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028.本当に好きだから、いちばん怖い


そういえばどこかに書かなくては、と思っていたのだけれど、個人事業主としてわたしが自分のビジネスの波をライドするときに、答え合わせをさせてもらったり、スパッと明晰な切り口で目を覚まさせてもらったりしているのは、このおふたりだったりする。

椎原崇さん。

と、八木さやさん。


おふたりとも、認知度が非常に高い方たちなので、ご存知の方も多いと思いますが、日頃の感謝とリスペクトの意を込めて。あと、少なくてももしかしたら個人事業主の人も読んでくれているかもしれないので、書いておきます。

椎原さんはメルマガがすごくおもしろいし、冴えてるし、わかりやすくて実践しやすくて、良いなあと思う。
今日のメルマガでも、

怖いことをやって、
嫌なことはやめて、
自分の魅力を認めてあげて、
苦手なことはちゃんと他人に助けてもらう。
そんなことをやっていれば基本うまくいきます。


とか、

シンプルに「ネットで売る力」をつけたらほぼ問題は解決します。
現に、僕の周りの人を見ても、ネットで売れる人はほぼ困っていないし、
逆に、リアルのものをリアルで売っていた人はほぼ全員困っています。
じゃ、やるべきことはわかるよね。
で、これ注意が必要なんだけど、
「自分のサービスをオンライン化すること」と
「ネットでサービスを売れるようになること」は、全く違うものだからなw
圧倒的に後者の方が重要だから。


とか、「それ、だけが、大事、ッス!!」ということを端的にわかりやすく伝える天才と思った。

八木さやさんはなんというか、最先端だよね。

SNSとか、Facebookやインスタとかいろいろあるけどなにを使ったらいいんですか?という問いに対して、「全部使ってください。ていうかその質問がきもちわるいです」って答えていて、そういう質問をしないでほしい、と本気で言っていて、わたしはしびれた。彼女にはいつもしびれます。

そんなこんなで、わたしもしばらく内面に集中して、出すものは外に出し、上記のような方々の言葉で自分なりの答え合わせをしつつ、やっていこうかなと思ってる。

あ、ここからが今日書きたかったことなんですけど。


おととい、なんと、小説、というものを書き上げてしまった。あまりにも自分にとっては大きな体験だったので、やっぱり記録しておくことにする。

そもそもわたしが生まれて初めて小説を書き始め、そして書き上げたのは、小学3年生のときだった。

当時の担任の中西先生が、宿題に毎日日記を書かせるように促してくれたり、詩を作って朗読する授業があったりと、わたしにとってはドキドキするような日々に目覚めさせてくれた先生だったのだけれど、夏休みの宿題に「小説を書く」というものを出したのだ。それがきっかけだったと思う。

そしてわたしは、400字詰めの原稿用紙、15枚くらいをせっせと埋めて、書き上げたのだ。

たしか、小学生の少年少女たちがある日地底につづくトンネルを発見し、降りていったらそこは地底世界で、地底人と出会って…みたいな、壮大な(笑)冒険ファンタジーだったと記憶している。

ちゃんとラストシーンも覚えている。主人公の男の子が、最後にそのトンネルを振り返ってみたら、もうそこにはトンネルはなかった…という、そんな「ジブリかよっ!?」みたいなラストだった。

そのときの不思議な高揚感と、やっぱりとっても褒められた思い出もあいまって、それからもいろんな創作をしては人に見せたりして、遊んでいた。けれど、いつからか、その辺のことをキッパリやめてしまって、それからはふと「小説でも書いてみようかな」と思ったりしても、書き始めたり、途中のシーンを書いたり、しつつ、いつもそのままうやむやになってどこかへ行ってしまうのが常だった。

なのだけれど、ふと、あるとき思ったの。

「1日1行だけ、ひとことずつとか、ワンシーンずつとか、1行だけでも書けば、この人生でひとつくらい、物語を完結させることができるのではないか」って。

それは、自分のハードルをものすごく下げた瞬間だったと思う。

それまでは、やっぱり最初の小3のときの体験のように、あとからあとからアイデアが湧いてきて、どんどん追い風に吹かれるままに高揚感のままに、夢中になって一気に書き上げる、というシチュエーションを夢みて、そうでなければとても無理だ、と思い込んでいた。自分でハードルをものすごく上げていたんだね。

でも、そうじゃなくていい。もう、そういうところまでいけなくてもいい。とにかく、はじめた物語を終わらせてみたい。たった一つでいい、この人生で。

そんな気持ちで、今年に入ってからそれこそ1日1行ずつ、けれど興が乗ったときにはそれなりに長く、むつかしくて細かいパズルのピースをいっこいっこはめていくように、文字をつなげていった。

でも、終わる気がしなくて、このnoteとは別に続けている「10年メモ」に、こんなことも書いていた。

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2020年3月16日。小説を書いていると、不思議にドキドキする。来年の今は完結してますか?

と。

3月くらいから書き始めていたので、まだ全然途中だった頃だ。

この10年メモ、日にちでページが区切られていて、10段が10年分になっているから、1年後、2年後の自分がどうなっているのか定点観測ができるのが楽しそうと思って、やっているのだけれど、今取り組んでいることって、来年の今の自分にとってはどうなの?と思ったことは、来年の自分への手紙のように書いてるとこもある。

そんなわけで、2020年3月のわたしは、ずっとこの小説が終わらないことを憂いていたようだけれど、ちゃんと完結したよ。がんばったね、と伝えてあげたい。

わたしは文章を書くことが昔から好きだけれど、たぶん本当に好きなこと、好きすぎて体が固まってしまうくらいに好きなことは「小説を書く」ことだったんだと思う。本当に好きすぎて、そのことを、こうしてオープンにしていることすら、ガタガタと震えるくらいに、怖く感じる。

本当に好きなことは、とにかく無条件で怖いのだ。好きすぎて。

わたしの場合は、小説を書くことが好きすぎて、おそろしすぎて、書くこともできないくらい怖い、っていう、もはや意味不明になってくるほどだ笑。

好きで、踏み出せない。

でもそうだよね。ちょっといいな、くらい思っている異性には気軽に「好きだよ」って言えるし、普通に接せられるし、なんなら気をひくとかそんなこともできるかもしれないけれど、本当に本当に好きで、どうしようもないくらい惹かれていたりすると、怖すぎてそばにもいけない(はい、ヘタレです〜)。

ましてや好きだとか、意思表示なんてとんでもない。怖い。だって、ものすごく求めているから。
ものすごく手に入れたいから、動けない。

そういう状態だったんだな、って、思った。

じゃあなんで書けたのかな。1日1行、は、怖くなかったのかな。

たぶん、ステップを細分化したんだと思う。「小説を書き上げる」という、死ぬほど怖くて死ぬほどやりたいことを、いちばん細かいステップに分けたのが「1日1行」だったのだと思う。

うーん、大好きな人に「好き。付き合って」っていうのは、怖すぎていえないけど、なんかそれを、うすーくしていく感じ?ちょっとよくわかんないな。恋愛と混ぜたらわかりにくくなってしまったごめん笑。
そもそもわたし、恋愛だとそういうスモールステップに分けたりしないタイプだしな(直球タイプ。色気がねえなw)!


で、なにが言いたいかっていうと、怖いことは好きなことだから、やった方がよくって。でもやるのも、やれるかな?って思いを馳せるのも怖いくらいのことは、めっちゃ分解するといいかもよって話です!

あ、この10年メモもオススメです。


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今日はいつにも増してとりとめなかったな。まあ、長い人生こんな日もあるさ。




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