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私のJPOP熱は2003年で終わった

初のJPOPネタ。
普段は美味しいものやゲームの事ばかり書いているオバサンだが、若い頃は人並みにJPOPに夢中になっていた。

しかし、結論から書くと、私のJPOP熱は21年前の2003年(平成15年)で終わっている。

昔々、1992年(平成4年)頃にカラオケが爆発的なブームになった。元々合唱部に所属して歌う事が好きだった私も例にもれず、20代前半までは彼氏と一緒にカラオケで始まり、カラオケで終わるという休日を送っていた。FM NACK5の日曜午後のラジオのカウントダウン番組(ALL JAPAN TOP100 1993年(平成5年)から2000年(平成12年))も欠かさず聴いていたし、なんなら大宮アルシェのスタジオ見学もしていた。

TAKAさんの冒頭の「みんな~、元気かいか~い!!」は今でも印象に残っている。ユキさんとの掛け合いも楽しかった。

DJのTAKA江川さんとユキ・ラインハートさんは今頃どうしているだろうか。

*TAKA江川さん、調べたら2021年(令和3年)にラジオ川越で活躍されていたとのこと。当時大宮アルシェで拝見した時より写真はさすがにお年を召していらっしゃいましたが(当たり前だ)渋くて相変わらずカッコよかった! 令和になっても埼玉にご縁があって、県民としてとても嬉しい。 

そして、時は流れてカラオケブームが終わり、狂ったように一緒にカラオケしていた彼氏とも別れて、それからしばらくはカラオケにもろくに行かなくなり、更にはJPOP自体からも完全に離れてしまった。だから、私のカラオケレパートリーは遥か昔で止まっている。

これは7年前の2017年(平成29年)にヒトカラをした時の歌った曲のリストである。

ヒトカラリスト1
ヒトカラリスト2
ヒトカラリスト3

時系列がバラバラなので並べ直してみた。

1994年(平成6年)以前

かもめが翔んだ日  渡辺真知子 (1978年(昭和53年))
みずいろの雨 
八神純子 (1978年(昭和53年))

世界でいちばん熱い夏  
PRINCESS PRINCESS (1987年(昭和62年))

くちびるから媚薬  
工藤静香 (1990年(平成2年))

1995年(平成7年)~2000年(平成12年)

Hello, Again~昔からある場所  My Little Lover (1995年(平成7年))
I BRLIVE 
華原朋美 (1995年(平成7年))
Men&Woman  
My Little Lover (1995年(平成7年))
TRY ME ~私を信じて~ 安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S (1995年(平成7年))

Cant'stop Fall in Love   globe (1996年(平成8年))

promise  
広瀬香美 (1997年(平成9年))
出会った頃のように EveryLittleThing (1997年(平成9年))
White Love   SPEED (1997年(平成9年))

Time goes by   EveryLittleThing (1998年(平成10年))
ストロボ 広瀬香美 (1998年(平成10年))

Everything   
Misia (2000年(平成12年))
SURREAL  浜崎あゆみ (2000年(平成12年))

2001年~

M   浜崎あゆみ (2001年(平成13年))
traveling   宇多田ヒカル (2001年(平成13年))

SAKURAドロップス  宇多田ヒカル (2002年(平成14年))
君ヲ想う 元ちとせ (2002年(平成14年))

さくらんぼ 大塚愛 (2003年(平成15年))
雪の華  中島美嘉 (2003年(平成15年))
Perseus ーペルセウス 島谷ひとみ (2003年(平成15年))

1995年(平成7年)から2000年(平成12年)までがピークで、2003年(平成15年)で私のJPOP熱は完全に冷めたのが良く分かる(それ以降のレパートリーは存在しない)

私は主に小室系(当時流行っていた小室哲哉プロデュース)を歌う事が多かったが、1998年(平成10年)に宇多田ヒカルが鮮烈デビューした時の事は良く覚えている。わずか15歳で自分で歌詞も曲も作って歌うという今ならさほど珍しくはないが(?)当時は衝撃だった。しかも楽曲も歌声もクオリティが飛び抜けて高すぎて、人々はあっという間に夢中になる。小室旋風で埋め尽くされていた当時のJPOP界を宇多田ヒカルという1人の少女があっという間に塗り替えていった。天才という言葉は彼女の為にあると思った。

それから20年経った令和現在。JPOPは特定のアイドルグループや今時の作風でオバサンはついていけない。だから、今後もカラオケする事があっても、このJPOP黄金時代のラインナップが更新される事はないだろう。

書いている最中に懐かし過ぎて涙が潤んでいた。JPOPとカラオケはもう決して戻れない私の大切な青春の思い出だったのだろう。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

※ 西暦だけじゃなくて和暦も併記した方が分かりやすいかなと思って追記しました。


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