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親が幸せだと子どもも幸せ

この記事は2024.7.3の音声配信を文章にしたものです


子どものわたしから見た両親の姿

みなさんは、お父さんお母さんが幸せそうだなぁ…と感じた瞬間を覚えていますか?
それが何か特別なシーンであったり、人によってはいつも2人とも幸せそうだったという家庭もあるかもしれません。

わたしも両親が幸せそうだと思うときはありました。
でもそんなに多くはなくて、感覚だと100あったらだいたい30とか(あくまでわたしの主観ですが)。
じゃああと70は?というと、怒り、悲しみ、不満からくる、何でしょうね… “いつもつまらなそう” という両親の姿でした。

母は姑の愚痴を言うのが日課になっていて、「なんであの人は!わたしはこれだけやっているのに」みたいな感じで、聞いててすごく大変そうでした。

父は自分の好きなことを仕事にしている人で、すごく輝いて見えました。
ですが家だと正反対で、無口で母の愚痴を聞くだけ、嫁と姑の間に挟まれてていました。父が怒るのは珍しかったですけど、でもそのぶんストレスも溜まっているんだろうなと思っていました。

子どもの心理と罪悪感

やっぱり負の感情の方が強く記憶に残るものなのかもしれませんね。

もっと楽しかった思い出とかもたくさんあるはずなんですけど、両親が楽しんでいた姿がパッと出てこなくて、やっぱりどうしてもネガティヴな姿が思い浮かんでしまいますね。

そんな環境にいたので、わたしも子どもながらに両親の悲しく苦しそうな雰囲気をずっと感じ取っていました。
わたしにできることといえば、愚痴を聞くことと、それから両親より幸せにならないことだったんですよね。

両親より幸せになってしまったら…すごく申し訳なくて。
わたしも年齢を重ねるたびにたくさん思い出ができるわけですけど、でもその楽しい思い出ができるたびに罪悪感がありました。
「両親があんなに大変そうなのに、それ以上にわたしが楽しい思いをしたらダメだ」「一緒にこの状況を耐えなきゃいけない」と思っていました。

衣食住、整っているという物理的な幸せはありましたし、そこへの感謝はもちろんあります。
でも心から幸せだなって感じられていたかと聞かれたら、ちょっとわからないところがあります。

もし家の外でも「幸せになっちゃいけない」ことを自分に強いていたら、今頃わたしは変な話、生きていなかったと思うんですよね。
そんな状況でも学校とか、彼氏をつくるとか…外の世界では幸せを求められたからこそ、なんとか自分の居場所をつくってバランスをとっていました。

親になって気づいた幸せ

そんなわたしも親になって子育てをするようになりました。
本当に、鏡のように、わたしや夫が笑えば子どもたちもケラケラ笑ってくれるんですよね。その価値というか尊さを今すごく感じるようになりました。
それってものすごく幸せなことだったんだな、と。

まずわたしが幸せであることが大切だと、これまでの経験を通して痛感しています。
自分が幸せであることに罪悪感なんて持つ必要はなくて、本当に親の幸せなくして子どもの幸せはないと思います。

アダルトチルドレンの強み

わたしは、そんな幼少期の体験から、幸せでいられるのは当たり前ではないと思っています。
だからこそ、より幸せでいられることのありがたみを感じます。

アダルトチルドレンの人は、本当に小さい頃からいろいろな思いを抱えて、自分で自分を追い込んでしまったりすることもたくさんあると思うんですね。
そういう経験をしているぶん、当たり前のように感じる幸せをすごく特別に感じられるし、ささいなことでも大切なことに気づける力を持っています。

だからそういう自分に少し目を向けてみて、「わたしはこういうところによく気づける」とか「こういう気持ちを大切にできる」というところをもっと誇っていいんだと思うし、それがあなたの長所でもあります。

わたしも、特別に感じられる幸せをもっと大切にしながら過ごしていきたいなと思っています。


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