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【現地レポート①】 香りの都 グラース: 香水と花栽培の歴史

「香りを巡る旅」は香りの文化にまつわる人や場所を訪れる、旅とテキストによるプロジェクトです。

2023年5月にスタートし、同年9月にフランスへの取材旅行を実施。香りの街と知られる南仏のグラースでは、調香師のほか、香水の原料になる花を栽培する農家やその関係者の方々との出会いがありました。

18世紀以来、良質な花の産地として知られてきた同地ですが、2000年代初頭には農家数がわずか数軒にまで減少し、存続が危ぶまれる状態でした。

現在は再び数を増やしながら再興の途上にあり、その過程や取り組みをシリーズでお伝えします。

今回の記事ではその序章として、グラースの土地で発展してきた香水と香料植物の歴史について概要をまとめています。

グラースの地理

宿泊先の窓からみた朝の風景。丘の向こうに地中海が見える

ニースからグラース行きの電車に乗ると、列車は南仏の小さな村や町を海沿いを走っていく。コートダジュールの青い海を左手に、アンティーブを通り過ぎ、30分ほどでカンヌに着くころには乗客の大半は下車している。そこから進路は北にそれ、残り30分は内陸の丘陵地をぼちぼちのぼる。

グラースの旧市街は丘の途中、標高300メートルのところにある。
南北に長いグラースとその周辺地域は海抜が100~1000メートルにまで及ぶのが特徴で、様々な植物が自生し、また栽培されている。

地中海に面して日当たりがよく、水が豊富なグラース盆地のふもとでは香料の原料となるジャスミンやローズ、山間部ではオレンジの花、さらに高いとこではスミレやラベンダーなどが栽培されている。


丘陵に沿って展開するグラースの街並み


グラース 香水発展の歴史

ルネサンス〜18世紀 : 香りつき革手袋から香水産業の発展へ

香水つき手袋が流行した時代の調度品。
グラースの香水メーカーフラゴナールがパリで運営する香水博物館にて。


グラースは、香水造りに必要な技術を総合的に発展させながら18世紀以来香りの都と知られ、2018年には「グラース地域の香水に関する技術」は、ユネスコ無形文化遺産に登録された。香水に関する技術とは、

・香水製造に必要な香料植物の栽培
・原料を加工して香料を製造する技術
・調香技術

の三点で構成されている。

香水産業で栄える前、中世には豊富な水量をいかしたなめし皮産業が盛んだった。当時皮をなめすのには人や動物の糞尿が用いられ、グラース産製品も高品質ながら匂いがひどかった。それがルネッサンス期になると、なめし皮を植物で香りづけする技法がイタリアから伝わり、地元の草花で香りづけした革手袋が、ヨーロッパ中の宮廷で大ブームになる。

もともとグラースは花の生育に適した土地であり、いい香りの花々が自生していた。香りを現地調達できることが強みとなって、17世紀には「手袋・香水製造」が街の主要産業へと成長する。当然自生した分だけでは足りず、様々な植物が栽培された。現在グラースの代名詞となっている花、ジャスミン、バラ、チュベローズが輸入され、栽培が始まるのもこの時期だ。

18世紀以降、なめし皮産業は衰退するが、身だしなみの習慣から香水の需要は残り、更なる発展をとげていく。

かつて香りつき手袋を製造していたガリマール。
いまでもグラースに工場と直売所を構え、香水や化粧品を製造、販売する。


産業革命〜第二次大戦: 香りの工業化

グラースの香水メーカー、モリナールの工場見学にて。
昔の蒸留風景が再現されている。

18世紀後半にイギリスで産業革命が起こり、フランスでは少し遅れて19世紀半ばから産業の近代化が押し進められた。

グラースやその近郊では香水や香料を製造する工場が次々に建設された、19世紀後半にはその数が約60に及び、香水の他、香りつき石鹸なども製造された。花の栽培面積も拡大し、植民地からの原料輸入、有機化学の発達による合成香料の研究開発なども加わり、香水・香料業界の工業化、大規模化が進んでいく。

20世紀に入ると合成香料を取り入れた調香の研究が進み、1920年代には香水史に名を残す数々の名香が生まれる。
その中の一つに今なお販売されているシャネルのNo.5がある。この香水は化学物質のアルデヒドが用いられていることで有名であるが、グラース産のジャスミンやバラが配合されている。これらの花々はいまもグラースの専属農園で栽培されている。


戦後〜2000年代初頭: 香料植物栽培の衰退

20世紀初頭のバラの花摘みの様子。イエールでの展示Hyeres en Flerusにて。

第二次大戦後、アメリカの市場への参入もあり香水の大衆化が進み、香水産業は更に発展していく。しかしそれは、原料の多くが安価な人工香料に置き換えられ、天然香料の生産拠点が人件費の安い海外へと移ったことを意味していた。

現在、フランスで栽培される香料植物の9割近くをラベンダー がしめているが、これは戦後機械化による工業化と大規模化に成功しためだ。グラースの隣県などで多く栽培されている。

一方、グラースで主に栽培されるジャスミンやローズはその繊細さゆえ、今日でも手摘みされている。手間のかかる肉体労働である上、花を買い取る香料会社との関係も、長い期間前時代的なままだった。例えば、花の買取先である会社との契約書が存在しない、先方の都合で支払いが数ヶ月から一年先になることがある、季節労働者を雇って収穫するが、豊作であっても会社が必要な分しか買い取ってもらえないなど、生活の見通しがたちにくい職業であった。そこにきて80年代から始まったリゾートや宅地開発ブームが押し寄せて、多くの農家が土地を手放していく。

1950年には1000ヘクタールに5000軒の生産者がおり、バラ2000トン、ジャスミン1800 トンをはじめ、計約5000トンの花々を生産していたが、2000年代初等には30ヘクタールの土地にわずか数軒の農家が残されるのみとなった。

その後、生産者たちの団結、香水業界や行政との連携もあり、農家の件数や耕地面積は上向いた。現在は異業種から転向した新規就農者を含む数十軒の農家が香料植物を栽培している。

次回からはいよいよ、花の栽培の再興の途上にある生産者たちの取り組みや、彼らの声をお伝えしていきます。お楽しみに!


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