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夕陽に臨む

今年初めての記事なので一応ご挨拶を(世間はもうとっくに仕事モードですが)…新年明けましておめでとうございます。
昨年が思っていたより色々と上手く行きすぎた年だった(と個人的には思っている)ので、今年は収穫したものを丁寧に調理して味わう年にしたいな、と。相変わらずマイペースに創作に勤しむことになるかと思いますが、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


音楽を生業にできれば…と昨年の春ぐらいの記事でぼやいていたが、芸術というのはそこに価値を見出している人に仕事をもらって初めて対価として金銭をいただけるわけで、自分以外の人がいて成立するものであり、求められなければ仕事にはならないな、と。
生きるために必要な農業、漁業、サービス業、医療、IT等の一般的な職業に比べると芸術はどうしても娯楽的な扱いになる。それは、直接的に誰かの命を救えるわけでもなく、食事のように毎日摂取し続けなければ死ぬものでもないからだ。音楽を聴いたり演奏したりするだけでお腹いっぱいになる仕組みなら、もっと需要は上がると思うが…。

まあそんなことをふわふわと考えていた。
私にとって、音楽そのものがあくまで自己表現としてのひとつの手段(自己満足)であることは言わずもがな、商業的な音楽を書くとなるとそのニーズに見合った楽曲を書かなければ売れないわけで…坂本龍一氏、久石譲氏、澤野弘之氏(どの方も素晴らしい作曲家である)のような著名な作曲家達も、自身の表現と世の中のニーズとの境目を上手く擦り合わせながら仕事をされていると思うと、商業的な創作活動を続けることは技術としてかなり高度なものではないかと。

割り切らなければならない気持ちとその都度葛藤することは最早日常茶飯事、折り合いをつけたところで悔いはないのだろうか。自身しか関わらない作品なら満足するまで時間をかけられるし、誰からも何も言われることがないだけに…。そういう意味では、自己表現と世の中のニーズがマッチしている人にとっては天職で、私が何となく感じている壁ですらも、どうってことないのだろう。

元々なのか、クラシック上がりなこともあってか、古風な考え方は私の中では捨てきれずにいる。無論、断固として譲らない高齢者層にも問題はあるが、昨今の何かが足りない音楽と言われる所以は、古き良き考えを老人の戯言と罵り受け入れない若年者層にも問題があり、新しさや注目を浴びるものだけに執着していることも、私としては理解に苦しむ。

話を戻す。音楽を金儲けの道具にしたくもなければ、ただ量産するだけの消費的なものにもしたくはない。技術として難しいところではあるが、上手くその間を抜けて心地よいところに落ち着きたい。とは言え、背負いきれない程の依頼が来ているわけでもないので、今はわざわざ見つけ出してくださった方と真摯に向き合い、楽曲を通してその思いを伝えられたらと思っている。
ありがたいことにリピーターやファンがついてくれることがこのところ増えてきて、心救われる思いです…ありがとうございます。

…新年早々、これまた長い余談になりました。ちょこちょこ吐き出せばいいものを、つい何を書こうか忘れてしまってこうなるいつものオチです、はい。
まあそもそもお金にならなくても、私は音楽を辞めないと思うので、まだやってんだな、まあ覗いてやるか、ぐらいのスタンスで見守っていただけば幸いです。

そして、とある方とコラボをする予定です。具体的な公開日はまだ決まっていませんが、冬の内に公開できたらなと思っております。お楽しみに。


tohma

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