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人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。

人が好きだ。誰かを褒めることが好きだ。長所を探すことが好きだ。わたしは脳内が花畑牧場の、ポジティブが服を着て歩いているような人間なので誰にでも長所があると思っている。(ネガティブになることももちろんあるけど)
特技はポジティブ変換と長所探し。人の長所をせっかく見つけたのにわたしだけの秘密にして心に仕舞う、なんて勿体ないことは基本的にはしない。わたしが見つけたきらきらしたものは、ジョハリの窓の「盲点の窓」かもしれない。だから積極的に褒めるようにしている。
この人苦手かも、合わないなと思うことは勿論ある。わたしにも感情や価値観があるから。だけど誰かを嫌いになることは滅多にない。というよりも嫌いになれない。やはり頭があしかがフラワーパークなので「この人のことを大切に想っている人がいるから、、、」なんてことを考えてしまう。

一昨日、小学校からの付き合いになる大切な友人と久しぶりに会った。同じ20歳なのに妙に達観している友人だ。人生2周目どころか5周は優にしていそうな彼女は、大人になると褒められることが減ると言った。「だから私、大人になりたくないんだ。」と。

子供はみんなアイドルだ。蝶よ花よと。
立てば歓声、座れば微笑み、歩く姿にきゃあきゃあと。
一挙手一投足が家族にとってはファンサのようなものだ。ひとりで立って歩くだけで褒められたあの頃と比べると、確かに褒められることは減った。減ったというよりも、ハードルが高くなったという表現の方が適切かもしれない。身の回りの事が自分で出来るようになるとそれが当たり前になる。
寧ろ今の歳で「ひとりでご飯食べれたの〜?偉いねぇ〜〜!」と言われても煽られているようにしか聞こえない。そりゃあ褒められることも減るか。

人生n周目(nは自然数)な友人の何気ない話からわたしはもっともっと周りの人を褒めようと心に決めた。どこかのアイドルのように趣味は人間観察だと言えるくらいに人のことをよくみよう。褒め褒めマシーンになろう。煽りにならない程度に。

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