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雑記・雑念・最近のわたし

病的に怠け者。病的にだるい。頭が重い。側弯症だからいつも左肩がカチカチに凝っている(最近我の推しの防弾少年団ジミンがたぶん私と同じ側弯症で、彼の左肩の服がいつもセクシーにめくれあがって色っぽい肩を見せがちなのは側弯症だからだということを知ってちょっと嬉しい…彼の衣装のシャツがめくれて白い左肩がいつも見えてしまうのは側弯症だからだということもあり、結果それが彼の職業としてのセクシーアピールにも繋がっている不思議な偶然、というわけだ。…なんの話だっけ)。私も側弯症なのでブラ紐やキャミソールの肩紐がいつも左側だけ滑り落ちてしまうのだ。そしていつも左肩が岩のように凝っていて、それにともなって頭の左側が割れるように痛い。

しかしこのダルさと無気力を低気圧のせいにするのならば南イタリアから帰国してからの約一ヶ月ずーーーっと低気圧ってことになる。

すぐに寝っ転がりたくなる。常に横になっていたい。頭を使わないで済むどうでもいい、例えばどうでもいい芸能人のどうでもいい離婚理由の記事とか、そういえばあんな芸能人いたなってふと思い出してその人の今を検索するとか、メルカリとか、ただただボーーーーーーーーーーッとTwitterのタイムラインを追い続けるとか、そんなんで永遠に時間が過ぎていく。視力はガタ落ちである。

コンセントが抜けたままローバッテリーで稼働してる感じ。お風呂なんてエネルギーめちゃ使うので入るまでに相当の覚悟がいる。この真夏でも一日中クーラーギンギンの部屋にいて外出もしないから大汗はかいてないし(それでもかいているのは知識として知っているけど)…とか言って入らない日もある。

風呂に入らないことは運気を落とすという。というか、運気を上げたいならば①部屋掃除➁風呂③模様替え、と複数の記事で読んで、単純な私はここ毎日さぼらずに風呂に入っている。

それに風呂好きな妹に「気分が滅入っててもお風呂入ると切り替わるよ!」とメンタルに関わるアドバイスをもらって、その言葉を励みにしている。

いや、風呂って究極にめんどくさくないですか?今せっかく着ているものを脱がなきゃいけない、頭からずぶ濡れにならなきゃいけない、そのあと毛を乾かさなきゃいけない…もう、そんなエネルギーおましまへん。化粧水に乳液、全身にもクリームをすりこんで。ぐったり。重労働だ。でもお風呂から上がるとほんとに、何かが切り替わるのはわかる。どよーんと背中にしょっていたその日の疲れとか上司の嫌な言葉とかめんどうな同僚の態度とかが、ぜーーーんぶシャワーとともに洗い流される。

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9時半始業の在宅ワークは朝9時に起きて、半分死んだままPCの電源を入れ、「本日の業務を開始します」とメールして、のろのろと台所に食べ物を取りに行く。朝からがっつり丼飯いけちゃう人だったんだが、最近はさすがに朝起きてすぐはたくさん食べられなくなった。仕事用のデスクでシリアルをすくいながらキーボードを叩いている。

在宅ワークは、そして特に広告代理店という職業柄、定時なんてあってないようなものだ。クライアントからのフィードバック待ちで21時をすぎてもまだPCの前にいるなんてザラだ。

やっと仕事に区切りをつけてPCの電源を切ると、なだれこむようにベッドに横になり、そしていつもの「無駄でしかない時間」が無限に続く。気づくと3時間くらい経っている。

もともと根が怠け者なのだが、イタリアから帰ってきてから全てにおいてのやる気がまったくなくなってしまって、どうしたもんかと思っている。しつこいけれど義妹とのこと、それから、いよいよ決着をつけなきゃならない彼氏とのこと。いろんなことが決定的になってしまって、でも決める力もなくて、放棄し続けていること自体がストレスとネックになってしまってる感じだ。

イタリアへ行く前までの6月、7月あたりは趣味のダンスをまた習い始めたり、韓国語を勉強し始めたり、自分の中のエンジンが稼働し始めて勢いついてた感じだったんだけど、あの一週間のイタリア滞在で流れがストップしてしまった感じだ。…ただ単に自分の怠惰に理由をつけたくて、それをイタリアのせいにしているだけかもしれないけれど。

義妹とのことはいまだにショック状態で、引きずってしまっている。「取るに足らない人」と思われたことは、思いのほか私からエネルギーを奪った。無力感、無価値感。すべての可能性を無にしてしまうような自己否定。

忘れかけてたそんなものに、また取りつかれてしまって動けない。そんな機運が災いしてか、ずっと順調だった仕事も波立っている。職場にトラブルメーカーが入社してきて、私が入社して以来積み重ねてきた取引先のある人との信頼をぶっ壊してくれるようなとんだ事件があったりして、事故に巻き込まれたような私はまた一から信用を取り戻さなければならず、神経を削っている。

義妹とのあの出来事を、自分の中でまだ咀嚼できていない。

彼女は言うだけ言ってあとはキレイさっぱり忘れてしまう、人との摩擦をストレスに感じないタイプなのだと思い込もうとしたけれどそれはちがう。私のことを虫けらくらいにしか思ってないから、私とうまくいかなかろうと、私の感情などお構いなしなのだ。

時間が経つにつれて、彼女に対する怒りや腑に落ちない理不尽な思い、晴れない気持ちがどんどんこそぎ落とされていて自分の感情の芯が見えてきた。愛のない場所にいた自分が悲しかったのだ。愛のない人の愛のない態度にさらされたこと、そしてそんな目に遭っている自分という惨めさ。

義妹とのことはつくづく、昔いじめられていた時と同じような感情を呼び起こした。愛のない人と接すると、惨めさを感じる。そんな目に遭っている自分が惨めになる。

悪意、敵意、邪な念などを跳ね返す強さが欲しいと思う。跳ね返す力がないから嵐に巻き込まれるのか。嵐は一夜で去って、めちゃくちゃになった自分の領地にへたりこんでいるような感じだ。少しづつ片づけて、またコツコツと「元気な私」「調子の良い私」を取り戻していこうと思う。

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