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013.長いトンネルを抜けて、「文章の力なめんな」と叫んだ夜

実は、記事にナンバリングしている。実は、ってほどでもないが。「000」の3桁でナンバリングしているのは、自分なりのチャレンジだったりする。この「000」の桁数を、使い切ることってできるのかな、と。

3桁って、100とかでしょ。100ってあーた(笑)。ってなるでしょ、自分の中で。

そもそもわたしは、自分の中になにも書きたいことのない人間だった期間が長くて、今だって、なにもこんな、世界規模でどこにも行けずに誰にも会えない状況の中で、日々をつづるったってあーた(笑)。ってなるでしょ。

いまふと気になって「あーた」を調べてみたら(通じるか突然不安になったw)、

あーたは語感が荒いため、目上の人や初対面の人に対しては使用を避けたほうがよい

って日本語俗語辞典に書かれてた!ヤバイ!目上のかた、初めましてのかた、ごめんなさい。

まあでもそれくらい、なにもない日々になにが書けるのか、自分で自分のことを知りたくってワクワクする。やっとそれができる自分になれたんだってことに、感動する。それがどうして感動することなのか、これから3800字かけて説明します。

わたしはこれまでの人生で、「書くこと」についてふたりの人間からある種の洗礼みたいなものを受けた。それは、わたしが「なにも書けないひと」になるための、そういう長いモラトリアム期を過ごすための通過儀礼のようなものだったと、今になって思う。

最初の出会いは、わたしが大学生だったとき。やっとインターネットというものが出現して、ニフティーサーブ、とかメーリングリスト、とかが現れはじめて、それまでは「学校が同じ」とか「家が近い」とか「バイトで一緒」とか、エリアや年齢といったカテゴリでしか人とつながれなかった時代から、「村上春樹が好き」とか「スーパーカー(車じゃなくて、青春ギターポップバンドの方です)とフィッシュマンズが好き」とか、あまり身近にはわかってもらえなかった嗜好性を共有できる、”ライクマインド”な人たちとのつながりが、ネットを介してできるようになった、そんな黎明期だったと思う。

そう、ちょうどそんなときだ。わたしがサラちゃんに会ったのは。きっかけは、とある作家のファンが集うメーリングリストで、定期的にオフ会(オフ会!!)というものがあって、どこかの居酒屋だかダイナーだかで出会った。

たぶん、彼女がメーリングリストに投稿する文章は、刺激的でおもしろかったんだと思う。そして、わたしがメーリングリストに投稿する文章もまた、わりとおもしろかったのではないかと、手前味噌ながら、周りの人からの感想などを聞いて、思ってる。

わたしとサラちゃんは、同年代ということもあって、けっこうその場で話した記憶がある。それからも、クローズドな集まりがあったときは、サラちゃんと顔を合わせた。

彼女はやりたいことがはっきりしていた。「わたしは、ものを書く仕事をする」と言っていた。そしてなんとなく、わたしもその頃そういう道を模索していて、やっぱりこんな風にブログを書いたり、音楽ライターの人のところに弟子入りして、音楽ライターみたいなものを目指そうかな…なんて、思いながら、関係者パスを持ってせっせとライブに通ってはライブ評を書き、アーティストのインタビューのテープ起こしとか、下積みっぽいことをせっせとやっていた時期だった。

そんな、似たような部分のあるわたしたちだったけれど、わたしとサラちゃんは、根っこのところが、真逆だった。それは、今でも覚えている彼女の言葉からはっきりとわかったし、しっかりと完膚なきまでにわたしのやわらかい部分を打ちのめしたと思う。

「ねえ、なんの取り柄も特徴もない、どこにでもいる小娘の、つまらない日常なんて、だれが読みたいと思う? 読みたいわけないじゃない。みんなが読みたいのは、圧倒的にすごい人のなにかか、圧倒的に刺激的な内容のなにかか、そのどちらかだけ。特別じゃなきゃダメなの。」

と。

「だから、わたしはSMクラブで女王様として働いてるんだよ。SMクラブの女王様の書くものがおもしろかったら、それは読まれるものだもん」と、それこそ女王様然とした妖艶な微笑み浮かべて言ったのだった。わたしがなんて答えたのかは覚えていない。

そして彼女は、その言葉どおり刺激的な夜の世界を軽やかにわたり歩き、確固たるアイデンティティーを築き上げて性愛やアブノーマルな業界界隈のライターとして専門性を確立していった。数年前、彼女の名前で出版された書籍が、書店に平積みになっていたのも見つけた。

彼女の言っていたことは、とても正しい。ある意味では。


もうひとりは、ビジネススクールのコンサルタントの人からの言葉だった。彼も、ベストセラーをばんばん出していて、なんか海外とかでセレブな生活をしていて、なんか海外とかでセレブな生活がしたいと夢見るビジネスパーソンたちの憧れみたいになっている、のだと思う(ウォッチしていないので曖昧)。

彼の言葉も、これまたはっきりとわたしから「書くよろこび」を取り去ってしまった。

「鮫島さん、あのね。だれもあなたになんか興味はないんだよ。みんなが興味のあることは、自分のことなの。自分の悩みのことで、みんな頭がいっぱいなんだ。だから、鮫島さんらしい表現なんていらないから、とにかく人の悩みの解決方法を書きなさい。答えを知っている専門家として書きなさい。それしかないんだよ。問題解決じゃなきゃ読まれない。」

と。彼の言っていることも、とても正しい。ある意味では。


サラちゃんからの言葉はまるで「呪い」のようにわたしを支配して、本当に彼女のいうとおりだった。彼女の正しさを、わたしが証明できる。なぜって、当時のわたしのような特別じゃないどこにでもいる小娘のブログは、いつまでたってもどこにも行きつかなかった(今だって行きついているかどうかあやしい)。

けれどサラちゃんは、女王様として、性愛ルポライターとして、セクシャリティーの専門家として、バリバリと自分の道を切り開いている。書いている。読まれている。だから彼女が正しい。

そう思いながら10年間、それでもわたしは、どこかでいつも何かを書いていた。自分のために、ただ、日々のことを。

そして30歳を過ぎ、今度はコンサルタントの言葉を「呪い」のように受け取って、そこからはある期間、大げさじゃなく自分を殺して、問題解決型の書き方に切り替えてみたら、まあアレよアレよという間に、みたこともないようなPV数になって、シェアもいっぱいされて、高額なサービスもけっこう売れた。こうすればよかったのか。彼が正しいんだ、と思った。でも、数ヶ月続けたけれど、書けなくなった。

当たり前だ。そんなもの続くわけがない。今なら当たり前ってわかるけど、その時はわからなかった。魂が疲れ過ぎていて(笑)。

そんな、長きにわたる「書くこと」に関する長いトンネルのような”呪い”の中で、それでもどうしても消せなかったもの。それが、「ことばの力、文章の力」への信頼だった。

そう。わたしは、呪いに屈したフリをしながら、クソ〜!と思っていたのだ。

クソー!ふざけるなよ。言葉の力をなめるんじゃねえ、と。


おもしろい文章や、心を震わせる文章っていうのは、特別で刺激的な出来事とやらに依存しねえんだよ!書いたやつのスペシャリティーとかも関係ねえんだよ!

本当におもしろい文章っていうのは、だれも知らないような人が、朝起きて、朝ごはんを食べて、仕事して帰ってきて、缶ビール飲んで野球中継見て寝る。っていう、そういう日常を書いても、ぜったいにその中に

キラッとしたものだったり、
ハッとさせるものだったり、
くすっと笑わせたり、
ほろっと泣かせたり、

そういう心の琴線にそっと触れるようなことを。

時間を忘れて空間を超えて、
すべての鎖から解き放たれるような
解放感を与えるようなことを、
そうか、生きていていいんだ、

生きるって、
世界って、
自分って、

美しい存在なんだ。

って、

ことばの魔法を使って、キラキラとちりばめられる、そういうのが、文章の力ってやつなんだよ!!!と。

クッソ〜!ふっざけんなコンチクショ〜!!!って、腹の底からメラメラとなんか湧いてきて、それを「ビジョン」として明文化したのが2019年9月の、とあるプログラムを提供するクラス内での課題としてだった。


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2019年9月にこれを出したものの、やっぱり書けない日々は続いたのだけれど、自分で自分にコーチングして、どうしてこのビジョンが実現できるようになったの?って問いかけるセッションをセルフでやった。そこに、自分がどうやって、自分で自分にかけた呪いを解いていったのか、なにを捨ててなにを加えて、そのプロセスを進んでいったのか、やっぱりこと細かに書いてみた。

その、セルフコーチングから書いたものは(2020年1月付ね)、こっぱずかしいので今日のところは公表しないのだけど、それでもそのままのプロセスを歩んだらしい、いまここ、2020年4月。

学生時代からの長くて暗い、出口なんかないように見えたトンネルから、やっと目が覚めたみたいな気がしている。


「生きづらさや不全感を感じながらも日々を営む人々の暮らしに、小さな気づきや、ふっと肩の力が抜けて希望を感じられるような、魂の視点からのライフスタイルをつづる。」

らしいので。はい。つづります。

(ところで、すごい、こんな長い文章読んだの?大丈夫?ホントにありがとう。明日はもっと短くするからね!)

文章を書いて生きていくと決めました。サポートはとっても嬉しいです。皆さまに支えられています。あと、直接お礼のメッセージを送らせていただいておりますm(_ _)m