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「今年の春、なにしてた?」から始まるストーリー #リレー

「今年の春、なにしてた?」から始まるストーリーを
ライターのタテマキコさんと澤辺ヒロエ
さんとリレーします。
誰一人として予想だにしなかった「今年の春」を
それぞれの目線で切り取り、ここに残します。
2000文字以内のショートストーリー。
ふとした合間にお楽しみください。

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「今年の春、なにしてた?」

何してたって、自粛でしょ? 
家にいたでしょう?
5年間勤めた定食屋も休みになっちゃうし、一人娘の卒園式も入学式も短縮短縮。
夫の仕事はリモートっていうの? 
在宅になったから、朝、昼、晩と三人分の食事。
毎回皿洗いもあるわけ。
食洗器? 
あるある。でもフライパンとか鍋とか入らないから。
けど毎回使うでしょ? 
毎食おにぎりってわけにもいかないし。
余裕のある人は素敵なご飯をテイクアウト~なんてSNSに載せたりしてたけど。
私の微々たる稼ぎでも家計の足しになってたから、それがなくなったらうちは、そんなテイクアウトとか、外食ばかりってわけにもいかないし、
そもそも外食もしにくい雰囲気だし。
家事プラス子どもの宿題を見なきゃいけなくて。
国語と算数、図工と音楽もあるし、びっくりなのは体育もあったってこと!
マット運動とか、教えてあげられないから。
でんぐり返し、うしろ回りなんて、四半世紀ぶりにやりましたよ。
それで首を痛めて。
遠い国から来た、目に見えないウイルスのせいで、いろいろめちゃくちゃですよ。

「そうでしたか」

息つく暇もない勢いで話した私に、目の前の若い男性店員が静かに返した。
私はよほどストレスが溜まっていたらしい。
××県○○村の山麓に立つカフェレストラン「Raccoon in the forest」まで来ていた。
完全予約、紹介制というこだわりの強い店。
本来、私はこういう「客を選ぶ店」が嫌いだ。だから鼻水をたらしていた頃からの親友に「Raccoon in the forest」のことを聞いたときも「私が行くことはあるまい」と思っていた。

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「なつめ玫瑰花茶です。玫瑰花の香りとなつめの甘味をご堪能下さい」

180センチを超えているであろう、のっぽの店員が黄金色のお茶を私の前に置く。

「きれいな色」

スーッと鼻から息を吸い込むと、バラの甘酸っぱい香りが鼻腔を満たした。

「玫瑰花は行気解鬱といって気の巡りがスムーズになります」

ノーカラーの白シャツに黒のスラックス姿の店員が、子どもみたいな曇りのない笑顔を見せる。

「優しい甘味で…美味しいです」
「お口に合ってよかったです。では、お話の続きを聞いてもよろしいでしょうか?」

ここは客の話を聞いて、店員がメニューを決める変わったお店。
悪いウイルスが世界を混乱させ、店を閉める飲食店がたくさんあるというのに。
交通の便が悪いであろうこの森の中で、この店は通常営業をしている。
私のような人がたくさんいる…? そんなことを思い、妙な気持になりながら私は口を開いた。

「…娘の学校が始まって、夫も通勤するようになって。私が働いていた定食屋も営業再開になりました」
「そうでしたか。それはよかった…のかな」
「…え?」
「お客様の表情を見ると、よかった、と心から言えません。なぜでしょう」

誰にも言っていない、いや、自分でも認めたくなかった感情を見透かされたようで、
私は思わず「あはっ」と乾いた声で笑う。

「すごい。わかるんですね。確かに、よかった、とは言えないんです」
「と、いいますと」
「思い出せないんですよ。ウイルスが流行る前、どんな風に生活していたのか。時間配分とか、誰とどんな話をしていたのか。自分は何を毎日、慌てて過ごしていたのか、とか。世の中が、もう自粛は終わりですよ~、動き出しましたよ~って言っても、私は止まったままなんです。追いつけなくて、息が苦しくて、ここに来ました」
「そうでしたか」

店員はキッチンの方を見てうなずいた。
ああ、私の心の内を見ず知らずの人、少なくとも二名に聞かれてしまったのか。
なんだか恥ずかしい、でも。口に出して言えてよかった、このモヤモヤ。

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――窓から森の木々を眺めていると、料理が運ばれてきた。

「鶏手羽中のらっきょう焼きです」

食欲をそそる香ばしさが立ち上る鶏肉の周りを、赤緑黄色のパプリカが花びらのように散らばっている。

「補気、理気、温裏の食材でストレスを改善するお料理です」
「美味しそう」
「お客様は本日、当店にお越しくださいました。止まったままの時間はもうすでに動き始めているのではないでしょうか」
「そう…かもしれませんね」
「では、ごゆっくり」

のっぽの店員が去り、私は料理を口に運ぶ。

「…うまっ。こんな料理はじめて食べた。美味すぎるでしょ、あははっ」

前の生活が思い出せないなら、思い出さなくてもいいのかもしれない。
今の自分に合う毎日を少しずつ生きてみるのだ。

END

「今年の春、なにしてた?」さいとう美如バージョン2020.7.3 Fri

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