視える者の苦悩

葉ずく🌱🦉です。今回はINFJさんの人の 見えないものが視えてしまうことによる苦悩について綴りたいと思います。

僕は昔から見えないものを考えることが好きです。ある作品があったとしたら、その作品の制作秘話、元ネタを知りたいと思ったり、開発経緯やコンセプトを想像したりします。
これは作品だけではありません。人の心や物事の本質も見抜きたいと思っています。
それは一見良いことのように思えます。しかし、それによる苦悩もあります。
 
 たとえばイジメです。
INFJはいじめられてる人が居たら、放っておけない人が多いと思います。イジメを見過ごすことが出来ないくらいに周りをよく見て、敏感に感じ取っていることと思います。それは正義感という理由も大いにあります。しかし、僕の場合は相手の気持ちが自分のことのように伝わって苦しいからという理由が大きいです。なのでどうしようもなく声をかけてしまうし、自己犠牲をしてしまいます。これは気付かない人には無い苦悩です。
これが視える者だけが感じる苦悩なのです。
 
そして、同時にこんなことも思ってしまいます。「なんで皆助けないの?」「なんで皆見て見ぬふりをするの?」という疑問や憤りです。
今では、INFJだから気付きやすいと理由が分かっているので良いのですが、幼い頃であればあるほど、他人が理解できないと感じると思います。
「なんで?」と疑問に思って、人間を嫌いになる可能性すらあります。

 僕は気付いたからといって、直接「やめろよ!」とは言いません。後で被害にあっていた人に声をかけ、味方だよと示します。それは争いたくないからや出来るだけ仲良くしたいという思いがあるからです。出来るだけ穏便に終わらせたいと考えます。それ自体は誇りを持ってやっています。

それでも、こんな風に思いを溜め込んでいるのはとても苦しいです。気付いてすらいない人は苦しむことが無いのですから。

 このように気付ける者、視える者にしか分からない苦悩があるなと感じています。
今回はイジメの例を挙げましたが、他にもこのようなことはあると思いますし、それはINFJに限らずあると思います。

 ある時、学校で忘れ物を見つけた人が居たのですが、その人がその忘れ物を見つけたのに他の人(その人の友達)に責任を擦り付けようとしていました。「これ落ちてたけど誰の?」と言いながら「お前が先生に届けろよ笑」とお互いに言い合っていました。そのままその場に置いていこうとしてたので、僕は端から見てただけだけど「いいよ。僕が届けておくよ。」と声をかけ届けました。イベントで発生したゴミさえも自分で捨てようもしない人達の代わりに持ち帰ったこともあります。その度、憤りと疑問を感じるのです。放っておけないが故の苦悩ですね。

まあ、ともあれ僕のやってきたことは悪いことだとは思ってないので、これで良いのだと思っています。視える者、気付ける者の使命だとも思ったりしますね。

 物語のヒーローも、助けを求める人の声が頭から離れない苦悩を抱えながら、孤独に戦っているのかもしれませんね。

今回はここまでです。
読んでくださってありがとうございました。

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