新年の抱負に代えて:「青天を衝け」感想

2022年、あけましておめでとうございます。
今年も他愛もない文章ばかり書いていく所存ですが、よろしくお願いいたします。

かなり今さらではあるが、大河ドラマ「青天を衝け」の感想から今年のnoteを始めたい。

あまり熱心な大河ドラマファンというわけではなくて、これまでにちゃんと見たのは「龍馬伝」と「いだてん」ぐらいのものなのだけれど、2021年はこの時代に「青天を衝け」があってよかったと思うぐらい熱中してしまった。

これからどう動いていくのか不明瞭な今の時代にあって、日本という国が大きく変わろうとしていた時代に走り続けた渋沢栄一や、彼を支えたり一緒に戦ったりしていた人々の姿はとても魅力的に映った。史実として知っていようといまいと、彼らがどんな道を進んでいくのか見届けたいと思わされた。

ちなみに、「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一は「龍馬伝」の舞台だった幕末から、「いだてん」で金栗四三が走り回ったりまーちゃんが暗躍(?)したりしていた時代まで生き抜いたわけで、そう考えるとすごい人だ。

と同時に、徳川の世から維新を経て明治、大正、昭和と、社会は大きく変わっているようでいて連続していて、ずっと同じような問題を抱え続けてもいた(その中には今も残っているものもある)こと、江戸時代と昭和初期というのは案外遠くなかったということにも今さらながら気づく。

その中で渋沢栄一たちが切り開いてきた道は、そのまま現代にもつながっているということを実感させられる構成にもなっていた。だからこそ、2021年に「青天を衝け」があってよかった、と思ったんだろう。

「青天を衝け」にここまで夢中になった要因は色々あるが、個人的には登場人物の魅力というのが大きかったと思う。

史実に基づく物語として、経済の側面から幕末~昭和初期の日本を描くというドラマであると同時に、栄一を中心とした人間ドラマとして、「青天を衝け」は本当に面白く、毎回彼らの言動に心動かされ、元気をもらえた。

いつも自分の信じた道をまっすぐ突き進もうとして、それがために間違うこともあるけれど、間違えた時はそれを素直に認めて軌道修正しながら、「みんなが幸せ」な世の中を目指して奔走し続ける栄一。

その栄一に「みんなが嬉しいのが一番」と教えた優しいかっさまも、商売人として、人として美しい生き方を見せたとっさまも素敵だった。幼馴染の喜作は栄一と好対照をなすキャラクターで、幕末を描く上で重要な役目を担っていたし、お千代ちゃんは本当に芯の通った格好良い女性だった。栄一は家庭人としては割と滅茶苦茶なところがあったけれども、お千代ちゃんがいてよかったね……と思う。

様々な混乱、戦乱の中で命を落としていった長七郎や平九郎のような郷里の仲間の存在もそうだ。市井の人々にとって尊王攘夷や倒幕、御一新というのがどういうものだったのかを示す上で重要だったし、それ以上に彼らのキャラクターも生き生きとして魅力的で、栄一と彼の生きた時代を描くこの物語になくてはならないものだった。

血洗島の面々だけではない。草彅剛さん演じる徳川慶喜の孤独な輝きとそれが消え去った後半生、栄一を見いだした平岡円四郎の慧眼と江戸っ子気質も感じられる歯切れの良さ、栄一とは違う形で己の信念を通した土方歳三、当初思い描いたものとは違っていても新しい国を作るために尽力した旧幕臣たち。強烈なキャラクターで国を動かしていった新政府の伊藤博文や大隈重信。やや話が逸れるが山内圭哉さんの演じる岩倉具視が毎回コメディタッチなのは「なんで!」と思いつつ笑ってしまった。最期の場面までそのテイストが貫かれていて逆にすごい。いつの間にか視聴者にとっての癒し担当になっていた猪飼様も外せない。

商人・経済界の人々も物語を大いに盛り上げた。一筋縄ではいかない「食えない爺さん」感を醸し出し、最後はちょっと資本主義社会に対して問いを投げかけるかのような台詞を残して退場した三野村利左衛門。栄一とライバルでありつつ、よりよい日本を目指して経済面から働きかけた五代友厚。強烈なキャラクター性を発揮しつつ経営哲学で栄一と真っ向から対立した岩崎弥太郎。彼らがいたからこそ栄一は明治以降もさらに走り続けた。

全員の名前を挙げていくと全くきりがないのでひとまずご容赦いただきたいのだが、あと一人、忘れてはならないのが「徳川家康」だ。
第1話のオープニング明けに「こんばんは、徳川家康です」と北大路欣也さん演じる家康が登場した時のインパクトといったらなかった。が、数話見るうちにすっかり家康によるナビゲートが定番になり、それがないと寂しいと思うぐらいになり、そしてナレーションとは別にこのドラマの時代を「俯瞰で見る」キャラクターがいることの重要性に気付く。
そして、ドラマの中で徳川慶喜がキーパーソンとなっていることがわかるにつれ、このナビゲーターの役目を担っているのが徳川家康であるのは無意味ではないのだなということが感じられてきたのだった。東照大権現様、最後までドラマを一緒に見守ってくれてありがとう(本当に見守っていたわけではないが)。

史実をベースにしつつ、登場人物を生き生きと魅力的に描き出した脚本と、彼らを演じた出演者の方々には本当に喝采を送りたい。素敵なドラマをありがとうございました。

と、ここで終わってもいいのだけれどまだ書きたいことがあるので続けさせていただく。

「青天を衝け」を見ていて個人的に面白かったのは、これまでの幕末~明治の歴史のイメージが変わったことでもあった。

恥ずかしながらこのあたりの歴史については中学校の社会科の知識ぐらいで止まっていたというのもあるけれど、市井の人間の視点・幕府の視点・経済の視点からみたこの時代というのはこうなるのか、というのは新鮮であり、気づきをもたらしてくれるものだった。

尊王攘夷思想が市井の人々にどういう受け止められ方をして、それが時としてどんな悲惨な結果を招いたかとか、薩長による倒幕が必ずしも日本が近代化するための唯一の道ではなかったであろうこととか、廃藩置県の実施にあたって経済面での苦労があったこととか、インフラの整備がどれだけ重要だったかとか。
これまで社会科の教科書や学習漫画、あるいはそれこそ「龍馬伝」などで幕末・明治史を見てきた時の視点がどれだけ一面的だったかを知るきっかけになった。

そういう視角を通すと、このドラマは今の時代に引き寄せて観ることもできるかもしれない。
変化していく世の中、正解が容易には見つからない世の中では、思考停止に陥らずにどんな道がありうるのか考え続けないといけないし、「新しい世の中になった」といくら謳ったところで、人々の暮らしが良い方へ変わるものではないという、言葉にしてみれば当たり前のこと。

でもそんな当たり前のことが行われなかったり顧みられなかったりするのが現実としてあったり、当たり前のことを語れば理想論とかきれいごとと言われたりもする。

栄一が生涯追い求めた「みんなが嬉しい方法」はきれいごとだったんだろうか。

そうかもしれないけれど、それでも、「棒ほど願って針ほど叶う」ものでしかなくても、理想を語り続けて、走り続ける人がいたっていいだろう。というか、いるべきだ。

そんなことを考えさせられるドラマでもあった。

といって、私に世の中を動かすほどの力もないので、日々地に足をつけてしっかりと生活していくことぐらいしかできないが。

登場人物の描き方にも(単に私が知らなかっただけというのはあるだろうけれど)私にとってこれまでのイメージをがらりと変えるものがあった。

安政の大獄の井伊直弼は政治的な野心とか横暴性よりも、臆病で繊細な性質、拠り所の無さが感じられて、自分を取り立ててくれた将軍に報いなくてはならないという思いで動いているように見えた。
豪傑のようでもあり、策略家で本心の読めない西郷隆盛の恐ろしさというのもほかでは見たことがなかった。

その中で一番印象に残ったのは、徳川慶喜の描き方だった。

慶喜はこのドラマの中で栄一と並んでもう一人の主役とも呼べるような位置づけだったと思う。

「輝きがありすぎる」と自分でいうぐらい周囲から期待され注目され、実際に才覚もあり、円四郎や栄一、一橋家の家臣や幕臣にも慕われていた人物。それでいて自分の望むようには動けないまま、幕末の混乱に呑まれ、戦を止められず、意に反して朝敵とみなされ、隠遁を選んだ後半生。

暗愚と評されたり、新政府軍との戦いから逃げたと非難されたりという印象が強かった。ところが今回草彅剛さんの演じた慶喜は、そんな言葉では片付けられないような陰影を持った人物だった。

実際の徳川慶喜がどういう思いでいたかは知る由もないわけだけれど、「青天を衝け」の慶喜像は、徳川慶喜というのは本当にこういう人だったのかもしれないと思わされるようなものだった。ドラマを追いながら彼の苦悩や諦めも感じられ、それだけに、最後の栄一と慶喜のシーンは胸に迫るものがあった。

慶喜がかつて背負っていたもの、「人は戦争をしたくなればするものだ」という諦念のようにも聞こえる人間観、隠遁という選択、世間からの非難。一般的な「慶喜像」と、栄一たちの視点から見た慶喜のギャップ。慶喜の名誉を回復するために伝記を編纂しようとする栄一の試み。

それらを経て、栄一と慶喜の最後のシーンで慶喜は言った。

「いつ死ぬべきだったのかとずっと考えていた」
「しかし今ようやく思うよ。生きていてよかった。楽しかったな」

思うにこのドラマの核となるメッセージのひとつは、どんな世の中でも、たとえ間違えることがあっても、生きている限りは生き続けるべきだ(二重表現のようになってしまうが)ということで、それが集約されているのが徳川慶喜のこの台詞だったような気がする。

それは何度間違えても生きている限りもがき、走り続ける栄一自身の生き様にも通じる。

だからこのドラマは、政界・経済界の人物から市井の人々まで多くの人物の死を描きながらも「生」のエネルギーに満ちていたし、それが何より魅力的だったのだと思う。

繰り返しになるけれど、2021年に「青天を衝け」を観ることができてよかった。

最終回の冒頭で家康が語った通り、栄一たちの切り開いてきた道は今に続いているわけだ。

2022年、それからその先と、もっと良い方向に進んでいくことができるよう願いつつ、私もしっかりと自分の人生を歩まねばなるまい、と思う次第である。

ドラマにつられて固い文章になったけれども、まずは今年もnoteを細々と続けていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

みなさまにとって良い一年となりますよう。

書くことを続けるために使わせていただきます。