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ぼーっとしていたら、なんと結論が出た

本を読みたい。10年ほど前に大学で一度学んだはずの経営、経済、広告、観光、情報、心理学、統計、会計、英語…知識のアップデートをしたい。文章力もつけたい。
なぜ今、私はこんなに新しい事を学びたいと思っているのか。

コロナでお給料減って、複業をしなきゃ金銭的余裕がない。複業(副業)するために新しいことを学ばなければ…! 
そんな思いを弾みに、4月にデザインスクールへ。

ただ、スクールを卒業してみて、すぐに複業をはじめたかというと、そうでは無い。ここ数週間「自ら早くはじめなくちゃ」と思っている、ものの、何だかスイッチが入らない。
でも、あれ?よく考えると「〜しなくちゃ」=「得体の知れない何かに“強制されている”」と言うことに他ならない。だって、「〜したい」では無いのだから。この部分が重く暗い鉛のようにずっしりきている。

あれ?あれ?なんかおかしい…


スクールに行ったことは本当によかった。
心から最高だと思えるスクール同期だったし、同い年の友達もできたし、久しぶりに一度にたくさんのヒトと出会って話をできて、新しい価値観を知れて、すごく楽しかった。
それに、知らなかった知識を学んでその存在を知ることは視野が広がって楽しい!と 心底思った。

ありがたいことに、お仕事も1ついただいて、たくさんアドバイスもいただいた。結果的に完璧な満足いくお仕事とはいかなかったけれど。これも、個人的にはとても楽しかったし、新しいスキルや考え方、概念を教えてもらえて。すごく得るものが大きく、またやりたいと思った。もっともっと成長したいと思った。
知らなかった事を1つを知ると、芋づる式にいくつかの疑問が湧き出て、それもまた知りたくなる。そんなことの連鎖が、今現在も心で頭でたくさん起こっている。

今まで何も知らず、気づきもしなかった、考えもしなかったモノの見方、というのが生まれて。世界を彩る色が増えた気持ちになる。
学ぶと言う事は、視野が広がってすごく楽しい。過去のなんでもなかった知識が結びついて、急に生まれ変わったかのように必要になったりする。その感覚も過去の自分を肯定してくれているようで、とても満たされた気持ちになる。

しつこいが、『知る』と言う事は本当に楽しい。
スクールに行ってよかった。学んでよかった。
なんていったって、薄暗い過去すらも、こんな簡単に肯定して、意味を持たせてくれるんだから。

「さぁ、折角学んだんだから次はそれを使わなければ!」→最初に書いた通り「複業しなくちゃいけない! 」となっている。
が、、、うーん。ここが、やっぱり腑に落ちぬ。

という事は多分、今現在の私の価値観とその考え方が合っていないと言うこと?

つまりは、「学んだことの活かし方」と言うのを、今一度ゼロから考え直す必要があるのではないか。そんなとりとめのないことを考えながら、お風呂に入ってぼんやりと考えていたところ、シャワーのように思考が降ってきた。

わたしは今の職場が好きだし、今は辞めたくない。複業に追われて、粗末にしたくはない。
変化の激しい今の職場で、常に変化についていける人になっていきたいし、同時に役立つ人間でありたい。それに、新しい価値観を持って入ってくる新入社員とヒトとして刺激し合える対等な立場でいたい。

そこ、なんだと思う。

そのために、自分をアップデートさせ続けていたい。今の自分の立場を変えないために、少しずつ自分を変える必要がある、そう思っている。うん。

だから、仕事で使えるスキルを増やしたい。
もっと仕事を効率よく進めて、楽をしたい。
片手を開けて、余裕を持ち続けていたい。
そして、仕事外でも使えるスキルへ昇華させたい。

そこまで考えて「あー。今の自分がやりたいのはここなのかも。」と思った。

早い話、複業というのは、私にとっては目標としてでかすぎたのだ。他の人であればできることなのかもしれないが、私にとっては大きな段差の階段だったんだと思う。
もう少し小さい段差の階段を探して、自分の足の長さでも、ちゃんと一歩を踏み出せるような階段を見つけなければ。

それが、まずは、今の職場で使えるような知識を見つけて、使えるようにする。

私はおそらく、一般で言われる完璧主義にあたる。
スキルを得て、納得できるまで、出したくない。
だから、もう少し最低限と思える知識とスキルを得たうえで、次を考えたい。それが過度なストレスもなく、今できること。でも、もちろん、知識として「完璧」と言うのが存在しないことを知っているし、忘れちゃいけない。

あぁ、私が目標とすべきはここか。
やっと、腑に落ちた。

シャンプー終了。うーん!サッパリした!

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