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言葉にならないものこそが、わたしたちを生かしている


うう、もう23時だというのにnoteを書き始めてしまっている。
なぜかって? それは自分が言い出しっぺとなっている「有言実行体質になるためのプラクティス(仮)」の中で、自分との約束ごととして ”今日、わたしはnoteを書く” とか書いちまっているからである。

……って数日前にも同じこと書いてら。

なぜこんなに遅くなってしまったのかというと、VNL、そう、今まさにファイナルラウンドから決勝トーナメントが始まらんとしている「バレーボール・ネーションズリーグ」を観ているからなのでした。今夜はフランス戦に勝利。明日はアメリカ戦です。

連日ものすごく良い試合を繰り広げている男子バレー日本代表ですが、地上波で放送されていないのでだれも知らないですよね。え、わたし? わたしは男バレ代表戦目当てでU-NEXTに入っているのである。
サッカー代表戦観たいときはDAZNに入らなきゃいけないし、んもう、多様化ってそういうことなの?

わたしと同じくらいサッカー観戦してる知人がいて、そのひとに「みおさんはバレーボールも観ているけれど、わたしはバレー観戦の楽しみ方がよくわからない」と言われた。たしかにサッカーとはぜんぜんちがうものね。
どちらかというと、サッカー観戦のほうが若干、”観戦眼”というものを養わないとおもしろくないスポーツなんじゃないかと思う。それにくらべれば、バレーボールは楽しみやすい。

まず、どの競技よりも1点、1点、決まるたびに気持ちよく喜ぶことができる点。
サッカーは1点の重みが文字通り重すぎる。90分以上試合をして、1ゴールも決まらないことがあるもん。なんてスポーツだ。
バスケやハンドボールなんかは、展開が早すぎて1点の重みが逆に軽すぎる。
90対70とか、1試合の間に点が入りすぎではないだろうか。

その点、バレーボールはセットスポーツであり、3セット先取したチームが勝つ。そして1セットは25点先に取った方が勝ち。
得点が入るたびにサーブからリスタートするので、1点入るごとにチーム全員で円になって喜べるくらいのちょうど良いスピード感で進むところ、観戦してても楽しい。

とまあ、いろいろ「ここが他の競技と比べておもしろいよ!」というポイントがあるのだけど、もうひとつ最大の特徴として、ひとつのコートで敵味方入り乱れて、縦横無尽で戦うコンタクトスポーツ(サッカーやバスケなど)ではなく、ネットを境にそれぞれのコートに分かれて戦っているので、比較的、選手に視点をずっと合わせていられるところが面白いと思っている。

特に、野球と似ている部分として、サーバーがサーブを打たないとゲームが始まらないところ。
野球も、全員が配置についていて、投手が投球するのをじっと待っているでしょう。ピッチャーが投げないとゲームが動かない。球も動かない。
バレーボールも、サーバーがサーブするまでは、みんなそれぞれのポジションでじっと構えて待っているという時間がある。

そして、その時間によくカメラは、選手の「まなざし」を写したアップをさっと流してくれる。
それが好きだ。
その瞬間の、選手たちの目の、なんともいえない真剣さと、「今」「今」「今」、という「今しかない」という集中度。
この世界には、コートの向こうから打たれてくるボールと、それを必ずレシーブすると固く固く魂に誓っているこの、身体しかない、という、無心な透明感。

相手サーブを受けて立つ瞬間のときと、あとは自分がサーブを打つ瞬間のときにだけ現れる、地上で人類ができうるもっとも透明度の高いまなざしが、バレーボールにはあって。
もちろんその他のスポーツにもあるのだろうけれども、試合の流れとともにカオスの様相を呈してくると、それはそれでまた別の美しさとして現れてくるので、あの絶妙な、とにかく100%集中している「待ち時間」のドアップが抜かれて、全世界に放たれているバレーボールってすごいよな、と思いながら見ている。

今日は20時からYouTubeのライブ配信してたので(聴いてくださったみなさま、ありがとうございました!)、3セット目の途中から観戦していたんだけど、宮浦選手の目がすごかったなあと思った。
ずっとこのリーグを通して、同ポジションである西田選手ばかりがクローズアップされてきたけれど、わたしはこの剣客のような武士のようなたたずまいの宮浦選手が好きで、応援していたのだ。でもネーションズリーグでは、本人がやりたいプレーができていないような感じがずっとつづいていた気がして、勝手にやきもきしていた。

この3セット目からは、いつもだったら打ち切れない、決めきれないところも、これまでになかった気迫で思い切りよく決め切っていて、一段覚醒した姿を見せてもらえて感動した。
あの目は、言葉を語ってはいなくて、言葉が生まれるはるか以前のものを見せてくれる目だったように思う。

決して言葉にならないものこそが、わたしたちを生かしている。
それは言葉にならないとき、きっとそのひとのまなざしに全部あらわれるのだ。



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