見出し画像

硝子レンズは無色透明 2

2024/03/10 ビッグサイトにて開催されるJ.GARDENで発行予定。
オリジナルBL小説「硝子レンズは無色透明」の進捗を公開しています。

プライベッタープラスに掲載しているのとほぼ同じ内容。

テーマは「メガネ」
今回のJ.GARDENの特設ジャンル「メガネ」に合わせて絶賛執筆中です。

~あらすじ~
眼鏡工房で働くアンリは、金持ちから搾り取ることが生き甲斐と言って憚らない。
ある日、ブルジョワの放蕩息子として有名なジャンから眼鏡の注文が入る。
お金のためにと屋敷に通い詰めるうちに、アンリは少しずつジャンに惹かれていったが、ジャンが黒魔術師ではないかと疑われ始めて……

1をまだお読みでない方は、こちらからどうぞ。


「ジャン様がお持ちの他の眼鏡と、違った雰囲気のものがよろしいでしょうか。それとも、気に入りの品があれば近いものもお作りできますが」
「もちろん、新しいのが欲しい」
 ジャンはアンリの言葉を遮る勢いで言った。
「同じようなものじゃつまらないだろ。新しい方が絶対いいよ」
 浮かべられた満面の笑みはアンリの予想通りだった。
 こういった言動から、放蕩者の噂がたったのだろう。彼は無類の新しいもの好き。好奇心、探究心を隠すことなく、音楽でも学説でも、恋人でも眼鏡でも、欲しいと思えば手に入れてきたのだ。
「そうおっしゃると思っていました」
 アンリが不遜な笑みを返すと、ジャンは満足げに頷いた。
 商談の滑り出しは上々。
 彼のような景気の良い客は大歓迎だ。金払いだけではない。その金で、アンリたちに新しいものを作らせてくれる。
「必ずやご満足のいく、新しい眼鏡を。一緒に作らせてください」
 アンリもまた、最新の技術や意匠というものが大好きなのだ。

 二度目の訪問ではフレームの試作品を持参した。
 ジャンはとても協力的で、かつ、自分の好みをはっきりと分かりやすく伝えてくれるので、デザインの方向性はすぐに固まった。

 アンリは心に決めていた。
 噂の若様を工房の得意様にすると。そのために、時間と手間を惜しまないと。

「いかがでしょうか」
 アンリはさっさと試作品を取り出した。
 恭しく装飾した箱から出す方が喜ぶ客もいるが、ジャンは好まないだろうことはすでに分かっていた。彼は快楽主義者のように見えて、かなりの合理主義者だろう。
 客の好みの把握。商売の基本中の基本だ。
「わあ、すごい。ラコルデールの職人は早業だね」
「とりあえず三本作ってみました」
 ジャンの希望は、最新のつる式であること。なるべくフレームが細く、軽いこと。レンズは楕円。装飾は小さく、かつ、サン・ラヴァンドゥの伝統を感じさせるもの。
 最後の注文は意外だったが、面白かった。
 聞けば、家で本を読むだけでなく、家業である学問の場にジャンも度々顔を出すそうだ。噂より真面目に仕事をしているらしい。
派手すぎず、でも新しい眼鏡を周囲に見せびらかしたい。ジャンはそんな無邪気な欲望を、素直にアンリに伝えたのだ。
 腕が鳴るというものだ。
「三本の違いは、主につる部分の装飾です。それに合わせてレンズフレームの形も少し変えてあります」
「これがいい」
 ジャンは他の二本には見向きもせずに、手前の一本を取り上げて自分の顔にかけた。
「一番繊細で、一番職人泣かせなのを選ばれましたね」
「だって一番綺麗じゃないか。これがいい。これにしよう」
 アカンサスの葉をモチーフにした曲線的な紋様。
 極めて一般的な意匠だが、小指の爪の幅より細いつるを中心に、不規則に上下に突き出すアカンサスの葉のギザギザはかなり目立つ。古典紋様を大胆にあしらう、貴婦人のドレスのような華やかさだ。
 ジャンは鏡を覗き込み、何度も角度を変えてフレームの顔写りを確認した。
「レンズフレームはもう少し大きくできないかな?」
「もちろん、できますが」
「なんかさ。この、鼻の上に乗ってるーって感じ、ダサいと思わない? 正面から見た時に、フレームの中にちゃんと目が入ってるようにしたいんだよね」
 本当に変わったことを言う客だ。
 読書用の眼鏡はレンズが小さく、鼻の先の方に乗せるので、正面から見るとレンズの中に目が入って見えない。手元を見るのに不便はないはずだが。
 こんな注文を受けたのは初めてだ。
「失礼いたします」
 アンリはジャンの真横に立ち、試作品と彼の顔を覗き込む。アンリが見やすいよう、ジャンは体勢を変えて顔をこちらに向けてくれた。
 試作品といえど、素材は商品と変わらない。仮のレンズも入っているし、装飾部分は銀細工にメッキ加工も施してある。
 金属製品の装飾といえば金に決まっていた。色の指定はなかったが金を選んだのは、彼の健康的な肌の色と、黒髪に合うだろうと思ったからだが……金色のつるの上に、銀細工をそのまま貼り付けても良いかもしれない。正面からは金のフレームに彼の青灰色の瞳が入り、脇から見たら豊かなブルネットの間から銀の葉がのぞくーーやや華美になるものの、全体を細く繊細にまとめることができれば下品にはならないはずだ。
「レンズ全体を大きくするとなると……ブリッジがこのあたり。カーブを狭くして調整してみるか……」
 まっすぐな鼻梁の上に乗った眼鏡のブリッジを、少しだけ上にズリあげる。
「つるの丈もズレるし、バランス変わるな……アカンサスもいじらないと……やっぱ銀にして、フレームの真横はもっと大きく……」
「君に任せるよ」
 声をかけられて、アンリはハッと息を呑んだ。
「すみません、言葉遣いが」
「気にしないで。ボクは貴族じゃないんだから」
 ジャンはじっと顔を差し出したまま、唇の端をしっかりと上げた。笑顔が自然な人だ。アンリの言葉が崩れたことなど本当に気にしていないようだ。
「だからもう少し楽に接してくれないかな」
「堅苦しいのは嫌い……でしたね」
「そう! ボクたち、気が合うと思うんだ。友達になろうよ」
 予期せぬ言葉だった。
「ちょっと照れ臭い言い方をしたね」
「いえ、そんな」
 客から深い仲への発展を匂わせる誘いはあった。そんな時は気付かないふりをして話を逸らすのが一番。もっと迫られるようなら、ウブな反応をして、自分なんか相応しくないとでも言ってやれば、たいてい満足してくれた。本気でねんごろになりたいわけはない。言葉遊びがしたいだけなのだ。
 だが、友達になろうだなんて、そんなことを言われたのは始めてた。だからアンリは真意を掴み損ねた。
 逡巡しているうちに、こそばゆくなった。
 ジャンは率直に、ただそう思ったから、友人であろうと言ったのだろう。ただそれだけなのだ。
「た、確かに、ちょっと照れ臭いですね」
「ね」
 ジャンがはにかむ。白い歯が覗いて、少し大きな前歯が下唇を噛んだ。
「気が合うと、思いますか?」
「思わない?」
 アンリはしばし考え込んだ。
 気が合うとか、合わないとか、日常的に使う言葉だけれども、改めて問われるとそれがどういう状態なのか分からない。
「私は工房の仕事以外は、学もないですし」
「その仕事が好きなんだよ、ボクは。鉱物をどんな配合で溶かし込むかとか。硝子をどのくらいの屈折率で削れるかとか。君とそういう話がしたいんだ」
 それは確かに毎日アンリが考えていることだ。
 ジャンはさらに熱を帯びて言い募る。
「それに細工や溶接の話もしたいな。ネジをどれだけ小さくできるかとか。小さくて頑丈で便利な新しいものを知りたいんだ」
「それは、気が合うかもしれませんね」
そう答えておけばいいだろうという打算はあった。でも本音も混じっていた。
アンリの工房の客はおよそ二種類に分かれる。手仕事や読書用に安価な品を買う庶民か、一から注文して高価な眼鏡を作らせる金持ちか、どちらかだ。
手売りの安物を買う客は、眼鏡がどうやって出来ているのかには関心がない。安くて頑丈なラコルデールの品を喜んでくれるが、それまでだ。
逆に金持ちは最新技術や流行のデザインにこだわるが、アンリと技術談義をしたがる人はいない。せいぜい自分の知識をひけらかしたがるだけで、その話は多くの場合、作っている側のアンリが知っていることばかり。退屈な話に付き合うのも仕事のうちと思うが、帰り道に路地裏で悪態をつくこともしばしばあった。
その点で、ジャンは他とまったく違った。
彼は専門職であるアンリたちが知らない科学技術を教えてくれるし、アンリが工房の様子を話せばもっと聞かせろとせがんだ。
ああ、彼と話すことが自分も楽しいのだと、アンリはようやく気付いたのだった。

 冬の夕焼けが急速に街の熱を奪っていく中、アンリは急ぎ足で工房への帰路についた。
 すっかり話し込んでしまった。
 友達になろうなんてくすぐったい宣言のあとは、製鉄や硝子加工の話で盛り上がった。お茶とお菓子までいただいて、気付いたら外が暗くなっていた。
 工房のドアを開ける頃には、完全に太陽が隠れていた。
「ごめん、パトリック。遅くなった」
 パトリックが小さなランプの下で作業をしていた。他の職人はみんな帰宅した後だ。
「ずいぶん時間かかりましたねえ」
「話が盛り上がっちゃってさ」
 アンリは抱えていた木箱を作業台におろす。
 コンスタンティンの屋敷では、お茶とお菓子まで出されて話し込んでしまった。
「あんまり遅くなると危ないでさあ。最近このあたりも物騒だ」
「俺がそう簡単にやられるかよ」
 アンリは鼻で笑った。腕っぷしには自信がある。
 実際、荷物を狙った輩を二度退治している。腕力だけなら十人並みだが、喧嘩は必ずしも腕力のある方が勝つわけではないのだ。
「いや、強盗とかじゃなくて。路地裏で人が消えるって話があるじゃないですかい」
 人攫いの噂などあっただろうか。
 パトリックは落ち着かない様子で、白い髭を何度も撫でた。
「黒魔術で、異界に攫われるとかって……」
「はあっ?」
 機嫌の悪い声が出た。仕方がない。嫌いなのだ、この類の話が。
「まさか本気にしてるのかよ」
「俺だって信じちゃいやせんよ。魔術なんて」
「そうだよ、馬鹿馬鹿しい。俺は五歳の時だってもう信じてなかった」
 噂は知っている。王の性的倒錯が神の怒りに触れて、王宮の周りは穢れで満ちているのだと。そのせいで黒魔術の呪いが引き起こされていると。
 時代遅れにもほどがある。色々な意味でだ。
 魔術なんかないし、今どきそこまでうるさく性に抗議にするなんて、中央神殿の建前だけだ。宗教警察だって、実際には何も取り締まってはいない。
「得体が知れないってことでしょう? だから気を付けてくだせえよ。若は外出が多いんだから」
「そういうことか」
 物取りなら、人間ごと攫う必要はない。考えられるのは人身売買だが、頻繁に街中で奴隷狩りなどしたら、さすがに警察だって動く。たしかに得体の知れない事件である。
「たしかに、用心はした方がいいよな」
 アンリが頷くと、パトリックはようやくホッとした表情になった。
 彼はアンリが工房に来た時には、すでにここで働いていた。息子のように思ってくれているのだろう。それは分かっていた。
「それで、どうでした? 試作品、気に入ってもらえましたかね」
「予想通り一番キツイいのが採用されたよ。これ」
 木箱を開けてフレームを一本取り出す。土台はパトリックが作り、アカンサスの装飾はアンリが施したのだ。
「明日、前金を持って来てくれるってさ」
「そりゃよかった。もう踏み倒しはこりごりですからね」
 不況が続いていた。
 貴族といえども財産が目減りしているらしい。注文通りの眼鏡を納品したのに代金が支払われないこともあった。
 いくらアンリが金にうるさく、気が強いといっても、貴族への取り立ては難しい。あの手この手を使っても回収しそびれることもあった。つい先日も、宝石を使った重たい婦人用のシザーグラスの代金を、半値しかもらえずに終わったのだ。
「あのクソ豚の紹介客は、全員切ったから安心しな。前金と契約書を嫌がる貧乏貴族とは二度と取引きしねぇよ。やっぱりこれからはブルジョワだな」
 コンスタンティン家が本当の金持ちであることは調べてある。
 現当主、ジャンの祖父がやり手だったようだ。金に困った貴族から土地を買い、その土地の徴税権も買った。役人株も買い取り、市からの手当てもある。本職の学問の方は、食客がいるのでそこまで実入りはないそうだが、それを補うために強かに貴族社会に食い込んでいるのだ。
「これ、もう少しレンズを大きくしてほしいって」
 作業台の上を指差す。
 するとパトリックは試作品のフレームを持ち上げて、灯りの下に翳した。別に点検する必要なんてないのだが、癖なのだろう。眼鏡を持つと明るい場所でよくよく見ないと気が済まないのだ。
「読書用じゃなかったんすか」
「普通の見た目じゃつまんないってさ。顔立ちがどう見えるかを気にされてて、正面から見た時、フレームの中に瞳が入るようにしてほしいって言ってた」
「はあ。そんなこだわりが。洒落者ですねえ」
「それだけじゃないんだよ。ジャン様はさ、金属加工もレンズ構造もすごく詳しいんだ。他じゃ作れない、新しい眼鏡をご所望なんだよ」
 そういう話で盛り上がったのだ。
 レンズの屈折と透明度を保つための研磨の手順を、あれだけ話し合える人に、職人以外で出会ったことはない。
「なんか、若、楽しそうっすね」



よかったらサポートお願いします!