「「小商い」で自由にくらす」(磯木淳寛/イカロス出版社)

二冊の本から見る ”自分でつくる「まち」と「くらし」”

磯木淳寛さんの著書「「小商い」で自由にくらす」(イカロス出版社)と私の著書「マーケットでまちを変える  人が集まる公共空間のつくり方」(学芸出版社)のお話しです。

磯木さんの著書の感想を書こうと思っていたのに、やはり考えがオーバーラップすることろが多く、自分の考えもたくさん書いてしまいました。本の感想を人に公開するのは子どもの頃の読書感想文以来で、読みにくいことろもあると思いますがお付き合い頂ければ。

書評からの出会い

磯木さんの著書「「小商い」で自由にくらす」との出会いは、著書「マーケットでまちを変える」の企画書を書いている時だった。企画書の中で、類書としあがった唯一の本だった。
その磯木さんが書評を書いて下った書評を読んだ時、すごくドキドキした。
嬉しくて何度も読み、読みながら考えた。
(磯木さんが書いて下さった書評はこちらより)
私たちが伝えたいことは、視点が違うけど、すごく似ている。

一緒にお話ししたら、きっと面白いという確信があって、会いに行きたいと連絡を取ることにした。
磯木さんの著書の舞台でもある房総いすみ市で、著書にも登場するカフェでお会いした。
お会いした時に、磯木さんは「どちらの本も読んでほしい」と言っていて、私も全く同じだなぁと思った。
同じ頃、編集者の宮本さんに一緒にイベントしたら面白いのではと提案いただき、それだ!と、トークイベントの企画が始まった。

マーケットは個の集合体

マーケットは個々の店舗が集まることで、全体として大きな変化を生んでいる。まちの景色も機能も。これは大規模建築の設計に携わっていた私がマーケットに魅了された大きな理由である。
個の集合体であるから、場所の個性を反映でき、場所にあった規模に自在に変化することができる。
マーケットの個性はこの個が作り出している。
個々の店舗がマーケットを作っているということは、言い換えるとマーケットは実態がないとも言える。

この個のタイプにはいくつかのタイプがある。
①マーケットで生計を立てることが目的の人
②マーケットだけで生計を立てることはできないが収入が目的の人
③宣伝、ニーズ把握、スタートアップなど収益以外の目的がある人
④おこずかい程度稼ぎたい人
⑤稼ぎではなく楽しみが目的の人

ロンドンでは大半が①、東京では①はほぼおらず、地方の農家や実店舗を持つ方では③が多く、ハンドメイドの作家さんでは④や⑤が多い。地方に行くと、①が少数いて、②、④、⑤が多い。(この辺りの認識は私と磯木さんで少し違うのでトークで話してみたいところでもあります。)
それぞれ目的は違えど、日本のマーケットの特色としてはこれを「好きなこと」でやっている人が多い。

磯木さんが著書の中で注目されているのは、房総いすみ地方で“「好きなことに本気で没頭し、面白がること」が結果的に仕事になった” 小商いのプレイヤーである。彼らはマーケットの運営者であったり、出店者であったりする。私の上記の分類で言うと、①②x「好きなこと」を行うプレイヤーだ。

マーケットの構成要素でもあり、マーケットそのものでもある、この「個」についてしっかり伝えてくれるところがとても面白い。

小商いのプレイヤーとは

磯木さんは小商いを以下のように解説している。

“思いを優先させたものづくりを身の丈サイズで行い、顔の見えるお客さんに商品を直接手渡し、地域の小さな経済圏を活発にしていく”


小商いはどんな人がどうやって行っているのか、個人へのインタビューから伝えてくれる。読みながらその人に直接お会いしているような気分にさせてくれ、調査中にマーケットの運営者や出店者と話しながらドキドキした気持ちを思い出す。

小商いプレイヤーがどういう人物像なのかを説明するな中で、特に気になった記述があった。

 “「今がよけれりゃいい」というヒッピー的人種でもない。”


この記述は、小商い/マーケットのプレーヤーを理解する上ですごく大事である。

マーケットの出店者さんは個性的な方も多いが、ほんとうにぶっ飛んでいるかといえばそうでもない。
自分のやっていることに熱意を持ってやることができているだけなので。
だとしたら、そういう生き方をしたいという人が多いと思うし、できなくはないと思う。

磯木さんの著書の中でGreenz.jp鈴木菜央氏(私と一字違い!)は以下のように言っている。


“誰もが不安を前提に働いているような社会になってしまっているよね。けれど、自分の暮らしを自分で作るという態度で人生を組み立てていくと、もっといろいろな可能性が見えてくると思う”


その通りだと思うし、その可能性を実践している方が増えている。

人が繋がることで、仕事が繋がっていく。

ではなぜ、好きなことで自分のくらしを作る、そんなことが可能なのか。
その理由の一つを信頼で人が繋がり、お互いが紹介し合うと紹介している。仕入れ先の豆腐屋さんが自分のケーキ屋さんを紹介してくれたり、「まちのサイズが小さくて関係性が近いから、協力もしてくれる。」と。また、対面販売でお客さんと仲間との結び付きが強いことが経済的に自立する理由の一つにもあげている。

これは自営業の私には違和感がないし、納得できる。
仕事はご縁ですることがほとんどだ。関係性で仕事をしているし、関係性の中でしか仕事をしていない。

商いにもどると、地方では商いをやっているもの同士の繋がりはより強いだろう。一方で、都市においても出店者とお客さんの関係性では似た様なことがいえる。例えば、定期開催しているマーケットでは雨の日ほど常連さんが来てくれ、いつもよりたくさん買って行く、という話は何度か聞いたことがある。
きっと出店者側も嬉しくて、そして売れ残っても仕方ないので、いつも以上におまけをしたりするのだろう。
出店者と運営者の関係では、冬、寒くて他の出店者が出たくないと思う頃に出るようにしているという出店者もいた。
こうやって、関係性が担保する仕事であり、関係性が成立することろがマーケットの面白さだ。
「ここでしかできない商い」なのだ。
磯木さんも私もこういう関係性や面白い人に魅了されているのではないかと思う。

地方と都市

磯木さんの著書では房総いすみ地方という地方が、私の著書では東京とロンドンという都市が舞台である。
地方と都市でマーケットはそんなに違うのか?
答えは違うところと違わないところがある。なんだか当たり前か 笑。
個の集合であること、対面販売であること、初期投資が少ないこと、仮設であること、育てることが出来ること、誰でも作れることなどなどは一緒だろう。

磯木さんも指摘しているが、最大の違いはマーケットに車で来るということではないか。
そのため、場所は離れていてもいいけど、駐車場は必須。
地方に限らず、郊外や地方都市で車での移動が中心の地ではこの駐車場問題はよく聞かれる。
「駐車場が足りなくなった」「警備員さんの経費がかかる」といった課題は様々な場所で聞かれる。
青森県八戸市の館鼻岸壁朝市には300店舗が並ぶが、巨大化できた理由は岸壁であるために駐車場が無数に取れることだろう。

また、小商いで生計を立てる時に“収入でコストを賄えること”はまさに地方ならではの可能性だと思う。


地方と都市、切り離して考えないで、一体に考えた方がそれぞれの可能性が明確になったり、学び合ったりできるのではないか。
“世界はどこまでいってもローカルの集合体でしかありません。”
地方であっても都市であっても、地域資源を生かすことと、自分のやりたいことを掛け合わせることが利用できるのだろう。

このあたりの話もトークでできたらなぁと思っている。

自分でつくる「まち」と「くらし」

「マーケット」で一人一人の人が自分たちでマネージメントできる形でまちを面白くしていことと、「小商い」で一人一人の人が自分自身で暮らしを作っていることはとても似ている。
私たちの考えの交わっている点が「自分でつくる」ということで、私はそこからまち(建築や都市)に向けて引っ張っていき、磯木さんはそこから一人一人のくらしに向けて引っ張っていて、これが両方繋がると大きな流れになるかもって示唆を与えられるのじゃないかなぁとか思っている。
DIYの精神、自分ごと化すること、まちにおける自治にも繋がってくる。

トークイベントがとても楽しみである。(イベントの詳細も後ほど載せます。)

「「小商い」で自由にくらす」(磯木淳寛/イカロス出版社)

「マーケットでまちを変える  人が集まる公共空間のつくり方」(鈴木美央/学芸出版社)


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