生まれたこと
今朝、まっしろな雪が舞う景色に、子どものようにはしゃいでしまったのは、ずいぶん久しぶりの雪だったからだと思います…
南国土佐で育ったわたしは、地元で積もった雪を見たのが小学2年生のたった1日だけです。
今年は凍えるようなきびしい寒さが続いていますね。
年末あたりから、というか、昨年1年を通してたびたび考えてきたこと。
それは、今なんのために生きているのか。なんで生まれてきたのか。わたしはこれから何がしたいのか。そんなこと。
思春期の荒波にもまれていたころのネガティブな感情とはまた違って、それは、なんだか前向きでわくわくする自分への問い。
母校の先輩でもある、やなせたかしさんが書いている、まさにあの歌詞。
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
答えられないなんて
そんなのはいやだ!
わたしたちは、たぶん、自分から望んで生まれてきたわけじゃない。
少なくとも、わたしには記憶がない。
まさに、生まれた。
受け身で表されるのが適当なのだと思います。(もちろん、生んでもらったことに大変感謝しています😊)
それなのに、生まれたその瞬間から、生きることを強いられるのです。
ゴールも答えもない、日々を生きるということ。
そこにはきっと、今のわたしが存在する理由があるのだと思うのです。
生きることって、すごく難しくて、苦しくて、しんどいことだなぁと思うことが少なくありません。
それでも、その「生」を「命」を、選んでもらったとすれば、ひとりひとりに存在している理由が、価値があるという気がしてなりません!
きっと答えがないからこそ、考えもがき続けることがおもしろい…!
これからも、探しつづけるぞ〜!
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