見出し画像

エクセレント・ベィビーズ  第一話

#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門
あらすじ

 西暦2070年、人類は、マトリックスという人工子宮で子供を誕生させるようになっていた。
生まれてきた平和的な彼らエクセレント・ベィビーズと、自然出産で生まれた感情豊かな、アーティキュレーターと呼ばれる人々が、お互いを尊敬し合いながら理想的な社会を築いていた。

 そんな彼らの生涯教育の場である、スコラ・カルペディエムの校長である主人公達一家は、自然破壊が一層進んだ地球から、一家で宇宙ステーションに移住するが、月で地質調査をしていた長男と次男は、既に破壊された文明の痕跡を発見し、もはや月には移住できないと悟り、西暦2000年の地球人に警告する為、一家は、タイムマシーンで、地球にやって来たのだが・・・。


1、マトリックス・べィビー
 
 
人類が、受精卵を人工子宮で育み子供を誕生させるようになってから久しい。
今では、何処かで自然出産があれば一大ニュースとなり、そのニュースは世界中を駆け巡る。

 西暦2020年頃の情報では、生涯で一人の女性が子供を産んだ最高記録は、1925年から1965年の40年間に渡り、二十七回の出産で双子や三つ子や四つ子まで生まれていて、六十九人も生まれたのが最高だったそうだ。

 西暦2020年頃の我が国では、出生率が低下の一途を辿り、もはや人口減少は、食い止められないところまで来ていた。

 しかし、五十年が経過し、我が国と世界の人口増加は、ここ数年、史上最高の数値を更新しており、日々何処かで多くの新しい生命が誕生している。

 その理由は、人の誕生が、自然出産よりもっと確実で、効率の良い方法でなされているからだ。
 
 つまり、女性の体内から卵子を取り出し、それに精子を受精させて、胎児はMATRIXと呼ばれる人口の子宮の中で、スクスクと安全に育てられるのだ。
或いは、受精卵を体外から取り出し、文字通り卵で生んで、人工子宮で育む。

 可能性だけで言えば、毎月卵子を取り出せば、年に卵子が12個、それに先ほどの子供を産んだ数の最高数の女性の出産可能年数の四十年をかけると、なんと女性一人が生涯で四百八十人も誕生させることが可能なのである。

 産婦人科は、産科と婦人科が切り離されて産科のベットは、この人工子宮にとって変わり、当然母親のベットは必要ない。
十月十日、或いはその期間前後の時が経過し、理想的な状態に胎児が成長したら、誕生日もある程度調整できて、出度く誕生となる。

 勿論、夫婦間での受精というのが前提ではあるが、時には、男性か女性の単身者に卵子か精子の提供者がいる場合、高齢の夫婦が若い頃にお互いの卵子と精子を凍結しておいて受精させる場合や、男性同士、女性同士の場合もあり、いろんなケースの様々な家庭の事情と、パートナーとの関係性の中で、子供達は次々と誕生していった。

 国際的な審議会のような場とそれに関わる様々な機関があり、そこでは、医学、生理学、生物学、生命科学、物理学、天文学、等の自然科学、宇宙工学、機械工学、法学、心理学、哲学、倫理学、宗教学等のありとあらゆる分野の重鎮たちが集まり、各分野の観点からの審議、討論がなされ、国際的なコンセンサスが得られており、さらに国際的な法律が定められていた。

 数年前から、この地球的規模での人口増加の変化に対応して、成長した関連産業は、巨大企業に成長し、嘗の自然出産だった時代のベビーブーマー世代がもたらした、消費で産業自体が成長していく過程のように、前もってその消費動向を予測できるとあって今までの各産業の割合の分布図を、一夜にして塗り替えるほどの勢いだ。

 当然、人口の増加とともに、消費者人口も伸びて、経済も右肩上がりに推移して、世界は空前の好景気に沸いていた。

 女性は、出産の痛みなしに子供を持てるだけではなく、出産のリスクや、仕事へのマイナス影響も避けることができ、子育てや家事の負担は、男女が平等に負担するようになった。
卵子、精子の段階で、不安があれば受精を見送るかどうかの選択も国際基準法と倫理規約にさえ抵触しなければ自由だ。

 もちろん、自然出産も自由ではあるが、最近では、誰もがそんなリスキーな冒険はしなくなり、出産時の乳児と母親の死亡率は激減、望まぬ妊娠の結果や経済的理由での堕胎の数も激減した。

 批判する人もいるにはいるが、それは、旧体然とした嘗ての管理社会の特権階級の人達で、やがては、優秀な、彼らに自分たちの階級も塗り替えられ、入れ替えられるのではないかと恐れてる。

 しかし、物事は、いいこと尽くめでは終わらない。
人口増加に伴う食糧不足と、毎年のように起こる自然災害の脅威、宗教や倫理観の違いによる対立など、思わぬところで予期せぬ出来事が起こっている。

 対策として、大抵の家には、郊外に畑や、食料貯蔵庫をもっており、大都会よりも子育てにふさわしい環境を求めて都市近郊では無く、都心から離れたところに家や不動産を持つのが常識となっていて、思わぬところで別荘ブームが到来し、田舎の土地の価格の高騰により、過疎化の一途だった地方の発展は目覚ましい。

 人々は、いよいよ難しくなってきた安全な食料の確保に忙しく、反面、多くの分野の仕事は、AI化した分、余暇にも多くの時間が割けるようになってきているのだが・・・。

 5人以上、子供を持てば国からの育児補助金制度もあり、医療費と教育費は、子供が成人する十八歳までは、原則無償で、大学も奨学金制度があり、家庭の経済事情に関係なく進学でき、優秀な子供たちは、将来、得意な分野や、好きな分野で活躍することを約束されている。

 このマトリックス・ベィビーズは、マトリックス保育器の中で育っている間に、上質な栄養を与えられ優秀な講師から、胎教を施されているので、いろんな意味で非常にタフで優秀なのだ。

 穏やかで心優しい彼らは、胎教により、プロト・ブレインという特別な脳細胞を生まれる前から他の人より余分に持って生まれてきていて、他人を思いやるゆとりがあり、近年の少年犯罪の減少は、彼らの誕生の賜物といっても過言ではない。
彼らは、エクセレント・ベィビーズ、略してE・Bと呼ばれている。      

2、スコラ・カルペディエム

 しかし、そんな彼らにも少なからず、欠点はある。
感情表現が苦手で、芸術性に疎く、というより芸術そのものが苦手なのだ。

 胎教の時点で、芸術性は後天的に獲得するという規約があり、芸術は、唯一人間が自由に創作・表現できる分野であるから、生まれ持っての芸術的才能がなければ、誕生後に自由に選択できるような幅を持たせているために、誕生後、選択可能にしてあるのだ。
そうでないと、世の中のバランスが悪くなる可能性があるからだ。

 胎教は、母と子の自然な波動の交流による、母親の癒しを基本とし、一般的には、母と子の情操教育と、ビジョン・リーディングを実践している。
ビジョン・リーディングとは、母親が、生まれてくる子供に幾つかの質問をして、講師が胎児に予めリーディングにより答えを聞いて書いておいて、母親の質問と、後で一致させると、不思議に答えと質問が噛み合うのだ。

 講師には、高いリーディング能力が必要で、基本的には、母親が穏やかでリラックスした、妊娠期間を過ごし、胎児と心を通わせるのが、胎教の一番の目的である。
たとえ、人口の子宮で生まれるとしても・・・。

 反対に圧倒的少数派の自然出産で生まれた子供たちにも、当然、胎教は有効で、生まれてきた子供達は、人間的に非常に魅力的で、勉強こそ苦手で成績もそこそこだが、自前の直感的、芸術的な才能がある。

 少数派であるが故に大切にされて、まるで英雄のように多数派のE・Bたちからは慕われていて、彼らの指導的立場にいることが多い。
そうして、彼らの母親たちは、自然出産に挑んだ勇気ある女性として、マドンナの称号が与えられる。
夫はその母親の妊娠期と出産を支えた功績でナイトという称号まで与えられる。
 
 そうして、感情表現や芸術的センスを養う学校の優秀な指導者として彼らの職業は確立していった。
彼らは、アーティキュレーターと呼ばれて、豊かな感情表現や芸術鑑賞や、解釈の感性や、時に形而上学的な事等にも触れ、E・Bたちを、聡明かつ穏やかで優しい人格へと導いた。

 もはや、成績などで人を振り分けたり、差別する学校は影を潜め、多様な個性を発揮するアーティキュレーターのように豊かな才能のある者は、教育界では引っ張りだこであった。

 我々の学園もその中にあって、先駆者的な学校の一つであった。
『スコラ・カルペディエム』と称する学校法人で、開校は40年前で、古代ローマの詩人、ホラティウスの詩の一節にある言葉、『今日一日の花を摘め』という名言を前学長の母が祖母の遺稿の中から探し出して、学園の名前にしたらしい。
 
 祖母の亡くなる、13年前までは、違う学園名だったが、ラテン語の方が、クールだという母が名前を変えた。
我が校は、ここ10年で生徒数を急速に増やしている。
つまり、生徒数の増加と、E・Bたちの誕生は、正比例していると言える。

 政府の関連機関とも連携し、E・Bたちをより豊かで幸福感を得られるれるような生活感覚を持たせるようにと授業の内容を研究し、日々研鑚を積んできたでおかげで、国内では中心的な役割を果たしてきた。
 その上、教育審議委員会の会長という大役を担うことになった。

 学園の、ある日のカリキュラムをお伝えしよう。
午前中は、身の回りを整える為の、家事全般、調理実習、当番制の作業から始まり瞑想や呼吸法、五感を鍛えるトレーニング、武術や射撃、運動やゲームなど、午後は、絵画や音楽、文学、等の芸術について学ぶ、他にも演劇や古典芸能、自国他国文化などの研究もあり、もちろん、生物学、化学、物理、量子力学、化学、地学、数学、医学、生理学等の選択も自由である。

 試験はないが、学期ごとに自由テーマの論文と口頭試問、心理学テストや、哲学、美学、倫理学、論理学をベースにしたディベート等、生徒の成長と成果の確認は、定期的に行われ、その項目は多域に渡っている。

 生徒達は、自分でカリキュラムを組んで、自分の好きな授業に参加することができるし、順位を競う試験はない。
我が校では、試験とは、教えられる側の問題ではなく、教える側の問題なのだ。

 年齢の枠は設けていないが、大まかに三歳から六歳までの幼児、七歳から十二歳までの児童、十三歳歳から十八歳までの学生、そこまでが、義務教育で、それ以降は修士生と呼ばれ学びたい時には、いつでも学生に戻れることになっていた。

 そして、幾つになっても本人の希望さえあれば、卒業しても好きな科目を受講可能である。
中には、一生学生として学んでいる人も沢山いる。
学びたければ学び、したいことがあればする。
当然、学歴なんかは、関係ない。
要は、何ができるかということと、どうしたいかということだけである。

 恋愛も自由で、義務教育が終われば結婚も可能で、法で縛られた関係でなくともカップルは正式な関係として認められる。
恋愛至上主義とまではいわないが、恋愛は感情表現の苦手なE・Bたちの憧れで恋愛をテーマにした本は、嘗てないほどの人気ぶりで、その種の本は、年間何万冊もが電子本の新刊として出版され、速読能力の高い彼らは、年に数百冊以上を読破してはお互いに自慢し合う。
 
 しかし数十年前まで、こんな世界が訪れると誰が想像しただろうか?
私の祖母たちが生きた、西暦2000年では・・・。
母の話では、祖母も、2000年まで教育関係の仕事をしていたらしい。
祖母の取り組んでいた『胎児教育』とは、生まれる前からの胎児への教育に母親と共に取り組む教育のことだ。

 昔からある日本の育児法だが、要はお腹に赤ちゃんのいる妊産婦は、赤ちゃんとは一心同体で、母親が健やかならば、子も安定して順調に育つということらしい。
明治生まれの、祖母の祖母は、祖母が妊娠中には、
「素晴らしい音楽を聴いたり、絵画を見ると胎教にいいのよ。それから、俳優さんや女優さんの写真を貼っておくといいわ。トイレの掃除もしっかりやるのよ。そしたら、美男美女が生まれるの。」と、言っていたらしく祖母の祖母は、迷信めいたことを胎教と思っていたらしいのだ。

 1980年代、祖母が試験的に始めていた、もう一つの『潜在能力開発』とは、祖母が直感的に感じた取り組みをプログラム化して、幼児や小中学生にも潜在意識を使った能力開発の実験的な授業を展開していた。

 当時としては、斬新な、イメージ・トレーニングやヴィジョン・リーディング、ヒーリング等も授業で取り入れていた。
当時、潜在意識とか、思考は実現化するとか言うと、多くの科学者は、否定的な意見で、それから20年も経つと、今度は、最先端の科学者が祖母が直感的に実践していた取り組みを、量子力学で証明すると言う、皮肉な結果になっていた。

 お腹の胎児は、潜在的に宇宙意識とつながっていて、その波動を母親と共有するという自然かつ斬新な方法で、胎教でも思わぬ成果があった。

 その画期的な取り組みは、異端とされていた時期があり、現在では、我々の教育のメソッドの先駆けであったわけなのだが、当時の利益優先の教育産業全盛の中にあって、上層部と意見が合わず、主人や姑の理解も得られずその仕事を断念し、祖母は別の道を選んだ。

 祖母の時代の1970年代の女性たちは、男性優位の社会の中で姑や主人の言うことをきかなければならず、その封建的な時代錯誤のような家庭環境の中に嫁いた祖母は、仕事と子育てや家事や姑の脅威の中で板挟みになりながらも、随分と苦労して、懸命に子供たちを育てながら、主人や姑の内助の功も勤めながら、仕事をしていたらしいのだ。

 一方で、母は、自由な気風の家庭で育った父と結婚して、僕が生まれた。
父は、生物学が専門で大学で教えていたが、母と結婚する頃には、起業するための準備をしていて、大学や専門学校の講師の他に、副業のネットで稼ぐ仕事をしていたらしい。

 その後、この学園を祖母の時代から発展させ、芸術学専攻の母と立ち上げて、父が亡くなってからは、暫定的に母が、そして現在は母から引き継いで僕の代になり
今に至っている。
僕も、その自由な気風の中で育てられた、つつましやかではあったが・・・。

 僕は、E・Bではなく、妻もそうではない。
当然、妻は、マドンナ、僕もナイトの称号を持っている。
子供たちは、優秀なアーティキュレーター候補として育ち、百歳まで生きて十三年前に亡くなった祖母が、一番可愛がっていた僕の長男も、今年、二十歳になった。
伴侶になるような人はまだいないようだが彼もまた,三代目としての修行を積んでいるところで、家を出て独立し、今は、海外の教育機関にいる。

  次男は、十八歳で大学で地質学を研究している研究生で、以下の三人の子供たちも、まだ学生で、長女が十六歳、次女が十四歳、そして、次女とは、十歳も、歳の離れた三男が四歳で五人の子供がいる。まだ幼くて一緒に住んでいるのは、四歳の末っ子と次女、次男と長女は、我が校の寄宿舎で生活している。

 
エクセレント・ベィビーズ 第二話

3、地球環境 

 一昨年の終わりぐらいから、地球環境の変化が著しい。
悲鳴を上げ続けていた地球が、いよいよ限界なのかもしれないと連日報道されている。

 その日の朝、自家菜園から収穫した野菜と穀物で作ったサラダとパン、自家養鶏所で採卵した卵のオムレツ、自然農園から送られてきた果物のジュースの朝ご飯を作りながら、私は、数カ国からの海外ニュースを3D映像で見ていた。

 食品物汚染のせいで、最近では、原因不明の新しいタイプの病気や、新手のウィルスによる感染症が多くなり、食事に気を遣うのは、当然のこととなって、ビーガンやオーガニック愛好者は、人口の8割以上を占めるようになっていた。

 かつてのようにファストフードやインスタント食品を選択する人は少なくなったが同時に健康維持に必要な栄養素だけを摂取し、食事に時間をかけないスタイルもトレンドのようだ。

ニュースは、続いている。

世界中の海岸では、海水温の上昇のため、数メートルも海面が上昇し、海沿いの町が年々消滅していく様子の映像が、映し出されていた。
祖母が晩年まで住んでいた海辺の家も、数年前に海中に沈んでしまっていた。

 南半球の大陸では、山火事が相次ぎ、ヨーロッパは、灼熱の夏に、そして予想以上に低温化して厳しい冬に毎年苦しんでいる様子や、北半球の島々が、毎年のように影響を受け、南太平洋の島々の住民は環境難民とよばれ、世界の人口分布の地図は書き換えられるだろうというニュースを同時に3D映像で見ていると、緊急ニュース速報が流れてきた。

 ニュースでは、食べ物や水の汚染が進み、人々は、食べ物からではなく、安全な人工栄養サプリメントやエネルギー摂取のためのドリンクなどを常食とする人まで現れてきていた。
昨年あたりから、栄養をガソリンスタンドのようなスタンドで、摂取する若者がトレンドとして話題になり、我が校の生徒の何人かが、試してみたようだ。
その感想は、時間がかからず、忙しい時は便利だということらしい。

 その結果、更に宇宙食の開発が進み海外では、数年前から、他の星への移住計画が進んでいて、我が国でも、今年から試験的に、惑星移住を押し進める計画があるという速報だった。
 
 ちょうどそこへ、妻が寝室からダイニングへやってきた。
「おはよう、あら、緊急ニュースね。」
妻は、睡眠不足解消のマシーンを昨年開発して、その試作第一号を自らが実験台になって使って目覚めたところだった。

 その、繭のような形から、『コクーン』と呼ばれるマシーンは、睡眠不足解消とアンチ・エージングの両方を兼ね備えている優れもので、妻は今の年齢よりも二十歳も若く見えるし、自然出産を五回も経験したとは思えない程、気力と活力に満ち溢れている。

 更に、緊急ニュースは続く。

 人類は、ますます殺風景な人工的空間と荒れた自然、味気ない食物と無機質な環境で生活することを余儀なくされている。
若者から、地球の脱出計画に賛同する他の惑星への移住を準備するためのクルーを募ると言い終え、先ほどの速報は、終わった。

 「さっきから、地球の温暖化が進み過ぎ環境がすっかり変わってきたというニュースばかりさ、同時に、緊急速報が流れて、意図的に効果的だな。」
妻のために作ったジュースを受け取りながら、妻は、
「ありがとう、ん〜美味しい。その反動のせいか、スコラ・カルペディエムでは、贅沢ともいえる自然教育カリキュラムを実践しているから、毎年、生徒が増え続けているのね。」
「しかし、生徒の中からもこの移住計画に参加する者がいるかもしれないじゃないか、移住先の惑星にも我が校の分校が必要になるかもかもしれないな。」
「そうね、私が開発した、マシーンも移住先で役に立つといいんだけど・・・。
まぁ、美味しそうな、オムレツだこと・・・。」
「どうぞ、ごゆっくり召し上がれ、僕は、もういかなくちゃ・・・。今日は、朝一で会議があるんだ。」
「子供達は、まだ寝てるから、起きたら朝食を取らせて、私が登校させるわ。」

 妻は、いつも僕の作ったオムレツのレアの加減が妻好みで、最高だと言うのだ。
私は、行ってらっしゃいと、投げキスをしながら、朝食のオムレツに夢中な彼女を尻目に、出勤の準備をして、自動運転車に乗り込んだ。

 学園までは、数分で着くことができ、途中、朝刊も、3D映像で読める。
学園につけば、動く歩道で運ばれ、学長室まで歩かずに行けてしまうこの便利さがどこまで必要かは考えたこともなかったが、今に思うと持続可能な地球の環境を守るために一旦、みんな一斉に全てを過去に戻してはいかがかな、とも思う。
具体的にはいつ頃まで戻せば良いのかわからないが・・・。

 そんなことを考えながら学園長室に着くと、秘書がぴったりとしたスタイリッシュな紫外線防御用のスーツを着込んでいて、髪を流行りのグリースでソフトクリームのように、固めていた。
「おはようございます、既に、皆さんお揃いで、お待ちかねです。」
と、私を急かすように言った。
「え、まだ、始業時間前じゃない。」
と私がいうと、
「そうですが、何か重要なお話があるようで、皆さん早めにお越しです。」
と、秘書。
「なんだろう?」

 私は、秘書から、会議の資料を受け取ると、サッと自分のブリーフケースの中にある情報映写機にセットした。
この映写機は、必要な資料をいつでも今かけているメガネのレンズやコンタクトに移して見ることのできる映写機で、紙の書類を持ち歩かなくても映像データをかけている眼鏡のレンズにいつでも取り出せる。

 会議室に入るまでの間、大まかなレジュメの内容をこれで確認し、必要な資料にもサッと目を通した。
どうやら、政府の惑星移住計画推進メンバーが来ていて、優秀な人材を最初の先発メンバーとしてスカウトしに来たらしいのだ。
徐に会議室のドアを開けると、そこには学園の理事数人と教職員の他に、男が二人座っていた。
        

4、移住計画
 
 よく見ると、移住計画推進メンバーの二人の男たちは、以前政府の主催する会で会ったことのある人物達だった。
一人が地球温暖化問題、もう一人は、海洋汚染問題の専門家で、開口一番、挨拶もそこそこに、現在では、もはや戦争という言葉は死語で意味がないとの見解を伝えた。

 戦争をしても問題解決の糸口は見えず、地球上に我々の住む場所がなくなるだけで、戦争という無益な行為は、自然破壊以外の何ものでもなく、人類滅亡への道を辿るに等しく、自分たちが葬られる前に、永久にこれを葬り去らなければ、地球が巨大な墓場と化す前に、という世論が各国の政府を動かして、先の国連会議で各国代表の満場一致で戦争の永久放棄が可決された、と、私は、思った。

 今までの戦争放棄は、原爆も然り、一国だけでは意味がなかったのだ。
すべての国がこれを支持してこそ初めて、その効力は絶大なのだ。
やっと、人類は、そこにたどり着けたわけだ。

 しかし、と男の一人、地球温暖化の専門家が続けた、
「平和が訪れても、我々が住むこの地球自体に、限界が来ることは、目に見えています。2040年には、月への移住が始まり、その計画は、当初成功するかのように思われたのですが、地質学の専門家によれば、既に月にはかつて移り住んだ生命体が残した、文明の痕跡が発見されており、それであれば、別の惑星に我々の中から、移住計画を進めるための先駆隊を募って、いつ何時、もしものことがあれば、移住できるような準備を始めなければならないのです。」
会議に参加した我が校の理事や教職員達も彼らの話に賛同しつつ、耳を傾けていた。
私は、彼らの意図を計りながら、
「しかし、移住には、当然リスクが伴うわけです。希望者を募るといっても、そう簡単には、将来前途ある若者達を行かせるせるわけにはいかないでしょう。」
推進メンバーの一人が、
「そのとうりです。ですから、段階的に希望者を募るのです。」
「段階的に・・・。」
私は、彼らの方に身を乗り出した。
「そうです。段階的に・・・先ずは、すでに各国の共同宇宙開発の過程で、宇宙空間にあるステーションへの試験的移動から始まるのです。それも、かなりの時間がかかるでしょう。その後で、すでに調査済みの惑星の中から地球と一番条件の似ている、近い距離の惑星を選んで、先駆隊を派遣しそれから徐々に進めていく計画です。」
私は、重ねて聞いた。
「まずは、宇宙ステーションへの移住計画の先駆隊のクルーを募集しているというわけですね。」
「そうです。」
他の会議の参加者の中からも、次々と質問があった。

 私は、その間中、幸せとは何かということを思っていた。
現在の我々が手に入れた、幸せとはなんだったんだろうと。
経済的豊かさ、便利さ、快適さ、地位、名誉、平和、家庭、知識、能力、環境、家、故郷、祖国・・・。
今では、我々は、多くのものを得ている。
ただ一つ、今後の問題は、それを維持する場所がないのだ・・・。
我々は、足元がなくなることに気づかずにきたのだ。
いや、既に気付いてはいたが、なす術がなかったのだ。
あまりに忙しすぎて、全て経済中心の、即物的な次元の現生利益に縛られてしまっていた。
日々を、呪文のように、『自分だけは、自分の家族だけは、大丈夫。』と唱えながら・・・。
 
 今後、どうなるのだ、私は、家族は、同胞は、今となっては、世界が同じ土俵で、人類はすべて同胞なのだ。
こうなってみて初めて、戦争を放棄することを決めた人類は長い間、なんて愚かだったんだろう。
我々は、この地球という星に生まれてきた同胞で、その故郷は、限りなく広い宇宙でただひとつの、唯一無二の、この地球なのだ。
我々の、祖星・・・地球。
ああ、もう手遅れなのか・・・。
できることなら、時間よ、戻れ。
この地球が、持続可能な時代まで・・・。

 嘗ては、人類の夢といわれた、月への移住計画も既に10年を経過していて、移住者には、移住する前段階の訓練と、移住後の法律的な問題を解決する段階にきているが、先駆隊のメンバーの中には次男もいて、月の地質の研究をしていたが、最近大学の研究室に戻ってきている。

 次男の仲間の研究者の中には、宇宙腺被曝の影響で、すぐに地球に戻ってきた者もいたが、次男は、妻の提案で、妻の開発した精錬していない、セリシンタンパク質が落ちていない絹織物、帛の下着を身につけていたので、それほど、宇宙線の影響は受けていなかった。

 月では、植物も野菜も作れないので、当然肉や魚などのタンパク資源も肥料がないので飼育ができず、地球から運ぶしか無く、無重力の環境では、骨もスカスカになってしまい、次第に筋肉が弱り、歩けなくなる。

 そもそも、今この地球にいることがどんなにありがたく、幸せなことであるか、を思い知るのが、宇宙暮らしであって、そこでの生活は、生活そのものに高額な費用がかかるばかりか、今よりもクォリティが下がる生活を強いられる。

 そんなことを、つらつらと、考えていると、地球温暖化問題の専門家は、
「このままでは、地球の温暖化は、加速します。海上の氷が溶けると太陽の反射が減り、地上の気温が上がり、地上の氷が溶けて流れ出し、海水が増え、さらに気温の上昇で海が膨張すると海面が上がるのです。海上の氷が溶けるだけでは海水全体の体積は変わらないことは、もうご存知だと思いますが・・・環境の変化が、たとえ僅かでも、自然態系をドミノ倒しのように破壊していくのです。」

 もう一人の、海洋汚染が専門の男は続けた。
「海洋汚染によって、海の生き物の生態系も崩れてきて久しいのですが、こちらは、大気と違って目に見える分、対策は打てたのですが、最近、海の生き物の多くが取り込んでいるプランクトンに変化が出て、食物連鎖で魚の体内に蓄積されて、脂肪の中に取り込まれたPCBなどが二時的に変化して、さらに有毒化してきてそれが影響し今まで以上に海の生物の存続が危なくなってきているのです。海の生物は、さらに悪いことに、死ぬとそのまま海の中にいますからね・・・。」

 私は、彼らの言葉を心の中で、反芻しながら、まるで自分達が行き場のない小動物のように、わずかな面積の足場しかない絶壁にいるように思われた。
彼らは、それから先にあるさらに重い言葉を探しているように、目が空中を泳いでいた。

 緊張した場面を、切り替えようと、私は、お茶でブレイクすることを提案した。
「ご安心ください。これからお出しするお茶とコーヒーは、学園の生徒達が自家農園で栽培した無農薬のものですし、クッキーもスコーンも手作りですから・・・。大気汚染と水の汚染も心配ない、サンクチュアリー農法です。」
高々、お茶を振る舞うだけなのに、なんでこれだけの口上をいつも言わなくてはならないのだろうかと思うと、情けない気もするが・・・。

 サンクチュアリー農法とは、土地の来歴を見て桑畑だったところを探し、農地にするのだ。
なぜなら、蚕の食べる桑の葉は、最初から無農薬なのだ。
そうでないと、それを食べる蚕が死んでしまうからだ。
栽培用の水は、無毒のものをさらに精製して作った。
肥料は、そこでできた作物しか食していない生き物や、そこで栽培した植物から出された、有機肥料だ。
大気は、ドーム型の覆いをかけた中で、巨大な空気清浄機で綺麗にした空気の中で農産物を育てている。
それを、農薬を使っていない桑畑と汚染した水や外気が入ってこないというこで、いわば聖地での栽培法、サンクチュアリー農法と呼ぶことにしたのだ。

 「それは、ありがたい。」
移住計画推進担当の二人の男は、ここにきてやっと表情がほぐれた。
間もなくして、秘書とサポートの三人の若者が、ワゴンにお茶の準備をして入ってきた。
二人一組になり、一人はお茶をカップに注ぎ、もう一人が提供する連携で、両端に分かれて、驚くほど素早く、瞬く間に十二、三人ほどの参加者全員にお茶をサーブした。

 彼らは、秘書以外は、うちの優秀な卒業生で、E・Bでもあり、事務局のインターンなのだ。
彼ら卒業生の起業率は、我が国一で、世界でも上位だ。
優秀で、情操教育の行き届いた、自由な思想の彼らは、雇われるより、自立する道を選び、経営者として活躍する卒業生が多かった。

 ところで、人が安全性を心配せず食べ物を口にできたのは、何時ごろまでのことだっただろうか。 
私が物心ついたときには、すでにかなりの病気の原因が食物にあったと言われて、それから何十年も経っている。

 おそらく、この国が高度成長期に突入して公害問題が起きる前までは、安全だったのではないだろうか。
そうすると、祖父母がまだ子供の頃の百年以上も前のことになる。
そこまで戻れるのか、否、戻れないだろう。
それでは、いつまでだったら、戻ることが可能なのか・・・。
私は、再びさっきまでの自問の答えを探していた。

 徐にカップを置いた二人の推進委員は、しばらくお互いの顔を見合わせていたが、そのうちの一人、地球温暖化の専門家が、
「それから、これは、極秘の情報です。某国の宇宙情報機関の情報ですが、もしかしたら、他の惑星にも、生命体が住んでいただ痕跡があるということなんです。」
理事の一人が、
「え、それは、宇宙人ということですか?」
それに答えて、
「そうゆう確実な情報はないのですが、この宇宙には、人類以外の生命体が住んでもいいような可能性がある星はいくつもあるのですから・・・。私が言いたいのは、その星は、以前何か生命体が住んでいて、もうすでに住めない状態にあるのかもしれないということなんです。」

 私は、さっきまでの希望的観測をすべて捨てて質問した。
「もしかしたら、他星人に捨てられた星ということでしょうか。」
「それは、まだわかりません。」
と、海洋汚染の専門家が答えた。
「その可能性も含めて考えても、移住計画の前段階、宇宙ステーションへの人員配備は、必至です。」
こうなったら、内容は、理解したことを伝え、こちらだけで審議させてくれというしかない。
もはや、地球からは、逃げ出す場所もないということか・・・。

 私は、徐に立ち上がって、会議場を見渡し、言った。
「移住推進委員の方々、本日は、ご足労いただき、貴重なお話をありがとうございました。しかしながら、宇宙ステーションへの先駆隊を我が学園の卒業生の中から募るという話は学園内でも審議して、今後よく話し合っていかなくては、なりませんので、暫くお時間をいただきたく存じます。戦争の永久放棄の情報は、まだ、世界全体には報道として出ていないようですので、しかるべき時期に、生徒達にも伝えるように準備いたしますので、その際は、ご連絡いたしまして、審議後の結果もご報告させて頂きます。」

  一瞬、緊張した時間が流れ、その後、会場からは、微かなざわめきが聞こえていた。
学園の理事と教師、国の移住推進委員会のメンバーの専門家たちは、解散後、自動運転車に乗って、三々五々、帰っていった。


エクセレント・ベィビーズ 第三話


5、旅立ち
 彼らが帰った後、私は、急いで自宅に戻った。
海外の教育施設で、教育学を研究している長男に、今回の移住の情報のことを聞いてみようと思ったからだ。
長男を呼び出すと、彼は、立体映像となって3Dスクリーンに登場した。

「お父さん、久しぶり、何か用?・・・。」と、長男。
「やあ、そちらは、どうだい。」と、私。
「元気でやってるよ。」と、長男。
「今日、政府の惑星移住推進委員会のメンバーが、学園に来たんだ。いよいよ移住計画を実践するらしくて、その先駆隊メンバーを学園から募るというんだ。」私は、少し早口で言った。
「うちにも、来たよ。」と、長男。
「そうか、早いな。」と、私。
「だって、この国の方が、宇宙開発は先だよ、当然さ。」と、再び長男。
「そうだったな、それで・・・お前・・・まさか・・・。」と、私。
「そう、志願したよ。」と、長男。
「やっぱり、志願したのか・・・。」と、私。
「お父さんこそ、志願しようと思ったんだろう。」と、長男。
「図星だ、お前には、叶わないな・・・。」と、私。
「母さんには、どう言おうか?」と、長男。
「そ、そうだな。」と、私。

 私たちの家系は、代々、血の気が多い家系だ。
後先考えずに、したいことを行動に移す。
祖母の時代には、学力のレベルが高い学校ほど名門校と言われていたそうだが、唯一そうでない全寮制の名門校が海外にあったそうだ。

 そこでは、生徒の得意分野の専任教師が一人につき一人ずつついていて、学問が苦手な生徒には、冒険家としてのカリキュラムが用意されていて、将来、冒険家として活躍して、万が一、遭難しても、同級生が世界中の王族や政府の要人としていたりするので、同窓生の為とあっては、その救助に軍隊を出動させてくれたりするのだそうだ。
と、興味深そうに、祖母は話していた。
「きっと、うちの家系は、救助されるほうね。」
と、祖母は、面白そうに、いつも笑って言っていた。

 私は、そのことを思い出しながら、
「母さんには、私から、話しておこうか。」と、言うと長男は、
「父さん、僕の志願のことを言うと、母さん泣くかもな。」と、長男。
「そうだな、家族のうち、二人も行くとなるとな。」と、私。
「もっと、悲しむかも・・・。」と、長男。
「マドンナだからな・・・。」と、私。
「父さんこそ、大丈夫?・・・。」と、長男。
「ああ、いや・・・。」と、私。
「お母さんも、お父さんも二人とも、大丈夫かなぁ。」と、長男。

 そう言って、長男は、明日から、移住計画先駆隊の訓練を受けに行くと言うので、宇宙ステーションでの再会を約束して、長男は、3Dスクリーンから消えた。
 
 家に着くまで、重い足取りの私は、あれこれと思い悩んだ挙句に、いきなり話を切り出すことにした。

 ところが、思ったより妻は協力的だった。
最初、少し悲しんだ後に、思いついたように、家族みんなに告げた。
「家族みんなで、行きましょう。」と、妻。
「ええーっ。」と、家族一同。
「・・・。」と、私と次男。
私も次男も、地面から、30cmほど地面から体が浮かび上がったように感じた。
「みんなで行けば、怖いものなんかないわっ・・・。」と、妻。
確かに、そうだ、さすがマドンナ。
下の子ども達も、皆喜んで、まるでピクニックでもいくような気配だ。
「宇宙!宇宙!宇宙!・・・。」と、子供たち。
「お前達、よく聞くんだ。」と、私。
私は、説得する立場が逆さまになったので、動揺しながら言った。
「みんな、宇宙で、死ぬかもしれないんだよ。そうすれば、もう、この地球には帰ってこられないんだ。」
長女が、当然というように落ち着いた口調で言った。
「でも、このままいても、いつかはこの地球に住めなくなる日が来るんでしょう。」
そのとうりだ、だから行くんだ、と私は心の中で言った。
 次男以下の子供達は、家族が離れ離れになることの方が、嫌だと泣いた。
「別の地球、みつけまちゅ・・・。」
一番下の子が、真顔で言った。
それを皮切りに、家族みんなが、ステーション移住の説明のための映像に身を乗り出して、目を輝かせていた。
 
 一年後、私たち家族は、学園を他の理事に任せて、数ヶ月間の訓練を受けた後、宇宙士ステーションまでの宇宙船に乗ることになった。
私たちは、まるで、ノアの方舟にでも乗る気分だった。

 先駆隊のメンバーは、幾つもの宇宙船に別れて乗り込むことになっていて、訓練センターで、それぞれの出発日を待つのだ。
それから、月日が経ち、私たちの出発は、数週間後に迫っていた。

 出発までには、留守宅の管理や、資産の管理、もしものことがあった場合の保険、等々、訓練の他に山のように、片付けなくてはならないことが沢山あった。

 一番辛かったのは、友人との別れであった。
親しい人たちとの別れは、まるで、アメリカ大陸に渡った、清教徒のような今生の別れのように感じられた。
そして、とうとうその日がやって来た。

 別れには、学園の理事や教職員、生徒達とその父兄、卒業生など、多くの人にしばしの間の、お別れの挨拶をしなくてはならず、出発までは、慌ただしく、家族がそれぞれ挨拶すると混乱するので、私が代表して挨拶することになった。

 妻は、「なるほど、宇宙飛行士の出発前のレセプションは、この混乱を避ける為だったのね。」と、やけに冷静だ。

 私は、少し緊張しながら、挨拶に立った。
「長いお別れになりますが、私たち家族は、皆さんにとっても、きっと新しいパラダイスを見つけるでしょう。その日まで、お元気に、また会える日まで、祖国、いえ、地球の皆さん、さようなら。」
私は、そういうのが精一杯だった。
胸がいっぱいで、言葉にならなかったのだ。

 妻も、子供達も、皆別れの悲しみと、旅立ちへの不安と喜びの複雑な思いに胸をいっぱいにしていたことだろう。
 
 宇宙船は、最大出力で、私たち家族を乗せて、地球から飛び立って、宇宙空間へと向かった。
大気圏に突入し、抜けるまでの体に抵抗を感じる時間が過ぎると、いきなり無重力の宇宙空間の静寂の中に放り出される。

 そこで見た、美しい星、地球は、言葉にできないほど、青く、美しい。
海は、まるで青い涙を、潤んだ目に、いっぱいに溜めているように、私たち家族には見えた。

 宇宙空間に放り出されると、なぜだか、般若心経の意味がわかる気がする。
なぜだか、わからないのだが・・・。

「また、会えるといいね。」
誰に向かってかわからないが、末っ子の三男が目に涙を溜めて言った。


6、宇宙ステーション

 
数週間後に我々は、月と地球の間にある宇宙空間にあるステーションに着いた。
同じ規模の宇宙ステーションは、この広い宇宙空間にはいくつもある。

 私たちのステーションでは、食料や水と酸素は、地球から送られてくるが、中には、農作物の栽培を試験的にやっているところもあるそうである。

 ここへ来る途中に気が付いたのだが、既にこの宇宙ステーションの周りには、宇宙開発がまだ無秩序に行われていた時代の宇宙ゴミが散乱していて、その回収の作業に、先発の各国の隊員達が追われていた。

 この様子では、先が思いやられる。
我が国の先発隊員も、その中で活躍していた。
毎週のように、余暇を利用して、ボランティアの人々も、この回収作業に関わっている。

 私たち家族のように、全員で、ここに来る人たちは、少なく、大概は、単身者か、もしくは、若い夫婦だ。

 生活自体は、不自由なところもあるが、自然災害は心配がないし、新しい環境の中でいつも家族といられるので、地球よりも生活自体は、新鮮だ。

 女性達は、水がふんだんに使えないことがご不満らしいが、毎週地球から送られてくる宇宙でも使える、最新の化粧品の中にそれを解消できる優れものができたと、もっぱらの評判で、妻も娘達もその化粧品を使っている。
 
 従って、風呂には、数週間に一度も入れないし、場合によっては数ヶ月になることもある。
専ら、ウエットな不織布で、体を拭くのが関の山だ。

 食料は、被災生活を経験した人であれば、同じようなものを食べていたと思うのだが、インスタントの麺や、缶詰、そして干し肉やゼリーのような乾燥したものが中心で、新鮮な野菜のサラダは、月に数回しか食べられない。

 皮肉なもので、地球にいた時には、口にしなかった食べ物で今では、命をつないでいる。
こうなると知っていれば、たまには食べて慣れておけばよかった。
ああ、新鮮な果物や肉や魚が、毎日食べたいものだ。
地球に帰りたいと思っても、もう遅い。

 しかし、人間の適応能力は、驚くほど優れている。
私たちは、数ヶ月もすると、次第にその、環境と食生活に慣れてきている。

 問題は、医療だ。
無重力空間では、重力がかからないので、骨の成育に悪い影響を及ぼす。
定期的に検査を受けて、サプリメント摂取や、場合によっては、地球への帰還が義務付けられている。
特に、成長期の子供には、骨の検診は、重要で、子供達も何回かその検査に引っかかって、その都度治療と予防対策を実行してきていた。

 しかし、何年目かで、私達の体が、環境に慣れて進化したのか、優れた薬のおかげなのか、その影響をあまり感じなくなってきていた。

 紫外線なども人口的に浴びることもできたが、私たちの体は、透き通って、血管が浮き出てきて、栄養バランスが崩れてきたせいなのか、下腹が栄養失調の子供のように迫り出してきた。

 運動より、頭脳を使うことが多く、後頭部が大きくなり、背は少しずつ縮んでいった。
眼球も大きく、少しだけ飛び出してきている。
宇宙空間での私たちの体は、適応すべく急速に進化していったらしい。

 さらに時間は経過し、私たちの中から、月の調査に出かけるメンバーが選出されることになった。


7、月面探索
 
 宇宙ステーションの移住推進委員会は、我々から、志願者を募り、月へ探索隊を派遣することになった。
長男と、次男が志願し、探索に加わり、これからしばらくは、ステーションを離れることになる。

 数ヶ月後の報告が楽しみでもあるが、すでに調査済みの今までの資料を見ると、我が校を訪れた、地球温暖化の専門家が言っていたことを思い出す。

 すでに、別の生命体が、住みついて、地球のように破壊してしまった痕跡もあるという、あの話だ。
今回の探索は、月の表面ではなく、少し掘ったところを調査するらしいので、大掛かりな、機械搬入に数ヶ月もの時間がかかり、これからやっと探索に取り掛かれる。

 さらに、数ヶ月が過ぎて、息子達の探索隊が、戻ってきた。
途中の交信では、ある、重大な発見があったらしく我々は、それを期待していた。
だが、力なく戻ってきた息子達の顔からは、深い絶望感が読み取られた。
 
 公式報告の前には、家族間でもそのことを言うのを憚られたのだが、それでも差し障りのない部分で、息子達が言うには、やはり、他を探さなければいけないと言うことらしい。

報告会の日が来た。

 長男が、観測隊員の代表で報告することになっていた。
朝から、やや緊張気味の長男は、報告会の日、少し青ざめていた。

「宇宙ステーションの皆様、我々が留守中には、大変だったと思いますが、いろんな面からのサポートを下さって、ありがとうございました。
それから、隊員の皆さん、任務を終えるまでの間、本当にご苦労様でした。心から、感謝いたします。さて、皆さんは、もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが、我々が探している次の移住地は、月ではありません。月ではすでに、他の生命体が住みついて長い時間をかけて破壊して、他の星に逃げ出した痕跡が、随所にありました。長い年月を経て、月の表面だけでは、わからない堆積物の下の層にその歴史の痕跡がくっきりと刻み込まれていたのです。そしてそこには・・・。」

 息子達の表情が凍りついた。
「我々地球人の、文明と酷似した遺跡が、数百メートル掘り進んだところから見つかったのです。」
会場の、どこからともなく、どよめきが聞こえてきた。
「つまり・・・我々地球人は、どこの星に行っても、これと同じことをして、星々を使い潰してきた可能性がある、と言うことです。」
息子の声からは、怒りとも悲しみともつかない動揺が感じられた。
今度は、会場が、月の『静の海』のように静まっりかえった。

 予測を裏切ってか、あるいは、予測どうりか、質問はいくつかあったが、出席者は、科学者が多いので、今までの報告書を見て、おおよその予想をしていたに違いない。

 報告会は、予定より早く終了し、簡単な慰労会の後に、お開きとなった。
我々家族は、息子たちを労う身内だけの晩餐にその夜は、集まった。
妻は、
「大丈夫、みんな一緒だから・・・きっと何か方法があるわ。」
と、娘に言葉を促すように、言うと、長女は、
「そうよ、今回の報告は、随分前から予測がついていたし・・・。」
次女も、
「それより、地球に残った人たちは、もっと大変よ。巨大な隕石が、もしかしたら、地球にぶつかるかもしれないそうよ。」
末っ子の三男は、
「僕たちだけ、助かっても、しょうがないけどさ、とりあえず緊急脱出前に、抜け出せたんだから、ラッキーと思おうよ。」
末っ子の発言に、家族みんなが救われた。 
    

エクセレント・べィビーズ 第四話

8、タイムマシーン

 その出来事があってから、我々の仲間の科学者が、次世代型タイム・マシーンを開発した。その科学者は、量子物理学の専門で、時間と空間を量子単位で移動できるマシーンを開発していた。

 ちょうどその頃、宇宙空間にいるだけで、宇宙線被爆するだけでは無く、装置から発せられる電磁波などの影響で、体調を崩して地球への帰還を余儀なくされる者が続出していた。

 さらに、マシーンから受ける様々なダメージの人体への影響を心配する人も多かった。
その時、電磁波を防御する、睡眠時に使うマシーンを開発していた妻は、以前開発したコクーンを再利用して、その問題を解決して、時空間移動を叶えようとしていた。
「きっと、何らかの、お役に立つと思うわ。」

 実際、量子物理学者の彼は、そのコクーン型のタイムマシーンを実用化してしまった。
万が一、他の惑星でも、居場所がなくなった場合、このコクーン・マシーンとタイムマシーンを合体させたものを作り、過去の地球に脱出ができるかもしれない。
 
 ある日、タイムマシーンの開発者が、我々家族に、試験運転の打診をしてきた。
地球のある特定の年代を選出して、その時代までマシーンを使ってタイムワープしようと言うのだ。
しかし、そう簡単に、移住計画推進本部のタイムマシーンでの試運転の許可は下りなかった。

 また、血の気の多い、私たち家族の血が騒いだ。
当然、科学者は、そこを見抜いていた。
とどのつまり、人生とは、片道切符の後戻りできない、冒険アトラクションのようなもので、人生の挑戦のチャンスは、一度しかないのだ。

 人類は、進化しながらも退化しているので、本来の進化とは、その、退化した部分を補ってこそ初めて、宇宙での進化を実現できる。
失った自然環境を取り戻すのも然り、やはり、この方法しかない。

 私たち人類全ての地球の自然回帰への願いを叶えるには、過去を修正することしか手立てがないのである。

 思考と感情と行動とをフォーカスし統合すれば、人は覚醒という進化プログラムに到達し、その時空を超えた祈りは、遥か宇宙の彼方をも凌駕し、高次元と繋がる事で、全ては完璧に実現化する。

 強いものが、生き残るのではない、この進化のプロセスを理解し行動したものだけが、望む未来を引き寄せて、新しい時代を切り開いていくのだ。

いけ、我が心よ、自由の翼に乗って!
オペラ『ナブッコ』のセリフをもじって、心の中で叫んで意気込んでいると、末っ子の三男が、
「あ、お父さん、おやつはもっていけるの?」と、言った。

 いよいよ、その日が来た。
新しいマシーンをつかつて、西暦歴2000年までに戻るのだ。
あの、祖母の生きていた、2000年に・・・。

 私たちの覚悟は、固かった。
もしものことを考えて、科学者は残ることになったが、我々は、ステーション全体が、休暇に入る、クリスマスの前に出発することになった。
その日は、朝から、みんな落ち着かず、昨夜はろくに眠れなかった。
家族は、無言で、各人を見つめあいながら、マシーンに乗り込んだ。

 友人の科学者は、
「準備はいいかい、少し体に衝撃があるが、しばらくすると衝撃はなくなるからね。」
と言って、
「 Ready?・・・ go!」
と言ってマシンのスイッチのレバーをオンにした。

「私たちは、いつも一緒よ。」
妻が言った。
私たちの合言葉は、
「貴方が、ふるさと!」
家族みんなが、一斉に叫んだと同時に、そのマシーンは、動き出した。

 しばらく経って、私たちは、地球上空にいた。
あの、美しい、我らの母なる地球。
青い、美しい、水を湛えた、地球。
「また、会えたね。」と、三男が言った。
どうやら、私たちは、無事だったらしい。

 上空から見ると、祖母らしき女性が歩いている。
祖母の近くに集音器を下ろすと、懐かしい声が聞こえてきた。
「あれ?UFOじゃない。」と、祖母。
まだ、若い祖母が囁いた。
「あ、宇宙人かしら・・・。」
コクーン型タイム・マシーンの窓から、長男が手を振った!
「宇宙人じゃないよ、僕たちだよ、ひいおばあちゃん!」
「あら、手を振っているわ。なんだか、とっても懐かしい気がするわ。」
私は、堪らずに叫んでいた。
「おばあちゃん、僕だよ!」
祖母が、手を振ってくれた!
どうやら、わかったらしい・・・・。
次の瞬間、私たちは、高層ビルの窓に映し出された、自分たちの姿を見た。
あ、宇宙人だ!
そこには、以前、化学雑誌で見た、宇宙人の姿をした、私達家族が写っていた。

 翌日の2000年12月24日の新聞には、宇宙人のメッセージとして、私たち家族のメッセージが掲載された。
  

チキュウノミナサマへ


ワレワレハ、2070ネンダイノ、チキュウジンデス。
ウチュウクウカンデ、シンカシテコノスガタ二ナリ、タイム・マシーンデ、イジュウサキノ、ウチュウステーションカラ、20??ネンノ、チキュウニヤッテキマシタ。
ミナサン!タダチニ、チキュウノ、カンキョウヲ、リセットシテクダサイ、サモナケレバ、チキュウノ、ミライハ、アリマセン。
                    ウチュウカラ、アイヲコメテ

クリスマスの朝、私たちは、宇宙ステーションへ戻っていった。   
                  Fin                                 
                                                                                                              
 
                               



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?