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BIZIO MIRAGO・・・創造への進化4.


レオナルドダビンチ
”白貂を抱く、貴婦人”


 ルネッサンス絵画の最も有名な画家の一人である、レオナルド・ダ・ビンチ。

 

 実は、彼自身は、気がついていたか、いなかったかはわかりませんが・・・特別に神から、与えられた能力、つまり、生まれた時から覚醒という能力を与えられ、そのまま、生涯其の能力を失うことなく生涯を閉じたことが、わかります。


 ダビンチの、美術評論や、美術史的な見解は、ご専門の方々にお任せして、此処では、私個人のダビンチ感をそして彼の人物像に関しての個人的推測を、今まで見た彼の絵画から、感じたままにお話ししていきたいと思います。


 仕事の関係で、ミラノでの展示会場が、レオナルド・ダ・ビンチの博物館だったことは、以前、”Cafe carupe diem.6人生に於ける美学を考える、エステティックス・カフェ”と、”覚醒するは・・・汝にありVol.5”の中でも、お話し致しましたが・・・。



レオナルド・ダ・ビンチ記念国立化学技術博物館


 当時は、わたしたちの活動が始まった当初の任意団体から、ベンチャーとしての活動に移行した頃のことでした。

 
 会場から一番近い宿舎をと思い、同郷でもあり、ミラノ在住の服飾デザイナーで、私も服を作って頂いていた方のご紹介のホテル(元貴族の城で、修道院)から、高級住宅街を通り、会場まで歩いて行ける場所をご紹介いだだきました。
 


 タイトルの写真左手は、サンタマリアデラグラッツェ教会で其の迎側が有名な本屋さん、其の奥がホテルでしたが、ホテル右手から右折し、二ブロック先をまた右折した、左手が会場でした。


 ダビンチも、当時は、きっと此の通りを行き来していたことでしょう。

 此の時のミラノでの出来事は、別の機会に、”イタリア紀行、ミラノ編”にて、お話ししようかと思います。


 と言うことで、設営当日の夜は、在イタリア大使やジャーナリスト、ブランドのデザイナーやバイヤー、繊維関係者などか集まるレセプションがあるというので会場では、どのブースも、設営におおわらわでしたが、当所の製作担当者が、照明の位置が、対象から、ずれているということで、設営の責任者のデザイナーに来て頂いて、直ぐに、直して頂けたのですが、ふとその照明を見上げると、丁度、照明の真下が、休憩時に自由に飲める、エスプレッソの機械が設置してあったのですが、照明の元には、かのレオナルド・ダ・ビンチの彫像が・・・。


博物館の回廊


 私たちは、それから数日間、レオナルド・ダ・ビンチに見下ろされて、どこへ行くにも、彼に見守られながら、その存在を感じて、過ごすことになったのです。
と言いますのも、ホテルの周りも、タイトルの上にある写真の教会や美術館等の、ゆかりの場所だらけ、しかも、場所は、高級住宅街で、門と玄関の隙間から、垣間見る建物の中は、見事な彫刻や絵画のある貴族の館で、其処に住んでいるおばあちゃんが、私が自社製品の着物を着ていたせいか、通るたびに、二階の窓から手を振ってくれるのです。
 その時の、面白い経験談は、”イタリア紀行・ミラノ編”にて・・・。


 きっとこれらの貴族の館のような、豪奢な屋敷の住人である、ミラノのセレブ達からの要請で、当時は、ダ・ビンチも、肖像画等を描いていたに違いないと思いました。
 

 それから、三年の月日が経ち、私は、親善使節として訪れたポーランドから、ハンガリーに向かう中継地のフランクフルト空港で、何時間も待ち時間が出来てしまい、同行していた方々と、楽しく空港内のカフェで、ビールの飲み比べなどをして盛りがっていましたが、それでも時間を持て余して、カフェのお向かいにあった、高級文具の店舗に入ることにしました。
 そこで、勧められたのが、数十万円もする高級筆記用具で、私には、文字通り、”too ex・pen・sive."でした。


 ですが、そのペンに施された、紋様を見た時、「あ・ダ・ビンチ・・・。」と・・・。


 実は、その、数年ほど前までは、レオナルド・ダ・ビンチに関して、知らなかったのですが、彼の絵画から、数々の謎を研究している人とふとした事で知り合い、その紋様の意味を絵解きされていた事を思い出したのです。


 お店の店員さんは、大変驚かれて、「そうです、なぜお分かりに?これは、ダ・ビンチの生誕を記念して、当社の記念モデルとして、販売している、ものです。」と、仰るので、「ペン先の、紋様の意味は、人類の文明と、此の地球のサイクルの周期を意味しています。」と私が答えると、ドイツ人の店員さんは、その万年筆を薦めると同時に、何やら、ブツブツとドイツ語で、仰って、その万年筆のパンフレットをお店の奥から持ってきて下さいました。


その表紙には、あの、ダ・ビンチの “白貂を抱く、貴婦人”が・・・。


 
 それから一年後、私は、大きな後悔をしました。
日本でも、2013年に、ミラノのアンブロジアーナ図書館・絵画館蔵のミラノ時代の傑作や、直筆のメモや素描を集成した、『アトランティコ手稿』、レオナルデスキと呼ばれるレオナルド派の芸術家達の素描や油彩画等の展示会が、開催されたのですが、それを見損ないました。


 それよりも、もっと残念だったのは、其の絵の収蔵先は、フランクフルトで、あのパンフレットをもらう前日まで滞在していた、ポーランドのクラクフにあるチャルトスキ美術館蔵だったのです。


 惜しい、クラクフには、二日前に行ったのに・・・。
知っていれば、見れたのに・・・。
アフター・フェスティバル(後の祭り)です。


 そんなわけで、此の絵には、深い思い入れがあったのですが、最後の所有者である、ポーランドの公爵の前に、此の絵の来歴が残っていない事と、その後、戦禍を逃れて、ロッパ中を転々とする、数奇な運命の中のあり、第二次世界大戦後、やっとポーランドのクラクフの美術館に帰ってきた、という、なんともミステリアスな来歴の絵なのです。


 さて、ダ・ビンチの生前の数々の逸話の中にも、ミステリアスな部分が多いのですが、その、未来の予言のような謎めいた絵画の数々を見ていると、本人には、おそらく自覚がなかったかもしれませんが、過去も偏在も未来も全ての時間が、彼の中にあったのではないかと思われます。
("覚醒するは・・・汝にあり!Vol.1”2023,4,25noAwakeningの2、)


 ご紹介できなかった絵の中にその、秘密が隠されているような気がします。
("覚醒するは、何時にありVol.22か23の2023,5,12,176)


 その魅力で、人の心を捉えて止まない、芸術作品の多くは、此のように、神に選ばれし芸術家としての生まれながらにして、もしかしたら生まれる前から持っていた資質によるところが、大いにあるのかもしれません。


 これからも、ご一緒に、創造を巡る旅に出ましょう・・・。
                  
                  Mio

 

 




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