「時間に追われている」という感覚との、きっぱりとした決別
なんだかいろいろとせめぎ合う。自分の中で。
ここ最近は先週旅行に行っていたツケがたまっているのか、1日に3~4件セッションをしていて、多いカテゴリ順に「ビジネスコーチング」「占星術リーディング」「ライフコーチング」と並ぶ。
特にビジネスに関しては、個人事業主としてやっていくためにはサービスとかセンスとかカリスマ性とかよりなにより、まずは「雇われていない自分」という新たな形態になじむことのほうが先決で、雇われマインドのままだと、仕事の組み立て方がわからない以前に、時間の使い方がわからない、みたいなことが起こる。
なのでわたしはちょっとばかしえらそうに、こんなふうにしてみてね、とか、どれくらいの時間でなにができるのか、とかを一緒に考えたりするのだけれども、ううん。みんながみんなそのフレームに合うわけでもないしなあ。
のんびりやったほうが結果的に良いひともいるだろうし、目標をセットしたほうがいいケースもあれば、しなくてもいいケースもあり、せめぎ合っている。
ビジネスコーチングであれば、わたしは「よりよい結果」にコミットしたいし、ライフコーチングであれば「よりよい変化」にコミットしたい。
占星術リーディングであれば、なんだろうな。「より自分を知って受け入れて使いこなせる確信感」にコミットしたい。
そのあたりをもう少しわかりやすく明文化する時期なんだろうな。
なんてつらつら考えつつ、午後は久しぶりのパーソナルトレーニング(筋トレ)に行き、45分トレーニング。夜は2時間ほどベリーダンスのレッスンを受けて、へろへろになってついさっき帰ってきたところ。
21時に帰宅して、酔っ払いたくはないけど飲んでいる風の気分だけ味わいたくてノンアルを飲みながら砂肝などをつまむ。夜に不在にしていると、家族がキッチンにてきとうに食べ終えた皿などを置きっぱなしにしていたり、飲みかけのペットボトルなどをあちこちに置きやがるので、そういうときは全員を招集し、「ひとり10個ずつ片付けてください!」と指令する。
家事は家族全員でやるのが、うちのルール。
だって大変なことでもあるし、みんなの営みだから、みんなでね。
とはいえ、最終的な仕上げはわたしがやることが多い。テーブルやシンクを吹き上げたり、残り物をしまったり、翌日のお弁当の仕込みなどがあるので。
もう時間は遅くて、特に今日はいっぱい運動したから精神的にいらいらしたりしそうなものだけれども、びっくりするほど静かな心でリビングを整えていた。
ああもう時間がない!早く早く!
というときほど、わたしはひとつひとつの行為をゆっくりとていねいに行うようにしている。今日のnoteも23時すぎに書き始めたけれども、いつもよりもキーボードをゆっくりと打っている。
時間に追われている、という感覚と、きっぱりと決別したように思う。
時間に追われている場合、主体・主導権が「時間」のほうにある。これではいけない。そういうときこそ、あえて逆をするのがいいよ。
手を止めて、深呼吸を3回して、そしていつもよりていねいにやってみる。
そうすると、自分を急き立てていた時間というものがふっと消えて、自分といまと行為だけが静かに残るのだ。
そうすると、ぜったいに疲れない。っていうか、変な疲れ方をしない。変な、よくわからないなにかに大切なものを奪われて、自分が損なわれてしまったような、そういう疲れ方はしなくなる。
「もう0時じゃん~」って時計を見て思ったとしても、この静けさの心のままに眠れたのなら、朝にはちゃんとエネルギーはチャージされている。
なぜなら、睡眠中に余計なものを持ち込まないから。
そんな感じで、今日のnoteはちょっとゆっくり書いてみました。
わたしは自分ではそんなつもりはないのだけれど、話すスピードもゆっくりらしい(無自覚です 笑)。なので、ゆっくりとした時間の流れが伝わるといいなと思います。
あんにょん!
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