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【インタビュー】 調香師 Didier Gaglewski : 軽さと楽しさで遊ぶ 〈後編〉

「香りを巡る旅」は香りの文化にまつわる人や場所を訪れる、旅とテキストによるプロジェクトです。

2023年5月にスタートし、同年9月にはフランスでの取材を実施。香りの街と知られる南仏のグラースとパリを訪れ、調香師や花の栽培者など、沢山の出会いがありました。

グラースで滞在したアパートの家主は、偶然にも階下で自身の店を営む調香師のDidier Gaglewskiでした。
一週間の滞在中、彼と言葉を交わす中で見えてきた人柄や仕事ぶり、そして調香師としてのキャリアについて描きます。

前半はこちらから


グラース旧市街

調香の学校を卒業すると、グラースにある原料工場に就職し、あるベテラン調香師のもとで学んだ。ひと昔まえの調香は父から子へと一家相伝で伝えられる類の技術であった。現在では数は多くないが学校で学ぶことができる。しかしそこを出たからといって一人でなれる職業ではないそうだ。

職場で二千とも三千とも言われる香料に触れながら個々々の香りを記憶しつつ、経験豊かな調香師から香りの組み立て方について細かい指導を受ける。

「その人はキャリアの終盤に差し掛かった素晴らしい調香師で、これまで培った全てを次世代に伝えるべく、惜しみなく色々なことを教えてくれた。僕にはラッキースターがついているのかも」と、冗談めかして頭上をさして見せたが、私には本当に星がきらめいて見えた。

「いい調香師になるには、高度な化学知識は必要?」との問いには「必ずしも」という返答が。「現代の香水産業において化学知識が求められるのは、大規模生産される製品には化学物質(人工香料)が多用されるためで、天然の香料を中心に調香するのであれば、基礎的な知識があれば十分」というのが彼の考え方のようだ。毎回調香師に同じ質問をぶつけているが、この辺りの見解はみな少しずつ異なる。ただ、どの人もみなアーティステッィクな感性を持ち合わせていると同時に、冷静で合理的な思考を持ち合わせている。ディディエもその例に漏れず、普段から落ち着いて全体をよく見ているし、前職の経歴をみても、論理的な思考の持ち主であることに間違いない。化学への素養も十分あるように感じた。

一般的に一人前の調香師になるには十年のトレーニング期間を要すると言われているが、ディディエの場合は独立志向が強かったのと、いい指導者に巡り合えたことも手伝って、数年で修行期間を切り上げて、自身のクリエーションをスタートさせる。
彼は香りについてはあまり難しく考えず、日常で浮かんだアイディアを形にしている。例えば、製品の第一作「Cambouis」は劣化した潤滑油を意味するが、男性的なイメージを思い描いた時、ガレージで作業する男性の姿が浮かんできたという。「本物のオイルの香りに近づけるか、身に纏える香水にするか、その振れ幅は無限にある。どこに着地点をもってくるかも、創作のポイントだね」
現在、多くの香りはマーケティングや企画チームのディレクションに基づいて創作されるため、調香師が自由な発想での調香できることは、オリジナルブランドを持っているメリットといえる。一方、「市場から離れていると、いいことも悪いこともあるよ」とも言う。ニッチフレグランスとて商品なわけで、世間の潮流から乖離しすぎるのもよくないのだろう。

店を持つ前はクレープの移動販売をやっている隣人に誘われて、一緒にマルシェ(通りや広場で定期的に開かれる市)などを回って、香水の出店を出していたことがある。
「短い間だったけれど、いい経験になったよ。香水ってマルシェで売る類のものじゃないけれど、そこで人々の反応とか、接客のしかたを学ぶことができたんだ」
色々と上手い具合に話がつながっていくものだなあと、改めて頭上に瞬いている星を眺める。


店に並ぶディディエの香水たち

 ***
ディディエに限らず、グラースに店を構える調香師達は根がクリエーターなためか、接客態度はごく控えめだ。少しでも製品に触れようものなら、すかさずやってきてあれもこれも勧めてくるような、販売員とはタイプが異なる。ただ、好奇心旺盛なディディエは一歩引いたところから店に立ち寄る人のことをよく見ていている。

私と話をしていて、客が来たのに気づかないようにみえても「しばらくは見るに任せているんだよ」という。「釣りと一緒で、魚が寄ってきてもすぐに竿をあげないんだよ」とも。そうかと思えば、外から少し覗いただけで立ち去ろうとした客にすかさず駆け寄って「試すだけでもどうぞ」と、香りのついたリボンを手渡す。リボンを一嗅ぎした相手はたちまち香りの虜になり、続けていくつかの香りを試した後、即決して購入した。ものの5分もかからなかった。香水工場直営店の大きな紙袋をさげていたから、いけると踏んだのだろう。

「香水について詳しい人もいれば、どんな香りが好きかもわからない人もいる」と話すディディエは、誰に対しても自然な態度で接している。会話の糸口に「どこから来ましたか?」と聞くのは、彼自身の興味でもあるが、食が香りと結びついているから、と考えているからでもある。例えばドイツからのお客にはウッディノート(木調の香り)にジンジャーやカルダモンが混ざった香りを差し出してみる。これらのスパイスはドイツのクリスマスに定番の、ホットワインやスパイス入のパンを思い起こさせる。「それを馴染みのある香りとして安らぎを覚えるか、あまりにも身近すぎると感じるかはその人次第」と、客が帰った後で教えてくれた。そうやって相手の反応を見ながら、提案する香りを変えて、会話をつなげていく。丁寧な接客が功を奏すこともあれば、そうでないこともあるが、その場その場の出会いを楽しんでいるかのように見える。


接客中のディディエ

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ある時ディディエに「ウードの香り、かいだことある?」と尋ねられた。ウードとは日本の線香にも用いられる香料、沈香のことで、私はウード単体の香りを香ったことがなかった。手渡されたエッセンシャルオイルの入った小瓶を受け取り鼻を近づけると、生木の針葉樹のようなすっきりとした香りが広がった。線香から香る沈香は甘く、重いような香りだったので意外だった。そのオイルをベースに調香したという香水をさっと一吹きすると、木の清々しさそのままに、ほのかな甘みと、サイダーを思わせるはじけるような香りが広がった。沈香を使った香水といえば、トムフォードの宗教儀式を想起させる香りが頭にあったので驚いた。ディディエによれば、トムフォードは中東の顧客をターゲットの一つにしているため、オリエンタル色の強い男性的な香りになるのだそうだ。


軽やかな香りが放たれる中、滞在中に訪れた、ヴァンスにあるマティス礼拝堂のことを思い出した。併設された資料館にマティスの書簡の一節があり『私の線は常に軽さと楽しさを求めている』と記されていた。個人的な解釈だが「楽しさ」は「遊び」とも捉えられるように思う。「あなたの香りにも同じものを感じたよ」と伝えると、ディディエは「軽さと楽しさか…。楽しさ、それはいいね」とうれしそうだった。


私はその香水を購入した。グラースを経った後もしばらく旅は続き、日中忙しく動き回る日々の中で、夜、時折トランクからその香りを取り出しては辺りにふきかけた。香りと共に蘇ってくるのは、ディディエとの静かで落ち着いた会話だ。
ディディエは冬の間、夜の時間を利用して少しずつ調香を進めるのだと言っていた。また、あまり急速にビジネスを拡大するよりは、今の生活ペースを大事にしたい、と。
間も無く慌ただしかった観光シーズンが終わりを告げる。静かな冬の夜に、自身のラボに明かりを灯して香りと遊ぶ、ディディエの姿が浮かんでくる。

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