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飲兵衛女の飲酒遍歴

今回は、私の飲酒遍歴の話でも。

自己紹介記事でも、お酒は割と何でも呑めますと軽く書いて、それからは特にお酒の事には全く触れていなかった。別に意図的にそうした訳でもなく、書く機会がなかったからである。


初めてのお酒

お酒を初めて吞んだのは、社会人1年目の新人歓迎会。

初めて呑んだのは、乾杯のビールだと思う。それから、確かサワー的な物に移ったのだが、情緒に全く変化が見られなくて、あれ? もしかして、私、酔ってないんじゃないの?って、気が付いた。

そういえば、私の亡くなった父はお酒が弱かった。家で晩酌していても、瓶ビールをグラス数杯でベロベロになり、決まって陽気に歌い出す。それで、毎回お決まりだったのが、母が結婚式に三々九度で緊張していたせいで一気飲みしていたのを真似してからかったり、「トントン前! トントンシーッ(後半は恐らく父のアレンジ?)」と、私が幼稚園でやっていた事の真似をしていた(本当に毎回やっていた)そして、そのままリビングでイビキを掻きながら寝落ちしていた。そんな父の醜態を見て、アホだなーと呆れていたのだが、それから何十年も生きているが、あんなアホみたいな酔い方をする人を、他で見た事がない。

そんな父の娘であるが、私は父と違いお酒が強い。ちなみに弟も強いらしい。母は弱いので、どうやら姉弟揃って祖父からの隔世遺伝なのかなと思う。

結局、新人歓迎会では、最後まで全く酔わなかった。更に二次会のカラオケでも引き続き吞んでいたが、カラオケの十八番である中山美穂の「Rosa」をろれつも回らずに普通に歌い切った。

適正な飲酒量の学習

私の同期は、飲兵衛ばかりだった。毎晩呑みに行っていて、17時定時キッカリに仕事を終えて、17時半には居酒屋で「かんぱーい」とグラスを傾けていた。今思うと、良くお金が続いたと。バブル末期で景気がギリギリ良かった気も関わらず、手取りで10万くらいしかもらってなかったのに。でも、同業他社内で売上の上位を取れば、随時、大入り袋がみんなに配られた。良い時代だった。

20代の頃は、初めての飲酒で全く酔わなかったのをいい事に、「私は酔わないんだー」と調子こいてウイスキーや日本酒をたらふく吞んで、後でリバースしまくったり。なまじ、呑んでも情緒には変化が現れないので、「止め時」がしばらく分からなかったのだ。

ちゃんぽんも危険だ。20代後半にネトゲのオフ会でも、杏露酒と日本酒を交互に呑んだ。宿泊先のビジネスホテルで地獄を見た。その後も懲りずに同じ過ちを何回か繰り返している。日本酒、ワイン、ウイスキーは飲み方に気を付けないと危険だと身体で覚えた

まるで、強敵に挑んでやられるが如く、リバースの繰り返しで、自分の中の飲酒経験値を上げていった。そのうちに、気持ち悪くならずに済む適正量を学習した。

好きなお酒

好きなお酒は、以前はカクテルやサワー類だったが、今は何故か芋焼酎や泡盛など、癖の強いお酒が口に合う。私は九州の方に生まれた方が良かったのかもしれない。芋焼酎は、昔好きだった人が九州に住んでいて「伊佐美」を送ってきて、それからハマった。その人にはフラれたが、一升瓶はしばらく捨てられずに自室に取ってあった。でも、この間、ようやく廃品回収に出した。思い入れなんて、その人への想いが消えれば無くなる(そうなるまでが大変だけれど)

最近は気が向いたら「黒霧島」を買ってきて、ロックや水割りで呑んだりする。しかし、昔に比べたら弱くなったので、基本の晩酌は、発泡酒やサワー缶の方が多くなった。

黒霧島

終わりに

今は家で軽く発泡酒を晩酌するくらいで、外で吞む事はない(コロナのせいもある)吞み過ぎには気を付けて、これからも適度にお酒を楽しみたい。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。


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