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Lycian Way #11 ~時と文化は流れ~



祖国の文字

サブクエストを受注し、アドラサン≺Adrasan≻を出発した僕はチュラル≺Çıralı≻と言う街に着いた。
一山超えてこの街に入る直前には、古代リュキアの都市オリンポスの遺跡があった。
管理はされていて入場料を払う必要がるようだ。
ただ、僕はトレイルを歩いていたら知らぬ間にオリンポス遺跡群の中に入っていた為、入場料を払うゲートを通らずに立ち入っていた。
入場料を払うゲートを通れば遺跡のすべてを見ることが出来るようだが、僕は遺跡群で若干の迷子になりその一部しか見れていない。
ほぼ素通りのようなものだから大した見学はできなかったのが残念だ。
遺跡群を抜けた先には美しいビーチが広がっていた。

アドラサンからオリンポス遺跡までの道
RPでありそうなマーク①
RPでありそうなマーク②
オリンポス遺跡付近の山
オリンポス遺跡①
オリンポス遺跡②
オリンポス遺跡③
オリンポス遺跡④
オリンポス遺跡⑤
オリンポス遺跡前のビーチ
圧巻の美しさ。

オリンポス前のビーチはLycian way上の地中海の中でも抜群の透明度を誇っていた。
場所によっては江の島のビーチのように濁っている場所もあった。
ビーチには海水浴を楽しむ沢山の観光客の姿があった。
僕は恒例のジュースを飲むためにビーチにある小さな売店を尋ねた。
そこのスタッフが着ていたTシャツにはなんと日本語が。
「波を立てる」
僕は胸に書かれた日本語の意味を知っているのか彼に尋ねたが分からないようだ。
ましてやこれが日本語と言うことさえも知らない様子だった。
「Korean? Chinese?」
と言った具合だ。
意味を知らないにしては良いチョイスだ。

日本語の意味を伝え記念に写真を撮らせてもらった。

そんなことはさておき、リゾート価格で飲み物が高い。
いつもの3倍くらいする。
僕はその対価として情報を要求してみた。
あくまで自然な会話の流れではあるが、このあたりのキャンプ場事情を聴いてみた。
この情報によってはリゾート価格で無残にも散っていったお金が報われる。
彼が言うには、オリンポスの遺跡付近には安いキャンプ場があるらしいが、ゲートを通らなければいけないらしい。
僕は入場券を払っていないのでその分の料金が加算されることになる。
入場券がいくらかは忘れてしまったが、それを加算すると魅力的な値段ではなくなる。
もう少し町よりのキャンプ場を尋ねても見た。
すると、値段は分からないがいくつかキャンプ場があるらしい。
僕は入場料を払わずに来れた所へわざわざ戻り、入場料は払いたくない。
何より進んできた道を戻るという行為に異常にストレスを感じてしまう。
進み続けなければいけない体質なのだ。
進撃の巨人なのである。
結局、最後に提案されたチュラルの街付近のキャンプ場へ向かうことにした。
街付近と言っても、ほんの数分で着く場所である。
ビーチも近く、キャンプ場で一息ついたら海水浴も楽しめそうな場所だ。
それに、この街の近くで泊まることは僕の中でとても大切な選択になるのだ。

永遠の炎を目指して

キャンプ場で一息付き、オリンポス遺跡前のビーチで海水浴を堪能した僕は夕食を探しに街へ繰り出した。
チュラルの街自体は大きくはないが、飲食店や宿泊施設が多い。
さすが、リゾート地。
僕は近くのレストランを一軒一軒周り、店の前にあるメニューの値段と料理のバランスを確認する。
これは非常に大事なことだ。
ただ、この街はどれもお洒落で高い。
僕は値段での選択を諦め、食べたいものを食べることにした。
その中で一軒、魅力的なメニューが書かれたお店に入ることにした。
それはカレーである。
なぜか、カレーの文字を見た時、無性にそそられてしまった。
米は絶対食べたかったので、特別にお米も出してもらった。
想像のカレーとは違ったけど、味はしっかりとカレーである。
必ず頼んでもないパンが来るのはトルコの常識である。
ちゃっかりビールもいただいた。
海水浴後のビールは染みた。
この旅で一番贅沢な食事をした。
勿論、値段もその分張ったが…。

チキンカレー

食後はお土産屋さんにも寄った。
過ごしやすい気温とお酒が入って心地よくなったせいか、いい感じのパーカーを購入。
トルコ製で味のあるパーカーだ。
その後はミニマーケットで食料を調達し、夕方過ぎにはキャンプ場へ戻った。

僕はこの日、早々に就寝しなければならなかった。
その理由、「永遠の炎=Eternal Fire」を見るためである。
「永遠の炎」とは、この街の近くにある”キメラ山”で約2500年以上前から燃え続けている炎である。
岩の亀裂からメタンガスが漏れ出てそこでずっと明かりを灯しているらしい。
僕がLycian wayで一番楽しみにしていたロマンありすぎる場所である。
どうせ行くなら暗い時間に見たかった。
この日の夜に見てもいいのだが、見学後にまた街に戻ってくる手間を考えると、早朝の暗い時間に見て、日が昇ったらトレイルを再開するという計画が一番無駄がない気がした。

翌朝5時には出発する為、余裕を持って4時に起きて撤収をする必要がある。
そのため、キャンプ場がまだ騒がしい中、早々に眠りに着いた。
トルコのキャンプ場は夜でもかなり騒がしい。
皆各々の時間を楽しんでいる印象を受けた。
就寝時間も遅く、朝も遅い。
日本のキャンプ場とは真逆である。
僕は夜でもお構いなしに盛り上がっているトルコのキャンプ場の雰囲気が好きである。
「自分も迷惑かけちゃうから、迷惑かけられても気にしないよ!」と言う感覚なのか…
何回も言うが僕は好きである。

翌朝、無事に予定時刻4時に起床。
昨日購入したリンゴとクロワッサンを食べ、撤収を始めた。
その後も予定通り5時に出発し、約4㎞先の「永遠の炎」を宿すキメラ山を目指す。
キメラ山までの道は静まり返った住宅地を通る。
番犬や野犬が僕を見ては吠える。
犬の吠える声で目を覚ましてしまった住民の方々がいたら非常に申し訳なく思う。
1時間もしないうちにキメラ山の麓に着いた。
入り口には「永遠の炎ここにあり!」と言わんばかりの看板が沢山掲げられていた。
入場料も払う必要があるようだ。
ただ、早朝の為受付の方はいなかった。
オリンポス遺跡とは違い、しっかり入場料以上のお金をボックスに入れて先へ進む。
入場料以上のお金を入れたのは、単純に細かいお金を持ち合わせていなかったからだ。
そうでなければ必要以上にお金を払うことなどない。
ただほんの少しだけ、オリンポス遺跡に対しての禊の意味も含めておいた。

入り口から2㎞程の坂を登るとお目当ての「永遠の炎」に辿り着く。
「永遠の炎」まであと800m、600m、200mと書かれた看板を一つずつ通り越し、ようやく念願の「永遠の炎」をこの目に捉えた。

Eternal Eire=永遠の炎

岩の亀裂から炎が立ち上っている。
この炎が約2500年も前からここで燃え続けていると考えると、何か心にくるものがある。
近くに行って覗いてみると、タバコの吸い殻やらゴミが散乱している。
この光景はトルコでは珍しくはないが少し悲しくなった。
この場所は温かいのか、沢山の野良猫が暖を取っていた。
彼らと一緒に暖を取りながら、朝日が昇るのを待つ。

夜が明けてきた。
おはようございます。
なんで猫が膝の上にいるのか、記憶にない。
暖を取る猫。

猫と一緒に朝を迎えた僕は先の宿泊地を目指す。

あのー、どちら様でしたっけ??

次の目的地はベイシク≺Beycik≻。
山間にある小さな集落だ。
距離は15㎞程だろうか。
途中、≺Ulupınar≻と言うベイシクよりもさらに小さな集落で昼食を取った。
小さなマーケットでパンとツナ、キンキンに冷えたジュースを購入。
ここから4時間ほど山を登ると目的のベイシクに着く。

沢沿いをのんびり登る。
なんだか格好良い山。

早朝に出発したこともあり目的のベイシクには15時頃に到着した。
まずはジュースを求めに近くのマーケットへ直行。
感じの良いおばさんのいるマーケットだ。
店の前のベンチで一休みしていると、一人のハイカーが声を掛けてきた。
ここに来る道中、追い越した立派な髭を蓄えたおじさんハイカーだ。
何やら親しげに話してくる。
彼は、初めて会ったとは思えない感じで話してくる。
「さすが海外だ。」と思っていた。
しかし、どうやら僕と彼はここで初めて会ったわけではないことが分かった。
彼の英語はとても分かりづらかった。(僕の英語力が乏しいだけ。)
この分かりづらい感じは、このトレイルを歩き始めたばかりの時に出会ったドイツ人のおじさんハイカーのそれだった。
彼の「覚えてるか?」の一言でおじさんと出会った時の記憶の回廊が繋がった。
僕はびっくりした。
約20日ぶりの再会だ。
その時は髭など全くなかったが、20日も経てばこんな立派な髭を蓄えれるかということにも驚いた。
僕が言うのもなんだが、完全に浮浪者であった。
僕の記憶だと、彼はこのトレイルを20日で終わらせる予定と言っていた。
なのでこのタイミングで僕が追い越すなんて想像もしていなかった。
ましてや、この20日の間に彼の存在を感じたこともなかった。
彼はひたすら歩き続け、僕は途中でカウチサーフィンで休んだり、メソトとデムレ観光をしていたから会わなかったのだろう。
彼と印象深い話をした記憶もないし、彼の英語が分かりづらいのも手伝って完全に記憶から抜け落ちていた。

それにしても、こうして再開するとなんだか感慨深いもんだなと。
彼はこの日もこの先へ進むという。
僕はこの街で一泊する為、ここでお別れになる。

正真正銘、彼とはここで最後の別れとなった。
それから彼を見ることはなかったからだ。
彼なら無事にこのトレイルを歩き切っただろう。

またどこかで。

日本語話者との遭遇

ドイツ人のおじさんハイカーと別れた僕は本日の宿泊地へ向かった。
本日のキャンプ場は、無料のキャンプ場とのことだ。
ここのオーナーが食事を提供してくれて、食事代だけで宿泊できるという。
少し変わったキャンプ場のようだが実態はいかに。

キャンプ場に着くと早速、オーナーと思しき男性が出迎えてくれた。
キャンプ場は整地はされているが、傾斜のきつい場所に建てられており、集落を上から望むことが出来る。
さらにはツリーデッキの食事場所もあった。
キャンプ場には誰の姿もない。
僕が一番乗りの様だ。
早速オーナーとチャイを飲み、タバコを吸う。
最高の時間だ。
オーナーは英語が堪能ではないので、トルコ語Google翻訳でコミュニケーションを取った。
彼はずっとこの集落に住んでおり、料理人をしているという。
のんびり過ごしたい人なんだなと何となく分かった。
やることはS〇X以外特にないとも笑いながら言っていた。
彼と話していると次第に人が集まってきた。
食事だけのレストラン利用や、僕と同じハイカーなど。

そして、僕が夕食を食べていると突然オーナーが僕に向かって「コリアンだー!」と言ってきた。
勿論、コリアンダーではなくKoreanである。
韓国人が来たぞと僕に向かって叫ぶ。
そしてその彼に対して、「もう一人韓国人が来ている」的なことを言っていたので、僕は「I'm Japanese!」と叫び返す。
どうでもいいことだが、僕は日本人であることに少なからず誇りを持っていたと気づかされた。

そしてオーナーに連れてこられ、その彼が僕の前に案内された。
オーナーはアジア人が一日に二人も来たことが可笑しかったのか僕らを見てニヤニヤしている。
すると、彼が「こんにちは!ユンです!」という。
彼は何とも流暢な日本語で挨拶してきたのだ。
僕はびっくりして「日本語を話されるんですかぁ…」と芯の無いか細い返事をしてしまった。
どうやらユンさんは日本にも数年住んでいたことがあるらしい。
僕は久しぶりに日本語でコミュニケーションを取れることが嬉しく、夜な夜なユンさんと話した。
どんな旅をしてきたのか、旅資金の稼ぎ方や、日本と韓国の違いや共通点など。
とても楽しい時間であった。

ユンさんは僕と逆のアンタルヤからこのトレイルを始めたらしい。
アンタルヤではガス管を入手できるお店があると教えてくれたのはユンさんである。
また、この先にあるタタリ山に対して文句を言っていた。
タタリ山は、僕が明日その横を通る山である。
Lycian Wayには含まれていない山だから見落としていたが素晴らしい山らしい。
ただ、海側の街から山頂までケーブルカー伸びているらしい。
それに対してユンさんが、「普通、ケーブルカーを設置するなら山頂の少し下まででしょ!なんで山頂に終点があるのさ!景色が台無しじゃないか!」と言っていた。
僕は「確かに。」と思った。
日本の山は山頂の少し下までケーブルカーが伸びていて、そこから山頂までは自力で山歩きをし30分~1時間ほど山道を楽しむ作りになっている。
ユンさんのその着眼点に僕はとても共感した。

ユンさんとの会話は、帰宅途中の地元のコンビニで久しぶりに出くわした友人と、ジュース片手にくだらない昔話をした時に近い懐かしい感覚にさせた。
そんな会話を最後に僕たちは翌日に備えて眠りに着いた。

昨日は日本語Tシャツを見たり、今日は日本語を話す人が現れたりとなんだか故郷を感じる機会が多く少し心暖かい気持ちになった。

果たして、トレイルスタート地点の街フェティエの宿に置いてきた本「ワセダ三畳青春期」を見て僕と同じ気持ちになっている日本人は現れたのだろうか。

オーナーが提供してくれた夕食。
久しぶりの魚料理。
日本語話者のユンさん

文化は流れ、こうして異国の地でも祖国の文字や言葉を使う人と出会う。
時は流れ、出会った頃からは想像もつかないほどの髭を蓄えさせる。
人はそれぞれに与えられた時間の中で必死に生きている。
だから、人を妬んだり、羨んだりする余裕なんて僕達にはないはずだ。
自分に与えられた限りある時間は、自分を満たすために使わなければ勿体ない。
と、たまに思う。
それでも、人は気が散りやすい生き物なもんで、どうでもいいはずのことにかまけて大切な時間を失ってしまう。
この習性と上手く付き合っていこう。

なんでこんな脈絡もない話をしたかと言うと、気分である。
格好良さそうなことを言っている自分を客観視し、自分を鼓舞する為である。
これは自分に向かっての教えである。














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