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6th album - dream - 後書き

6枚目のアルバム「dream」を5月6日にリリースしました。ジャケットは、私が音楽活動を始めた当初から好きなイラストレーターのフジミサキさんにお願いしました。あたたかく包み込まれるような素敵なイラストとともに、このアルバムの世界を楽しんでいただければ幸いです。快く引き受けてくださったフジミサキさんには、この場をお借りして改めて感謝申し上げます。


さて、いつものように以下に続くのは、このアルバムについての余談です。興味のある方は、読み進めていただけると嬉しいです。


前回のアルバム「drift」に続き、抽象的なアンビエントの要素を取り入れつつも、音楽的要素をどう残していくかで試行錯誤を重ねました。今回は一つの音から様々な質感をより多く生み出すことに焦点を当て、サンプリングした音を轆轤の上の粘土の如く、こねくり回していました。

質感と聞くと、目に見えるものや触れられるものといった物理的な何かを想像すると思うのですが、耳からの情報も同じく質感として感じ取ることができますよね。その時の物理的なイメージから連想するもの(例えば水が滴る音など)と、私たちの中にある、あらゆる感情は遠い存在のようで、実は似ているのではないかと、ふと思うことがありました。今回のアルバムは、その疑問が出発点となっています。

最近は何かをイメージして作曲をすることが少なく、ひたすら音を重ねたり、その都度フィーリングに合わせて違う質感を加えたり。考えていることが音(ここで言う音とは効果音的なものではなく、ピアノなどの音階を持つ楽器によって奏でられる音)そのものであったり、その音をどう響かせるのがいいのかを考えることが増え、イメージは最後にタイトルをつけるときにようやく意識するほどでした。今まではイメージから連想して作曲することが殆どだったこともあり、随分と作曲に変化がありました。

それで先程の話に戻るのですが、物理的な質感と感情の質感がどうにも似ているように感じるのは、ひょっとしたら私の錯覚なのかもしれません。されど思うのは、日常にあるものと感情を結びつけること自体に意味がなかったとしても、音そのものがあらゆるものと結びつくような引力を持っているのではないだろうか、ということ。それは何故かと問われると、音自体が抽象的であり、イメージを強固すぎるものにしない余白を持っているからだと私は考えています。さらに付け加えると、自身が何かをイメージして作った曲を相手に聴いてもらった時、聴き手が作り手と全く同じイメージを持つかと問われれば、それが必ずとは言えないからです。

そういう意味でも、音楽とは本来の性質として自由で、誰かを縛り付けることのない余白が私たちの心を癒してくれる、唯一無二の存在だと思っています。作曲をする時に苦しむのは、こびりついて離れない固定観念によるもので、そこから脱却できれば、自然と湧き出てくるものだ、と。
この境地に至るまでは、ありとあらゆることを知り、感じ、インプットし、またそれをアウトプットし続けるほかに方法はありません。そして、それは終わりなき旅であり、安堵と苦しみを交互に味わいながら、続いていくのです。


サンプリングを主体とした制作は4枚目のアルバム「microcosmos」から始まり、現在3つ目のアルバムとなります。どれも、その時の私の感性でしか作り出すことのできなかったお気に入りの曲たちです。ぜひ一度お聴きいただけると嬉しいです。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
毎日が平和で、穏やかな日々となりますように。



tohma

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