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【企画参加】届け、届け、届け!

私には今でも思い出すだけで
涙が出てしまう
忘れられないご夫婦がいます。

この記事はね、
書くにあたって何度も
涙を流して、
ティッシュを無駄遣いしました😅


私はあまり
健康体ではない方で、
例えば小学生の頃はよく
朝礼でバッターンと
倒れていました。

救急車も公私関わらず
何度も乗りました。
公、というのは
特養に勤めていたためです。
イギリスの救急車も
乗りましたよ。
これも仕事でした。


あれは私が
高校生になったばかりの
4月のことでした。

入学、とは言え
中学からエスカレーター式の
学校です。



クラス替えはありましたが、
同じクラスに友人もいて
先生も見慣れた顔。
緊張感も何もありません。

帰り道も
中学の時からの友人と
駅まで一緒に帰ります。

私だけ反対方向なので
ホームで友人の乗った
電車を見送ってから、
自分の駅方面の
地下鉄に乗りました。

私の学校は
東京は千代田区の
市ヶ谷という駅が最寄りで、
私の実家までは6駅。
学校から家まで
30分という近さでした。

私立だったので、
片道2時間通学なんてのも
普通だったことを考えれば
かなり恵まれていました。

比較的混んでいる電車に乗り、
ドア側にもたれて
立っていると、
座席に座っている
髪の長いきれいな
女の人と目が合いました。

なぜかその人は
私をじっと見ているようでしたが、
その時は大して気にも止めず
視線を逸らせました。


麹町駅に着いた頃
異変を感じました。



少し具合が悪いかな。



ここで降りて
休もうかと思いましたが、
次の駅まで大して
かからないし
我慢して立っていることにしました。


ここからは急スピードでした。

あれ?
と思う間に
私は車内に倒れました。


貧血をやったことのある人は
ご存知でしょうが、それと同じ。
目が全く見えなくなります。


意識も遠のきます。



次の永田町駅で、
私は降ろされました。



多分、たくさんの方が
助けてくださったんだと
思います。


下りるつもりの無かった
永田町駅で
降りて下さった方も
何人かいらっしゃったことでしょう。


見ず知らずの方が
声を掛け合い、
皆で私を抱え上げて


「じゃあ、持ち上げますよ。
 いいですか?1、2の3!」

と、
協力して
ホームの安全なところまで
運んでくれたのが
途切れ途切れの意識の中で
わかりました。

私を運んで下さった時の
号令は、
男性の方がしていました。

だけど、私が無事に
ホームまで運ばれた後、
指揮を取ってくれた声は
若い女性に代わりました。

「皆さん、この子は
 駅員さんが来るまで
 私たちがちゃんと
 そばについています。

 お忙しいでしょうから
 どうぞ私たちにお任せください」

そんな感じだったと思います。

私はまだ
真っ暗闇の中にいます。
意識も途切れ途切れです。

だけど、その若い声の方は
何度も声をかけてくれました。

こんな反応のない
木偶の坊にね。

「辛いでしょう。
 電車の中にいる時から
 顔色が悪いな、と思っていたの。
 私たちがいるから、
 大丈夫だから、安心してね」

ああ、この人は
さっき私をじっと見ていた
あの髪の長いきれいな人だ。

この人はどこへ
向かう予定だったのでょう。
私のせいで永田町駅で
途中下車するはめに
なってしまいました。

「荷物は私たちが
 持っているから安心してね」


私のそばにはもう1人
どなたかいるようでした。



やがて駅員さんたちが
タンカを持ってやってきて
この方々に言いました。

「ありがとうございました。
 あとは我々にお任せください」

「いえ!私たち、
 一緒にいます。
 この子が不安でしょうから!」

「いえいえ、お忙しいでしょう」

「いいんです!」

こんなやり取りを
何度かされていたと思います。


結局その
長い髪の女性と、
一緒にいた人は
私と共に駅長室の
中まで入ってくれました。

床に降ろされた私に
女性と一緒にいた人が
頭の下にハンカチを
敷いてくれました。



チカチカする視力で
何とか見えたそのお顔は
男性でした。
その人は長い髪の女性の
旦那様のようでした。



口数の少ない静かな方で、
私が謝ると
とても優しい顔で
にっこりと微笑まれました。


ズッキューン💕
(ここからいつものアホモード)

私のタイプドストライクの
スレンダーな黒髪メガネさん‼︎

でもいいの!
私を助けて下さった
天使のような
長い髪の奥様のためなら
喜んで諦めるわ!


こんなことは当時は
思っておりません😅
後付けです。
だって具合が悪かったんだもの。



とにかく駅長室で
駅員さんが救急車を呼んで下さり、
救急隊が来るまでの間、
お二人はずっと
私のそばにいてくださいました。


余談ですが、救急車って
呼んだことがありますか?
私は特養での仕事でも
何度もありますが、
すぐには来ません。
30分以上
かかる時もあります。


今ある救急車が
全て出払ってしまえば
時間はかかりますよね。


それで、自分が具合が悪くて
救急で運ばれる時は、
余程でなければ
タクシーを呼ぶようにしています。


話を戻します。



この時も救急車は
なかなか来ませんでした。
その間、
若きご夫婦は
ずっとそばについていて
下さいました。
見ず知らずの高校生のために。


何分経ったのでしょうか。
もう覚えていませんが、
ようやく救急隊が
到着しました。


それで、意識が朦朧とする中で
ご夫婦にお礼を言おうとしたら、
何とこの奥様が


「私たちも同乗します」


と仰ったのです!



いやいやいや!


何処へ行く予定だったのか
知りませんが、
同じ路線の駅にいるなら、まだ、
まだ!都合もそれほど悪くないでしょう。


病院まで行ってしまったら
帰るの本当に
大変ですよ‼︎

それでもお二人は
「行きます」と仰って
着いてきてくださいました。

どこの病院に連れて行かれたのか
もう覚えていません。
救急車でけっこう
走ったと思います。

治療を受けて
少し良くなった頃、
母がやってきました。


病院で母を呼ぶために
動いてくださったのも
この奥様でした。
私は体調からロクに話も
出来なかったので、

「お母さんに連絡したいから
 鞄をあけてもいい?
 生徒手帳に電話番号が
 書いてあるでしょう? 
 ごめんね、開けさせてね?」

と、
一つ一つ丁寧に
許可を取ってくださいました。



私はカーテン越しに
母がひたすら感謝のことばを
お二人に言っている声と、


お二人が、全く問題の
ないことのように
サラリとお話しされている
会話が聞こえて、

涙が溢れて流れて
止まりませんでした。


こんなに優しい人の気遣いを
頂いたことで
感情がいっぱいになって
ぐちゃぐちゃして、


母のいるところだから
何とか泣くのをやめたかったのですが、


次から次へと出続ける涙を
どうしても止められず、
カーテン越しにひたすら
声を殺して泣き続けました。


その後、お二人に会うことは
ありませんでした。


一度だけ奥様と
電話で話したことがあります。


母が何とか頼み込んで
住所とお名前を聞き出し
お菓子折りを送ったそうで、
お礼の電話がかかってきたので、
母が話すついでに
貴女も出なさい、と
電話を代わってもらいました。


私は感謝の気持ちで
いっぱいだったのですが、
何故か電話口では
よくある高校生の
あざ〜す!的な
軽いノリで
さらりとしかお礼を
言うことが出来ませんでした。


そのことをいつまでも
後悔し続けました。


私は進路を決めるとき、
このご夫婦のことを思い出しました。


あのお二人のように
見ず知らずの人を
助けられるようになりたい。


福祉職を辞めようか
悩むたびに
お二人を思い出して
思いとどまりました。


私はあのお二人に
頂いた分の優しさを
まだ社会に返せていない。


結局は私は
福祉職は辞めてしまったのですが、
今でも思うんです。


あのお二人に頂いた優しさを
幾らかでも社会に
返せただろうか、って。


あの2人に助けてもらったことに
恥じない人間に
なれているだろうか、って。


お二人は今
どうしているのでしょうか。



私はお二人から
たくさんのことを学びました。

人は嬉しくても
涙が溢れること。


人にしてもらった優しさは
いつまでも自分の
エネルギーになること。


優しくしてもらったら、
自分も優しくしたくなること。


「感謝企画」と聞いて
真っ先にこのお二人のことが
思い浮かびました。


あの時は本当に
ありがとうございました。


お陰さまで私は
人に優しくあろうと
思い続けていられます。


美しい心に触れたことで
自分もそうあろうと
努力できます。


どうか、今でもお二人が
幸せでありますように。


様々な困難にも負けずに
四方から助けられて、
美しく凛と
暮らせていますように。



頂いた優しさはいつまでも
社会に返し続けますね。



感謝を込めて。



この記事はnote界のカリスマ
川ノ森千都子さんの
感謝企画に参加したものです。

川ノ森さん、
素晴らしい企画を
ありがとうございます✨
他の皆さんの記事も楽しみです😊

#note感謝企画

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