ばかりで人生を順調に来たわけではない私は、パートナーに乗っかって人生をなんとかしてもらおうと思っていた節がずっとあったことを打ち明けなければならない。人生がいよいようまくいかないので、パートナーに人生を劇的に変えてもらおうとずっと思ってきた。相手も自分をだいぶ好きなようなので、それがうまくいくと踏んでいたのだ。

しかしそのことごとくが失敗に終わった今、いよいよ43歳にして現実に向き合うべき時が来た。私自身がしっかりと自分の現実に向き合ってこなかったから、私にしっかりと向き合ってくれる人と出会えなかったのだ。

再びシングルに戻ったことには意味があるのだ。「一人でやってみなさい、一人で人生を完成させてみなさい」という命題をクリアすることが当面の目標だ。嘘は絶対に暴かれる。関係が破綻したのも、自分を誤魔化して築き上げた「真実」のメッキが剥がれただけだ。

私は長年、自分に嘘をついて生きてきた。誰かに捨てられないために。

43歳からは、誰かが私を捨てるという選択をしたとしても、あわてずに一人でも幸せに生きていける生き方をする記念の年にしよう。または、誰かに捨てられるという概念自体を破壊していきたい。

その記念に!毎年の誕生日を自分でプランニングし、自分をおもてなしすることに決めた。セルフ・セレブレーションだ。誕生日の他人に対する期待が強すぎるので悲しくなるので、私は一人なんだ!と割り切って自分一人で楽しんでみようじゃないかと画策している。そもそも、期待できる他人がいるだけでありがたいことだ。図々しいにもほどがある。本音をいえば誕生日は花で囲まれホールのケーキ、シャンペングラス(飲めないけど)が必須なのだけれども、それは、次のパートナーにやってもらおう。もちろん、自分はこういう誕生日にまつわる病気を持っているのでそこんとこよろしくということを相手に伝えコンセンサスを得るのだ。「gotcha」と言ってくれる人に出会えるまでは、一人で自分を楽しく、幸せなほうに持っていける努力をしてみようと思う。

高めのスパでもいこうか?ラグジュアリーホテルで一泊するか?行ってみたかったレストランに行ってみようか?

虚しさはどこからくるのか

子育てに髪振り乱すことなく、稼いだ金はほとんど自分の好きに使えるシングルライフ。しかし足を踏み入れてはならない場所に足を踏み入れ、自爆したのが昨日だった。メガネの度が合わなくなってきたので、地元の大きな駅の近くの眼鏡屋さんに行ったのだった。駅の改札を出ると、見慣れた街の風景なのにどうもカップルが多い。しかもみんなちょっと浮かれている。付き合いたてのカップルもいるだろうし、指輪をしている二人もいる。周りを見回せば、愛し合う二人か家族連ればかりだった。そっか、連休だ。

…あれ、私シングルサイコー!!!って思ってなかった?何このいじけた気持ち?みんな誰かと生きてるのに、私一人だ。メガネの度は合っていないはずなのに、見えなくていいものばかりがどんどん目に入ってくる。眼鏡屋に着くまでに私はすっかり寂しい気持ちになってしまった。おまけに視力を計ったら、度数はそこまで落ちていなかった。なのにどうしてピントが合わないのだろうと思って検査技師に聞いてみたら「老眼ですね」の一言で私はついに立ち上がれなくなってしまった。

シングルは虚しいという社会の価値観に汚されてしまっているだけではないか?本当は気楽でいいやと思っているのに、孤独を感じてしまうのはなぜなのだろう?気楽と引き換えに、孤独を受け入れなければならない。

ゴールデンウイークは一人 de サイゼリヤ

悲しい気持ちにスイッチが入ってしまうと、そこから元気モードに戻すのはけっこう大変だ。このまま真っすぐ家に帰る気持ちにもならず、暗くて重い気持ちをかかえたまま吸い込まれるようにサイゼリヤに入った。私はサイゼリヤが大好きなのだ。サラダにパスタにスープ、アスパラガスにペコリーノチーズを追加で頼んでも2000円でおつりがくるとはどうしたことだろう。しかもすべてが美味しい。それでもやっぱり虚しい気持ちは晴れない。

連休に家族連れが多そうな場所に足を踏み入れても、サイゼリヤで一人、たっぷりペコリーノチーズのポモドーロを心の底から笑顔で食べられるメンタルを育成することが目標だ。誕生日に一人でレストランで自分を祝っても、連休に一人でサイゼリヤでも、無理してる感じがなくなるまで、寂しさに慣れていこうと思う。自分を可哀想と思ってる時点でまだまだ甘い。寂しい。

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