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人生のゴールとか根本の目的とは?

数日前の朝
起き上がる時にに首がピキッとなりまして
もう痛すぎて起き上がることすらできず、
動くと神経の奥までズキっと痛むものだから
顔も洗えず歩くのもやっとな生活困難になり
歳を感じながらもひとりってつらい泣
と思う出来事がありましたが
今では普通に動けるくらいには復活
人間の体の回復力ってすごい


そんなことはさておき、
大それたタイトルつけてしまいましたが

2月末からパリコレのためパリにいたとき
その日はショーが入ってなくてブラブラ服見に行ったり本屋に行ったり
いつもと変わらないような休日のひとコマをひとりでパリの街で堪能していたとき

ふときれいな夕空が覗いて

なんかそのとき、
あー、なんか私って幸せだな

と思ったのです

それは単純に、わたしはミラノで生活しながらもやっぱりパリが心地よくて好きだな〜と感じたから
っていうのを前提に、昔では考えられないような現実を今生きていることに対してだと思う
ミラノに住んで、年数回FWの度パリにヒョイっと来て、昔では遠い遠い世界だったパリコレで毎シーズン仕事をして、
FWの度に顔を合わせる友達もでき、
さらにはたまにヨーロッパ内を旅もする

よく、海外なんていいな〜

って言ってくる人たちに対して、
そんなに羨ましく思うなら住んでみたらいいやん、
外国で生きる大変さなめんなよ
と思っている節があったのは事実

動くものには試練は伴う
もちろんそういった気持ちは変わらないし
今でもやっぱり日本に帰ればなんて生きやすいんだ!とびっくりするし、大変だなと思うことのほうが多いかもしれない

それでもパリで夕空見た時に
あーなんかわたし幸せだ
って思えたのを振り返れば、やっぱりここ最近やっとこう思えるようになったし
成長を自分で感じられた出来事だった


そのとき同時に思い出したのは
自分が海外に出たのって
‘広い世界を見たい’からだった

ということ

日々過ぎていく中で、
あーまだまだだ
もっとうまくなりたい
こうなりたい もっともっと

みたいなことって山ほどあって
それと向き合っていると、’根本’とか’ゴール’って何だっけ
となりかねない

もちろんこれは全ての人ではなく一部の人に関して
例えば目標や目的を定めてそれに向かって動く、
ということができる人はこうなりにくいのかもしれない

私の場合はふわっと(といっても大真面目に)
‘広い世界を見たい’と言って出てきてしまったものだから
もともとココっていうゴールなんてないのだ

そう考えたら、当初の夢というか目的はもうすでにクリアしてるのかもしれない
と思ってハッとした

特別有名になりたいとか、メイクアップアーティストとして世界でやってくぞ!
とか、そういうつもりで来たわけではなかったからよけいに

‘見る’という視点にもいろいろあるから難しい

旅に行ってその街に1.2日いただけでも見たと言えるし
1年いた上での見た
5年いた上での見た
あるいは10.20年、、
それぞれ違うし、正解もない

それでも基本的には何事も自分で体験してある程度やって自分の中で理解しないと消化できない昭和人間のわたしは
たくさん遠回りをして時間をかけて、今にならなきゃわからなかったことなんてたくさんある

昔はみんなが30歳までには結婚したい!
という空気?に乗り、
自分も焦ってみたり
でも正直結婚が本当にしたかったかというとそうではなかったはず
今は迷いなくちゃんとパートナーが欲しい
と言えるようになった

どこがゴールなんだろう?
ってやっぱり考えてしまうけど
さっき書いたように目標や目的を定めてそれに向かって動くことができる人
はまた違うかもしれないけど
それができないタイプの今のところの自分の答えは、
ゴールはない

だからこれからも続く長い人生の中でたくさんのゴールを小さくてもいいから自分で設定して認めてあげて
自分で土台をちゃんとつみあげる作業も必要なのかもしれないな
と思ってきた

もし、自分みたいなタイプの人がいたら
彷徨いがちかもしれないなぁと思うけど
道を曲がって遠回りしても、
あるいはいったん休憩したり戻ったりしても
何となくいつかこうやってふと結びついたりわかったりするときがくるのかも
と思うし
そしてまた1年後にはまたぜんぜん違うことになってたりすると思うんだけど
時間が経ったあとからでも
自分の人生幸せだな〜
って思える人生にしていきたい

全ては必然で、意味のある事

Mio


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