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Middle Age Crisis_3

相変わらず憂鬱な日々を過ごしている。

Middle Age Crisis_1を書いたときの壮絶な落ち込みよりは少し浮上したけれど、それは仕事がだんだん忙しくなったからというだけだ。忙しい間は、余計なことを考える時間を奪われる。

あの病的な落ち込みはやはり鬱の悪化だったと思う。ささいなことをきっかけに鬱の蓋をあけてのぞきこんでしまったら最後だ。

心療内科にはなんとなく行っていない。忙しいのもあるし、「勝手に薬やめちゃダメじゃないか」と言われるに決まってて気が重いし、前からそうだけど、薬で精神状態をコントロールするのにやっぱり抵抗がある(そんなこと言ってないでアトピーも鬱も薬とうまく付き合う病気なんだからってことはわかってはいるんだけど)。

不思議なことに今の自分にぴったりの動画がYouTubeに浮上してくることがよくある。

人は孤独とどう向き合うのか。

このビデオに出てくる人々は私のように孤独とともに生きる人たちだ。

でも私とちがうところは、人生で一度は深く愛し合った相手がいて、人生をその人と一緒に歩いた時間があり、その喪失による孤独なのだ。私は43年生きてきて、私にコミットしてくれる人に出会うことがなかったのだ。でもそれは自己責任なのだ。自分にコミットしてくれない相手に何年も時間をつぎ込んでしまった、自分の判断力のなさなのだ。

愛した人を亡くして孤独な老後を過ごす女性たちを恨めしく眺めている自分が惨めになった。孤独の競争をしてどうするんだろう。バカバカしくなって画面を閉じた。ここに出てくる人たちと同じように、私は孤独な老後を迎えるのだろう。そう思うと塞いでしまった。

私が今孤独なのは、人と繋がってこなかったからというより、繋がり続けられるような相手と出会ってこなかったからだ。

上記文章がドラフトに残っていた。

ドラフトは一か月ぐらい前に書いたものだ。あれから私にまた激務の波が襲い、私の悩みは孤独から「生き方」にうつっていった。

雑用のような仕事の積み重なりが激務を作っている。この雑用は私にとって何の成長にも貴重な経験にもならない。こんな、何の実績にもならないような意味のない雑魚な仕事の積み重ねで激務になっている情けなさ。いや、情けなさを感じるより先に、ただ激しい疲労が心身を襲う。頭痛が続く。ハートアタックで死ぬんじゃないかという不安が襲う。私はなにをしているのだろう。

忙しいという文字は心を亡くすと書くが、ほんとうにそうだ。

自分が本当はどんな人生をのぞんでいたか、とか。身近な人との付き合いを適切にできているか、とか。文字にすると大げさなような、でもとても大事だから見過ごしてはいけないことを考える時間がない。時間が多少あって、余計なことを考えて落ち込むよりは、忙しくなって余計な考えを追い出せるほうが良いと思うが、あまりにも実にならないようなバカバカしいことばかりで一日が過ぎてゆくと、私は何のために生きているのかわからなくなる。

「自分は何をしてどんなふうに生きて行きたかったのか?」

こんなことを人生のあいだに何度考えるだろうか?いい歳をしてと笑われようとも、どんなに歳をとっても、自分の生き方が納得いくものであるかどうか、軌道修正をしてたしかめていたい。でもその時間がない。

自分をおいてけぼりにして、必要でないことばかりに時間をかけている。でも私はこれで飯を食っている。これで家賃を払っている。

2023年が終わろうとしている。とんだ一年だった。転職するにはタイミングが早かったと悔んだ一年だった。自分の意思で、自分のタイミングで転職したけれど、失敗だったと知った年だった。ずっと自分のそばにいると(物理的な距離があったとしても)思っていたダニーロと離れて、本当に自分は一人ぼっちになったんだと実感した一年だった。

溺れながら、ちがうちがう、こんなんじゃないとアップアップしながら、次の場所を探すのだろう。ずっとそうしてきたように。ただ逃げるだけの場所移動じゃだめだ。頭を使って考えないと。

一人だと本当に厳しいので、助け合えるパートナーが欲しい。


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