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パパのオレ、オレになる?! 第10話

第10話 最後の日


そこからの展開は早かった。

翌日、課長の時間をもらい、理沙と同じ時間に起きて作った退職願を渡した。

まさか翌日に辞めると言ってくるとは思わなかったようで、課長は面食らっていた。
理由を聞かれ、うまくは答えられなかったけれど、ここで一度区切りをつけて、別の道を探したいということを伝えた。我ながら、夢見がちなことを言っていると思ったけれど、気分はスッキリしていた。理沙に応援してもらえていると思えば何も怖くなかった。

課長からは次のあてがあるのかも聞かれ、次の行き先が決まっているわけではないと伝えると、焦ることはないとか、退職願は一旦預かるけれど部長に話してみるまでは保留になるということを伝えられた。

また、部長承認が降りた後も、実際に退職するまではいつでも撤回していいとも言ってもらえた。そう言われると、会社にも頑張りを認めてもらえていたんだなと思えて、胸に誇らしい気持ちが広がった。温かい言葉に感謝の気持ちも込み上げてきた。

翌日の水曜日の午後に課長に呼ばれ、部長承認がとれたことを伝えられた。いつでも撤回していいと言ってくれていることも併せて伝えられ、部長に対してもとても感謝であたたかい気持ちがうまれ、今度会ったらきちんとお礼を言おうと思った。

それから退職希望日については、引継ぎに必要な期間と有給消化の兼ね合いを課長と相談した。

元々、今担当しているメインのシステム運用は鈴本君に概ね引き継ぎができているし、その他の小さな2つの案件も引継ぎはさほど問題にならなかった。1つは新しい担当に説明は必要だけど、前任の担当者が部署内にいるのでさほど問題ない。もう1つは昔の誰かが作った詳細なマニュアルがあるので、それを元に1、2日説明すればなんとかなるという感じだった。

あとはお客さんへの引継ぎの挨拶だけど、鈴本君への引継ぎは毎月月初の運用システムの定例会議がちょうど来週なのでそこですればいいし、残り二つは後任者が決まり次第お客さんにアポイントを取れば問題ない。そういうことを考慮して、最終出社日は9月12日の金曜日、退職日は9月30日になった。

すべてが謀られているかのように、スムーズな流れだった。

鈴本君とはこの3か月結構いろいろな話をしてきたけれど、退職が決まってからは業務以外のこともさらによく話をするようになった。

辞めることを伝えたときには、俺の下につけたことは幸運だったと言ってくれた。

それは鈴本君の生い立ちに関係していて、鈴本君が子どもの頃、彼の父親は出張も含めた仕事ばかりで家にいなかったし、中学生になった時に父親が亡くなったということだった。
父が家にいた記憶も、遊んだ記憶もほとんどない。

つまり、自分にとっては「父親」というものがどんなものか分からないので、いつか自分に子供が生まれても自分は子どもとの関わり方が分からない、子どもを育てるのは自分には出来ないんじゃないかと思っていた、と話してくれた。

だけど、俺が定時で帰る姿を横で見たり、翔太の面倒を見ている話を聞いているうちに少しずつ自分の中に父親というものに対する具体的なイメージが出来るようになった。そして、いつか結婚して子供を持ったら、俺みたいなパパになりたいと思うようになったと言ってくれた時には、俺は目頭が熱くなった。頑張りを認められたような、これでよかったと思えたような、そんな風に感じていてくれたんだとか、いろんな思いが込み上げてきた。

また、鈴本君は実は入院前には多忙な仕事に疲れて会社を辞めようと考えていたこともあると話してくれた。だけど、入院をしてひたすら自分に向き合ったときに、「自分は何をしたくて生きているのか」までは全然分からなかったけれど、まだ自分はこの会社での仕事というか、何かをやりきっていない。それだけはたしかだと思って、それをやりきったと思えるまではここにいると決めたと言っていた。

そのあと、「この会社に残ったのは、俺に出会うためだったんじゃないか、と思うこともありますよ。」と、言ってくれたときには、俺は込み上げた熱い涙を止められずトイレの個室に駆け込んだ。

俺も、鈴本君の仕事に対する姿には胸を打たれて、自分のこの先を考えるきっかけになったということを伝えた。俺はそれをうまく言えなくて、鈴本君は「自分の存在が、俺が会社を辞める理由になった」と凹んでしまった。

だけど、そうではないと伝えたくて、俺は本当はもっと力を出したい、挑戦したいという本音があったのにその想いに蓋をして、「父親の役割」をこなすことにしか目が向かなくなっていたこと。その蓋を開けるタイミングがきただけだということ。

もちろん、翔太や理沙といる時間はかけがえのない幸せで、だけど自分の本音も大事にして生きていきたい。これからの新しい仕事も挑戦だけど、その両立を目指すこともチャレンジでワクワクしている、と熱く語ってしまった。

次の仕事について何も考えていないことや、決まっていないことへの不安とか、俺どうするんだよ、なんていう思いもあったけど、凹んだ鈴本君にはかっこいいところだけを見せたかった。

鈴本君のことは理沙にも話し、退職後にうちに遊びに来てもらうことにもなった。

一方で、理沙は俺の退職が決まってからはなぜか機嫌がよく、「家にいる間は、毎日保育園のお迎えも行ってくれるんだよね?」「夜、映画見て帰ろうかなー。」とか「テラス席で沈む夕日を見ながらビール一杯飲んで帰るとかできるのかな?」とか「そろそろ友理奈としゃべりたいと思ってたんだよね~。」と大学時代の友達の名前をあげたり、毎日いろんなことを言っていた。

早朝出社をして夕方帰りをするライフスタイルへの文句はきいたことがなかったから、全然ストレスはないのかと思っていた。だけど、嬉しそうに次から次へとやりたいことを話す理沙を見ていると、理沙も我慢していたんだなと思った。

お互いに、生活を回すためには仕方のないことだからと、自分のしたいことなんて考えないようにしていたのかもしれない、という風に思うようにもなった。

「いよいよ明日だね、最終出社日。」前日の夕飯の時に理沙が言い出した。「いや~、ついにだね。」俺は答えた。「どんな心境ですか?」何の真似か、ダイニングテーブル越しに、理沙がグーにした手をマイクのようにして俺に向けてきた。

「前日に聞く?それ聞くの、普通は試合終わった後じゃない?」俺は、なんで今聞くんだよ、と思いながら答えた。「えー、いいじゃん、聞きたくなったんだもん。アツト選手、引退直前のお気持ちは?」と、理沙は言い直してきた。「精一杯のことをやるだけです。」と俺は言うと、そのとき、サッカー選手だったらサポーター、他のスポーツでも応援してくれたファンの人にお礼を言っているシーンが浮かんできて、明日、理沙に花でも買って帰ろうと思った。

するとおとなしくご飯を食べていた翔太が、こぼれないように遠くに置いていた味噌汁を飲みたいと「シル、シル」と言い出し、このインタビューは打ち切られた。

翌朝は、いつものようにまずスマホのアラームをめてからベッドから出て、カーテンを開け、トイレに行き、顔を洗い、ひげをそり、プロテインを飲み、翔太を起こしてご飯を食べさせ、着替えをして、荷物をもって家を出る。翔太を保育園に預け、電車に乗って会社に向かう。これも今日が最後なんだな、と考えれば切ない気がしなくもないが、特に感傷的な気持ちが湧いてくるとかそういうことはなかった。

会社について、念のため部課長のスケジュールをチェックした。課長は15時以降は空きがあったので帰り際で大丈夫そうだけど、部長は朝しか空いていなさそうだったので、すぐに挨拶に行こうと思った。

パッと後ろを見て、部長がいるのを確認して部長席に向かったはずが、部長の前に来たら途中でパソコンを操作しながら電話中をしていたことに気づいた。部長からちょっと待ってて、という手をあげて合図を出されたので周囲をぼんやりと眺めながら待っていると「はい。はい。それでは、よろしくお願いします。」という部長の声とともに電話が終わった。

電話を置くと同時に、俺の顔を見て、部長から「話、聞いたよ。」と声をかけられた。
「今日が最後なので、挨拶に来ました。ありがとうございました。」と話すと、「会社としては残念だけど、個人としては応援するよ。」という返事が返ってきたことが意外で俺は少し狼狽えてしまい、「ありがとうございます。部長のますますのご活躍を俺も応援しています。」と一本調子で言うと、「随分と他人行儀だな」と部長の倉本さんは笑った。

そのときの部長の笑った顔は、今まで部長が一人で話して一人で笑っていたのとは全然違う印象だった。

自席に戻りながら、「会社としては残念だけど、個人としては応援する」、という言葉を反芻した。さっきの倉本さんの笑顔も思い出された。部長は部長という役割を仕事としてやっているだけで、倉本さんという個人でもあるんだよな、という当たり前の事実に、会社を辞めるその日になって俺はやっと気づいた。

最終日は、事前に作っておいた退職の挨拶のメールを関係各所に送った。新人の時にお世話になった先輩からの「お疲れ様。今度飲みに行こう。」という一言でも返信は嬉しかった。内線で電話をくれた同期もいて、いい人たちに恵まれていたんだなとも思った。

鈴本君には俺の代わりに仕事が山積みになってきて忙しそうだったけれど、昼は一緒に会社の隣にある定食屋に行き、注文をして待っているときに餞別ですが…と赤い袋にリボンのついた袋を手渡してくれた。開けると中には「頂きはどこにある?」という本が入っていた。

「何を渡そうかすごく考えたんですけど、僕が入院中にずっと読んでた本を読んでもらいたいなと思ってこれにしました。秋山さんにはもう分かり切ったことかもしれないですけど、簡単な本なので、お子さんにも読んであげられたりするのかなと思って。」と。

パラパラとめくると、絵もあるし、文字も少ない。「ありがとう。家でゆっくり読むよ。」と言うと、鈴本君はほっとした顔をした。

午後は机の中の荷物を整理したり、人事に行って退職の手続きや受け取る書類の説明を受けたり、システム課の出している手順に従ってパソコンをフォーマットをしたりした。いよいよ定時まで後10分になって、課長の大嶋さんの席に向かった。

「手続きも一通り終わりました。これ、パソコンです。フォーマット終わってます。いろいろすみません。ありがとうございました。」

すみませんという言葉が出たことに、自分でもびっくりだった。

大阪の案件でも、俺を見込んでアサインしようとしてくれたのに断ったことや、役員レベルでとってきた大型案件を断ってしまったことも罪悪感があるのは自分でもわかっていた。だけどそれよりなにより、新人の何もできないときから今まで育ててもらった恩もちゃんと自分の中にあって、それを返せなくなることへの心苦しさもその言葉には込められていた。

「残念だよ。お疲れ様。」倉本部長とは違ったあっさりした対応に、辞める身だし仕方がないかと思ったけど、ちょっと寂しかった。

席に戻り、俺の様子を見ていた鈴本君がキャスター付きの椅子を転がして俺に近づいて、小声で、「見てましたよ。大嶋課長、塩対応でしたね。」と声をかけてくれた。「あれはなくないか?!」と俺は答え、「もうちょっと優しい一言があってもよかったですよね~。」と鈴本君が言ってくれたおかげで、悲しみは半分になるという言葉じゃないけど、寂しい気持ちは鈴本君への感謝に変わった。

定時が来て席を立ち、鈴本君にお疲れさまと言い、全体に向けても「お先に失礼します。」というと、同じ部署の先輩の佐伯さんが「おつかれっ!」と手をあげてくれたり、同期の安田が立って、声の届いていないところにいた同じく同期の三木を呼んできてエレベーターまで送ってくれた。「また同期会しよう。」とふたりは言い、「おう!」と答えて俺は定時帰りの人で込み合うエレベーターに乗り込んだ。

エレベーターを降りて、理沙に「帰るよ」と連絡をした。いつもは「了解」のスタンプだけだけど、今日はスタンプのほかに「お疲れ様」の文字が返ってきたことに理沙の優しさを感じる。

家の最寄り駅の構内にあるお花屋さんで小さな花を買った。何を買ったらいいのか分からなかった俺は店員さんに、「今日退職したので、妻にお礼の花を送りたい。」と話すと「素敵な旦那様ですね!奥様、絶対喜びますよ!」と言われて鼻が高かった。

店員さんは花束や鉢植えを紹介してくれたけど、大きな花束になると、飾った後に翔太が手を伸ばして花瓶を倒すとやっかいだなと思い巡らした俺は、小さな花束を選んだ。会計をしながら雑談の流れで店員さんにそれを話すと驚かれた。「うちの夫にも聞かせてやりたいです!!」と語気強めに言われて、小さい子供がいてこう考えるのは普通じゃないのかと、俺こそ驚いた。

家について玄関を開けると、「パパ、おかえりーー!!」と、翔太が駆け寄ってきた。そのまま翔太の頭をなでたいところだが、それは手を洗った後にしかできないので「翔太、ただいま!」と言ってそのまま洗面所に向かう。

手を洗って、リビングに向かい、ダイニングテーブルにこれからの食事で使うお皿を並べていた理沙に、さっき買った小さな花束を理沙に「はい。」と、渡した。すると、「よかったね。花束もらったんだ。」と理沙に言われ、俺は一瞬、どういうことだ?と思考が停止した。

あー!そういうことか!と一気に思考が回る。そういえば、確かな話ではないけど、前にうちの会社を辞めた人が、「自分の前に辞めた人には花束があったのに、自分にはなかった。」と文句を言ってきたことがあるとかで、その後は、花束は用意も大変だし、外から見えやすいということで「退職者に花束は渡さない」という暗黙のルールというか文化ができたと聞いたことがある。

だから俺は、会社で花束を見たことがなく、普通は会社を辞める人が花をもらうということをすっかり忘れていた。ここまで一気に考えて、やっと理沙の反応の意味が分かった。思わず苦笑すると、俺の様子を見た理沙が「え?違うの?」と言い戸惑った顔を見せた。一緒に食事の準備をしながら事の顛末を話すと爆笑されてしまった。

「アツト、そういうとこあるよねー。」と理沙に言われたけど、どういうことだ。退職者に花束を渡すシーンなんて、いつかドラマか本で見たことがあるような気がするだけで、入社してから一度も見たことがないのだから仕方ないのに。

それが、俺の最終出社のクライマックスだった。


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