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スランプ?なんで小説が書けなくなるのか―どうすれば書けるようになるのか

今回はスランプについてのお話です
僕が小説書けなくなって、そっからどうしてるのかって話を通じて
もし誰かのスランプ解消のきっかけとかになればうれしいかも

なんだか最近、ずっと小説書けない日々が続いていてスランプなんだ
前にもあったんだけど、同じようなこと
そのときは、インプットする時間をしばらくもうけたら時間が解決してくれたんだけども

今回のはなかなか時間がかかってて
なんでだろうなーっていろいろ考えていた

ADHDの薬、コンサータを飲み始めたせいかなとかも疑ってみた(コンサータはクリエイティブなことができなくなると一般に言われている)
けど、一時期やめてみても、別に書けるようになったりせず
コンサータ飲んでてもやる気さえあれば、書けるときは書けるし
むしろコンサータで集中力あがってるからめちゃくちゃ書ける

だから理由はもっと根本的なものなんだろうなって
まあ、結局は俺のやる気の問題なのではあるが

そもそも最初にたちかえって
なんで小説書き始めたかっていうところだ

俺はたぶんずっと、人に自分の話をきいてもらいたかっただけなんだよね
自分の思想や考えたこと、好きなこと、そういうのを話たかったんだろうと思う
でも俺はASDだし、言葉にして伝えるのは苦手、とくに自分の気持ちについては、ね
コミュニケーションは苦手だったんだ

おしゃべりするのは好きだけど、まあ、雑談は苦手だよね
好きに一方的にしゃべっていいなら得意なんだけど
でもそれって普段の生活で、それが許される場面ってそんなに多くない
だから友達少ないのかもしれないけど

けど、インターネットっていろんな人が、いろんなようすのおかしな人がいろんなこと言ってるしそれがゆるされてるじゃん
もちろん批判とかもあるけど
とくにTwitterとかは壁打ちにも近くて、相互のコミュニケーションというよりは言葉のドッジボールに近い
その距離感が僕には心地よくって

だからけっこうもともとツイ廃気質ではあったのだが
でもさ、無名の人間がなに言ってても、あんまりTwitterって反応ないじゃん
特にフォロワーも少ないとさ
だから、Twitterで考えをたれながすことはあったけど、そういうんじゃなくてもっと、たぶん誰かになにかを伝えたかったし発信したかったんだよね

前置きがずいぶん長くなっちゃってるけども
そもそもの僕っていう人間の本質って、なにかを発信して表現したいっていう生き物なんだと思う
ちいさいころはそれが絵をかくことで、中学生くらいのころは歌をうたうことだった

大学やめたくらいのころどうしても身体からあふれるものを表現したくてボカロをはじめた
だから2018年ごろの僕ってボカロやってたんだけど
まあもちろんつたないのもあるし、ぜんぜん見てもらえない
でも最初はそれでも満足してたんだけどさ

まあ、ようはそういうからだからあふれるような表現欲求、初期衝動とよばれるやつだよ
それが2017年ごろに芽生えて、ボカロをやりはじめて、
僕が小説を書き始めたのは、その音楽への初期衝動がひととおり終わったころだったんよね
まあ、けっこう曲もつくったしそろそろいいかなってなってて
それまでは毎月1曲はつくってYouTubeにあげてたんだけどさ

いつからかめんどうになったりもして
それまではなにするよりも音楽してるほうが楽しかったんだけど
次第にペースもやる気も落ちてきて、Twitterばっかしててさ
まあ、自分の限界が見えたんだろうね
で、けっこう自分のつくったものにも満足してた

で、もともと自分って音楽とかまったくやってなくて
歌は好きだったけど下手だし
もともとは絵がかきたいと思ってた人間だったんよ
で、なにを勘違いしたか美大までいってさ

でも、音楽やりはじめたときに思ったのがさ
俺ってべつに絵じゃなくてもよかったんじゃんっていうのがあって
べつに自分のなにかを表現できさえすれば、それってどういう形でもよかったんだなって思って
一種のアイデンティティクライシスでもあったかもしれないけど
そこで完全に絵にたいする亡霊的な未練は断ち切ったような気がする

そんなときに、次に小説を書き始めて
そのとき思ったのが、
あ、俺って結局、話をきいてほしいってのが一番だから、それって音楽でつたえるとか絵で表現するとかより
文章っていう言葉で最初からやればよかったんじゃんって思ったの

なんかもともと文章はけっこう書いてて苦痛じゃないほうだったし
でも、なぜか自分の中で文章を書くっていう発想があまりなくって
あまりにも誰でもできるしあまり表現と思ってなかったのかもしれない
本も全然よむほうじゃなかったしむしろ文章は苦手としていた

けど実際に書き始めてみるとなんかめちゃくちゃすんなり手になじんだというか
本来俺のやるべきことってこれだったんじゃねえのかって思って
そっからまさに初期衝動のままにたくさん文章書いて
で、何年かやってたんだけどさ

何冊か本も出して書きたいこと書いてたら
けっこう自分の中で満足してる部分もあって
燃え尽き症候群っていうのかな
そんな感じにもなってた

いや、ぜんぜんまだまだ満足してないしこれからもっとやったるわっていう気持ちもあるんだけどさ
でもなんだろうね
小説書いてるうちに、けっこうTwitterのフォロワーも増えていまや1万人だ
いまじゃみんなやさしくかまってくれるし
俺のなにげない思考の垂れ流しツイートにも反応をくれる

そうしていると、なんだか別に小説の形式じゃなくてもよかったのではと思うようにもなっちゃって
そもそも自分の思考とか話を発信できればそれでよくって
じゃあTwitterとかでもいいじゃんってなってたんだと思う
だからTwitterはできるけど小説書けない日々が続いて

これってまあ一番よくない、最悪だと思うんだけど
なんか一定数クリエイターが作品つくらなくなってTwitterばっかやってるっていう現象ってありがちだけど
なるほど自分の身に起こってみるとこんな感じか、というね

でもやっぱTwitterってしょせん流れていくだけの短文じゃん
で、いろんな他人の考えが流れてきて影響されるしノイズが多い
そこでnoteで自分の考えとか書けばいいかなってなってるのが今です

とにかくそもそも「考える」っていうのって、人間は「言語」を使って考えるじゃん
だから文章を読むとか書くとかって直結してると思うんだけど
自分はそれを頭の中で考えるだけじゃなくて、どっちかといえば文章に残しておきたいし、書いておいてまとめて検討したいし、っていうタイプなのね
だからなんでも散文てきに、考えをTwitterとかにも書きなぐるわけだけども

けっこうこの考えをとにかく、まとめなくていいから思ったままに書くって行為はバカにできなくて
書くことで考えがまとまるし、定着するよね
ブレインストーミング的な意味でもあたらしい考えが出るかもしれんし
とにかくなにも考えずにひたすら文章を書くっていいなって思ってて
それって瞑想的な効果もあるなって思ってるし

で、人に説明すると考えが定着するとかっていうじゃん
それと同じで誰かに読ませる文章を書くとまとまるよねってのはあって
でも、それってYouTubeとかで動画とって雑談動画とかポッドキャストでもいいとは思うんだけど、自分の考えを話すってなるとやっぱり僕の場合はリアルタイムで会話するのは苦手で、文章のほうが得意だから文章書いてるんだけどさ

でも、いくら自分にとって文章を書くことさえできればいいんだっていっても、やっぱせっかく文章を書いたからには読んだ人には喜んでもらいたいわけなんですよ
で、たいていの人にとって他人の考えとかってけっこうどうでもよくって、特に思想つよかったりすると読みたくないってなるし

だから、やっぱ小説もまだまだ書いていきたいなって思うんですよね
それは自分のためでもあるけど、やっぱ読んだ人をよろこばせるっていうんなら、自分の考えを書くようなこういうnoteよりも、小説のほうが絶対需要はあるだろうし

小説とくに娯楽には作者の思想とかはあまり入れるべきではないとも思うし
かといって、それらすべての思想や考えをおしこめておくのも僕てきにはつらくって
話きいてくれる知り合いもいないしね
でもTwitterで不特定多数に思考の垂れ流しもあまりよくないとは思うし
なにしろ、Twitterってあとから読むのとかが難しかったりもして
だからこうやってまるで膿を出すようにnote書きなぐるのもありかなってなってるのが現状ね

で、結局なにがいいたいのかっていうのをそろそろまとめると
とりあえず書けっていう話なのよ
やる気がなくてもとりあえず書けっていう

これは、小説書けってんじゃなくて、小説書くやる気がないならないで――まあやる気ないときに惰性で書いても面白いものにはならないだろうからさ――せめてじゃあなにかなんでもいいから文章は書こうぜっていう提案なのさ

Twitterはまあなんかいろいろよくないから、こういうnoteとかなろうのエッセイでもいいからさ
小説書けないなら小説以外の文章でいいから、とにかく毎日書くっていうことをする
これはなんでかっていうと、とにかく「書くこと」のハードルをとことんまで下げるってこと

内容はどんなのでもいいよ、まとまりなくてもいいし、つまらなくてもいい
とにかく「書く」が目的なのさ
自分の頭の中を言語化して、それを文章にするという一種の特訓だ
日記とかでもいいよ

んで、これをやっておくと、書くまでのハードルが下がるのよ
だからとりあえずなんか書いてるうちに、また小説書きたくなってきたらそれを書けばいいんだよ
ずっと書かないのが続くとやっぱ走りだすのに時間かかっちゃうからさ
だからずっとゆっくりでいいから走り続けようぜっていう話

これはもちろん、俺は自分に向けて言ってる話でもある
そして俺がいまこうして文章を書きなぐってるのはそれの実践の一環でもあるわけだ

とある魔術の禁書目録の作者として有名な、鎌池和馬先生のウィキペディアに、こんなエピソードがあるので引用する

「どうしてそんなに書けるんですか?」と三木が訊くと、「(原稿を)書いてないと、墜落するんですよ。飛行機みたいに」

と答えたという話だ

これはまさにその通りだと思うし、誰よりも書き続けることを実行し続けている鎌池和馬先生自らによって証明されているな、と思う

だから僕も、とにかく小説を書こうと気張ると、つい億劫になってしまうから
まずは助走としてでもいいから、なんでもいいからなにか書く
それを続けていこうと思う
短編でもいいし、エッセイでもいい
誰にも見せないでもいい
とにかく、書くために、「書く」

まとまりのない長文であったが最期まで読んでもらって感謝する
あなたもぜひスランプを乗り越え毎日の執筆が楽になりますよう祈っている


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