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出会い

プロのバンドマンを目指していた頃(1998年~2002年3月)、都内のライブハウスで月1~2回のペースでライブをしていた。

主に、秋葉原CLUB-GOODMAN、六本木Y2K(もうクローズしてるか)、下北沢ガレージ、渋谷屋根裏、新宿JAM、目黒LIVESTATIONなど。秋葉原と六本木は、なぜか多かったな。。。

そんなある日、六本木Y2Kでライブがあって(確か、月曜日で、全くお客さん来なかったのは覚えてる、、、)、俺たち入れて4~5バンドくらいの対バン形式で、自分たちの出番までは、他の出演バンドの演奏を聴く事ができるんだけど、当時は、自分達の音楽が最高だと思ってたから、他のバンドの演奏なんて到底聴く気になんてならなくて(若気の至り)、楽屋でだべってるか、車で寝てるか、町をぶらつくかで時間をつぶしていた。しかし、その日はなぜか、客席で出番まで待とうかとい事になった。(客が全然いなかったから、バンドメンバーが互いに盛り上げようと客席にいたんだった!)

特に何の気もなく聴いていたが、とあるバンドの歌を聴いていたら、「あれ、これ、カッコいいな」と思ってきた。俺たちと同じ3ピースバンド。ボーカルギターは、ギブソンのファイアーバードをかき鳴らしてた(俺は当時、GRETCHナッシュビル6120)特に一発で好きになった曲があって、8・6リズム(まー三拍子というか)の叙情的なメロディーだった。

曲名は「斜陽」そのバンドは「FREEKS・FERVER」というバンドだった。

その日は、「良い曲だなー」くらいで終わって、自分達の出番が来たので、ライブして、その「FREEKS・FERVER」のメンバー達と話すこともなく、終えた。

翌月、秋葉原GOOD-MANでのライブがあった。そこそこお客さん(ほぼ知人だったが)も入ってくれたと記憶している。いつものように逆リハ(出順と逆さにリハーサルを行う事)をやっていく中で、俺たちが出順が1番であったため、他のバンドのリハーサルをずっと見ていた。

あるバンドがリハーサルを始めてると、聞いたことある曲だった。

「あれ?これ、先月、六本木で聞いた曲だ」と気付いた。なんと、「FREEKS・FERVER」とまた対バンする事になっていた。「へー、こんなことあるんだな。」と思ったが、当時、いきりまくっていた俺は、話しかけるはずもなく、「フーン」という体を装っていた。

俺たちの出番10分くらい前。その時、向こうのボーカルギタ―Ⅰ君から声をかけてきた。

Ⅰ君「ブランキ―ジェットシティー、好きですか??」

俺「あーうん、それほどじゃないけどね(嘘つけ)」

Ⅰ君「前、六本木でも同じでしたよね??」

俺「あ、そうだった??(しらばっくれてる)」

Ⅰ君「いや、そん時、凄いカッコいい!!と思って、みんなで話してたんすよ!そしたら、今日もいるぞ!!これは、またとない機会だから話しかけようぜ!となったんですが、誰も勇気がなく、で、満を持して、俺が話しに来ました!」

俺「あ、そう。ありがとう(めちゃくちゃ嬉しい)」

Ⅰ君「俺もブランキ―好きなんですけど、違う感じを出したいんですけど、やっぱり、曲が似ちゃって、、、でも、好きなんですよね~」

俺「あーそうだよな、俺も、曲創ってると、やっぱりな~」

Ⅰ君「ですよね~、おい、やっぱ、ブランキ―好きらしいよ!(他のメンバー呼ぶ)」がやがや、どやどや、、

フリークス一同「あー、やっぱり!グレッチでその風貌ですもんね~。でも、カッコいいすね、皆さん」

俺「そろそろ出番だから、終わったら、また、話そうか!」

フリークス一同「是非!お願いします!客席で見てますね!」

んでもって、お互いのライブ終了後、一緒に打ち上げに行った。

ライブハウスの対バンは、あくまでライバルで、友達になんてなるわけもないと思っていたけど、、、彼らとは、とてもウマが合った。音楽の嗜好性、ファッション、不良になり切れない感じ(当時、皆大学生だったので)、とても好感が持てた。

その後、俺は、彼らのライブにほぼ欠かさず聴きに行った。親交もとても深まっていった。彼らは俺の事をなぜか「アニキ」と呼んでくれた。人生で後輩みたいな存在が全くなかった俺は、とても嬉しかった。

さらにその後、この「FREEKS・FERVER」というバンドは、解散してしまったのだが、ドラマーのS君は、なんと、俺と同じ会社で働く事になって、そんでもって、俺と一緒にバンドをする事になる。それはまた、別の話。

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