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0543.さあ、こういうのを、無心に、もっとたくさん描こう


 アレッサンドロ・ジョバンニ・ジェレビーニは音楽と踊ることが大好きで、いい話を聞くと涙ぐんだ。くだらない絵とか音楽に接すると怒り狂って、本人の前でむちゃくちゃにけなした。あの怒りはどこからなんのために来るのだろう、と思わせるくらい真剣だった。
 きっと芸術に関する純粋な愛から来るのだろう、と私は思った。
 私は彼に絵を見せるのがこわかった。ハチなんて私の内臓の延長みたいなものだから恥ずかしくなかったけど、彼ははじめて絵を見せる「他人」でしかもプロだった。
 どきどきしながら全部の絵を持っていって見せた。
 彼はあっという間に選り分けた。
「これはまだ気取ってる、これは見る人を意識してる、これは考えすぎてる。」
 驚くほど正確で、まるで占い。
「これはいい、おお、これは泣かせるよ。すばらしいね。うん、君には才能がある。確かに感じられる。ここには、なにかここにしかないものがある。これはいい。」
 彼は本当に涙をにじませてそれを見つめた。
 その人のなにかきらめくものが出ているものを見ると、涙が出てきてしまうそうだった。
「うん、これはいい。僕はお世辞なんか言わない。君が友達だからってね。さあ、こういうのを、無心に、もっとたくさん描こう。そうしたら、いつかきっとなにかできることもあるから。君のために。」
 彼は言った。
 私は嬉しかった。彼にそう言われたら、自分は絵を描くために生まれてきたと素直に思えた。天国で神様にそういう誓いを立てたことがあるような感じだった。いつか、美しく白い光が輝くようなところで。どんな山よりもはるかに高いところで。
 そう、彼にはその人がなにをしたいか気づかせる才能がある。


『ハチ公の最後の恋人』吉本ばなな




その女の人を見た瞬間、なんとなくいやな予感がした。声を聞いたらもうだめだった。身体中の警報装置が一斉に鳴りひびくようないきおいで「わたしはこの女の人がきらいだ。とてもがまんできそうにない」と感じた。

そんなことは初めてだった。
分別のあるいい大人として生きてきて、多少なりとも苦手な人はいたけれど、顔を背けたくなるほどの強烈な嫌悪感というものをそこまで感じたことはなかったので、自分で自分にびっくりした。

かつて大嫌いだった誰かに似ているのだろうか?大昔、小学校の頃に集団でわたしをシカトすることにした、首謀者だったあさみちゃんに似ているとか?

ずいぶん分析してみたけれど、思い浮かぶふしはなにもなかったし、彼女は特に誰かに似ているということもなかった。ただ嫌だった。

いちばん耐えがたかったのは、声だった。
なにもかもがごく普通に、感じよくこじんまりと清潔感のある彼女が声を発するとき、とても高くて細く、儚げでやさしい音色で話す、その声を聞くだけで思わず顔をしかめそうになるほどだった。

なんでそんな声を出すのだろう?
と、わたしは何度も思って、そして自分のその考えにあとから首を傾げたりした。

なんでそんな声を出すの?
その声は、あなたの声じゃないでしょう?

と、わたしは思っていたのだった。初対面で、まだ会って数十分足らずのとあるカルチャースクール的なクラスの中で、知るはずもない彼女の声なのに、どういうわけかわたしは確信していた。

彼女の声は、そんなに高く、細く、儚げな、弱々しい声ではないということを。
彼女の本当の声は、もっとちがう響きを持っているはず。

それなのに、彼女は自分を偽っているのだった。なぜかわたしにはそれがわかった。どういう理由かはわからないけれど、彼女が後天的に、おそらく戦略的に手に入れたその声。

どこかで彼女は自分のほんとうの声を、捨ててしまったのだ、とわたしは思った。そして捨ててしまったことすら忘れてしまっているのだ。だから今ここでこうして、彼女の声ではない、どこかの誰かの都合と妄想を寄せ集めたような、人工的で舌がしびれるようなチープな甘味料のような声でしゃべっている。

そのことはわたしに彼女への激しい嫌悪感を抱かせたけれども、長くつづくことはなかった。たしかにその声はざらざらとした不快感をわたしに与えつづけたし、そのせいでほとんどそのクラスの講師がなんの話をしているのか、ぜんぜん頭に入ってこなくて残念だったけど(たしか日本全国のさまざまな出汁の種類について学ぶ講座だった気がする)、ただそれだけのことだった。

だって仕方がないじゃないか。なにをどうすることもできない。
彼女の首ねっこをつかまえて「ちょっとあなた。あなたの声はそんな声じゃないでしょう。もっと低くて、深くて、強くて大きな、あなただけの声があるでしょう。その声をどこにやったの。なぜ偽りの声を使っているの。」なんて言えるはずあるだろうか。ない。完全にない。逆に心配されてしまうのがオチだ。
細くて柔らかな偽りの声で、きっと心配そうな偽りの表情で。

ちゃんと本当の声で、大きな声で、「はあ?」って思いっきり豪快にイヤな顔をしてくれればいいのに。そうしたら彼女がわかるのに。そうしたらわたしたちは友達にもなれたかもしれないのに。
でもきっとそうはならないのだ。

そう思ったらあんなに激しかった嫌悪感も不快感も、まるでただ物悲しい気持ちだけが胸に残った。どこかにうち捨てられてしまった彼女の声の在処を考えてみたところで、答えは出なかった。



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