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0983.やりきったら、新しいことは自然にやってくる


今夜0時からのクロアチア戦、かんくん(小6男子)も観たいという。「いいけど、でも次の日も学校だし、だったら21時くらいから仮眠をとろうよ。起こしてあげるから」といって仲良く一緒に寝こけていたら、こんな時間になってしまった。
あぶねーあぶねー。

最近、noteを書くのを忘れたままうっかり寝ちゃって、ぎりぎりに目を覚ますということが増えている気がする。気がゆるんでいるのかなあ。なんかここで連続更新ストップって、悔やんでも悔やみきれないような、脱力して笑っちゃうような。たぶん両方かな。

最近は、毎日note3周年を迎えたらもう、早くやめたいな、という気になっている(笑)。

いや、書くのがつらくなったとか飽きたとか楽しくなくなったとかではなくて、「やめても大丈夫だな、わたし」と思えてきているのだと思う。

もともと、こうして書き始めて書き続けられるようになるまでは、何年もの間「書きたいのに書けない」という状況に苦しんでいて、そしていまこうしてなんてことのない文章だとしても「書けている」状態になったとき、今度はそれを、失うのが怖くなった。

やっとの思いでこの状態までこぎつけたのに、これで一度やめたりしたら、今度こそ「書くこと」は、わたしの手のひらから砂のようにさらさらとこぼれおちていってしまって、二度と書けなくなってしまうのではないか。
そして、書くこと・動き続けることで回っているわたしの仕事も、それをやめたらなにもかもが停滞して、たちゆかなくなっていくのではないか。

だからわたしは、書き続けなくてはいけないんだ、いつまでも、いつまでも。

なんか、ちょっとそんなふうに思っていたふしがある。毎日noteをやめる、と思うと、「やめたら、これまで築いてきたささやかだけれど大事ななにかが、崩れ落ちてしまう」というなぞの恐怖がやってきていたのだ。

でも今は、やめるのが楽しみだ。

やめたあとのことは、きっとやめたあとに自然にわかるだろう。なにより、とにかく3年間そこに向けていた意識とエネルギーというものが一気に解放されて、ものすごいスペースができるので、そのスペースにぎゅいいいいん、と新しいなにかが吸引されてくるのだと思うと、ちょっと想像もつかなくってわくわくする気持ち。

やりきったあとには、必ず新しいなにかがやってくるって、素直に心から信じている。

いや、でも、最後の最後で気がゆるみだしているのは否めないなー。今が大事な時間帯だぞ……ここが集中のしどころだ……。
わたしに無失点の力を与えてくれ、麻也……。

と、なんとか間に合ったので、しゅくしゅくとクロアチア戦に備えることにします。日本人としてのメンタリティーにおける課題のようなものが見え隠れする、面白い試合がつづいているよね。

応援させてもらっていて、そのことで逆に彼らから力をもらっているんだな、と感じる。



2022年9月スタートのライティング・ライフ・プロジェクト第12期生、満席となりました。ありがとうございました。



<世界観と表現>ビジネスコーチング、9月期は満席となりました。



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