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原体験ドリブン(体験版)をやってみて感じた有益さ3つ

ありがとうございます。赤いメガネの緑のたぬきです。今回も日記ですが、もし良ければお付き合いください。

さて、「原体験ドリブン」という言葉をご存知でしょうか?私は最近知りました。そもそもドリブンって何ぞ。

《driveの過去分詞形》多く複合語の形で用い、それが原動力であること、それが主導していることを表す。「エアドリブン(=圧縮空気駆動式)」「テクノロジードリブン」

コトバンクより

「〜に突き動かされた」「〜のもとになった」みたいなビジネス用語らしい。ドリドリブンブン(横文字苦手マン)

で、現在通っているプログラミングスクールRUNTEQでは、ポートフォリオ案などを考える際の自分の掘り下げ方としてその原体験ドリブンの本をおすすめしたり、実際にキャリアトレーナーさんとやってみたりするらしいです。(私はまだそこまでカリキュラム進んで無いんで聞いた話ですが)

それが!今回!イベントとして!著者のチカイケ秀夫さんをお招きして実際のワークを行う事ができました。貴重〜。別途お金取らなくて大丈夫?運営の方優しすぎる…我々のためにありがとう……。感謝しかないイベントでした!

とても楽しかったし、思う事も多かったので少しそれをまとめておきたいと思います。

やってみて感じた原体験ジャーニーの有益さ3つ

①自己分析よりも深い、自分の根っこが見えてくる


やる前まで何となく思っていた原体験ドリブンは、
「良くあるキャリア形成とか就職とかの自己分析と同じようなもんでしょ?」

そして、やってみて感じたのが
「なんでアレ系の研修、まずこれしないの??????」だ。自己開発・自己分析系の研修、まずコレやれ。
確かに会社でやるには問題点もあって、それは原体験の利点でもあるから難しいのかもしれない。その一長一短ある特徴というのが、「自分の体験に着目して深堀る」という事だ。
下手したらトラウマに突き当たる。会社でやるには、深く、個人に踏み込み過ぎる可能性がある。(トラウマを根掘り葉掘り聞けとは言われていない。むしろそういう時は違う質問で答えやすいものから自分を振り返るよう勧められる)
原体験ドリブンと一般的な自己分析の大きな違いが、そこだと思う。伝わりづらいかもしれないが、原体験は「自分の体験を振り返る」ことに、一般的な自己分析は「自分がどんな人間か知ろうとする」ことに目的がある。後者の方が目的やゴールが広く、ブレやすい。着地点が分からなくなる。
ワークとしては似ているのに、「原体験を探していく」という目的がはっきりしているおかげで深掘りがスムーズだ。もちろん、自分の原体験がよく分からない場合もあるだろうが気付いて無いだけで多分みんなある。変わったタイミングとか、変わりたいと思ったタイミングとか、実は変化してきてるモノとか。そうじゃなきゃプログラミングスクール通ってないと個人的には思う。
話が逸れたけど、自己分析は「あなたの利点はコレで、欠点はコレだよね!あなたのモチベーションタイプはコレで、逆にこんな時はモチベ下がるよね!成功したときはこんな時で、失敗したときはこうだよね!じゃ、明日からの行動目標を立てたり、周りの人に宣言して実際に行動してみましょう!おつかれ!」みたいな結論が多い。その時、その瞬間にはスッキリするし自分を確かに知れるけど、研修後に行動するかと言われると「表向きやってるよアピール」以外の行動したことない。めんどくさいもん。(怠惰)

一方で原体験ドリブンは、何かを変える必要が無い。そこには自分の体験や今を形作ったモノしかない。
原体験を突き詰めて行くことで、自分の動機がはっきりし、それは自分の軸でありブレない、というシンプルさこそ原体験ドリブンの良さだと感じた。
ただ、そこに向き合う事や自分自身を開示できるかという意味ではハードな研修かもしれない。また、そこに原体験があった、というルーツを知ったあとどう行動変容させるのか、今日のワークではそこまでいけなかったので今後本を拝読してやってみたいと思う。

②他人を認めやすくなる


これをやってみると感じるのは、その人のことはその人にしか分からない、という事だ。当たり前なんだが、絶対に自分とは違うストーリーがある。考え方は似てて、「わかるウゥー」と唸りながらも、その人の体験は違う。気付いた経緯も違う。
ただ、自分が変わったきっかけは似ている事も多い気がする。悔しかった、嬉しかった、見返してやりたいと思った、寂しかった……感情的な何かがそこにあって、それはちょっと分析してみたくなった。きっともう心理学とかであるのだろうけど。
何が言いたいかというと、他人の意見を認められない人ほどこのワークをやった方がいいと思った。よく、「自分と他人では考え方が違うのだから、違う意見や考えがあるのは当たり前だ」と言われるし頭では分かるのだけど、本当に腑に落ちていないのではないかと思う。その人の背景とか考えてきた事、その流れを知ることで「いや、そりゃそうなるわ」と納得するし「こいつ、こんな考え方するんだな」と受け入れやすくなると思う。
業務の延長線の1on1を毎月やるのもいいけど、メンバーとこれやった方が良い関係築けるのでは?

……まぁ、人の意見を否定する人たちが素直にコレやってくれるのかは知らんし上司と1対1でやりたいかと言われるとやりたくないが(毒)😇

③自分について言語化しやすくなる


原体験ドリブンのワーク中は、めちゃくちゃモゴモゴする。「それはいつからそう思うの?」「何がきっかけだった?」「何でそう思うようになった?」と降りかかる質問に対し、「えぇと…………ううーん」と口ごもることも多かった。あと、変な汗めちゃくちゃかく。自分を振り返るってめちゃくちゃカロリー使う。痩せた気がする(気のせい)
でも、ワークが終わってみると自分についての言語化が少しだけ楽になっていることに気付く。なぜなら、「〇〇な事があったから、私はいまこう考えて行動しているのだ」という根拠と結論の構文が出来上がるから。「体験からこういう欲求があり、だから私は大学ではこうして、今の仕事でもこうで……」というストーリーも繋がりやすい。就職活動の前には、ぜひやってほしいなと思うワークだった。

私の個人的な雄叫び 30代、40代、50代…キャリアやポジションを得た人、親になる人にぜひやって欲しい


今日ワークが終わってからずっと思っている事がある。それは、「弊社のマネージャー陣にコレやってほしいなぁ……」である笑

どんな職場にも上司とのトラブルというものがあると思うのだが、弊社ではその内容に社内で統一性があったりする。
「あー、あの人はそうやってやられてきたタイプね。〇〇派か」こんな会話が存在するのだ。
最近ではそういう事例は部下から密告の上淘汰されつつあるが、モノを投げて怒るとか、メンバーの一人だけを貶めて周りにハッパをかけるとか、見せしめをしてチームの結束を狙うとか。やり方、下手すぎる問題。
さらに問題なのが、実際にその上司の方と部下でない立場でお話するといい人な事が多い。外面がいい、という事ではなくて本当に部下のためになると思ってそれをやっている、部下想いな人が多いのだ。最終的には、その部下から嫌われて、降格を望まれて消えていくのだが。
そして、その問題がある行動のほとんどが、その人がやられてきた経験からきている。

それに耐えて成功してきたからか、何か得てほしいものがあるのか、分からないけど、私が個人的に感じるのは自分がそうされたから自身もやっていると気付いて無い気がする。そして多分、それがその人のトラウマに近いほどの経験だということにも気付いて無い。

気付いている人は、そういうことやってない。やらない。感情的な人も少ない。

あれって、原体験じゃね????と思った。
年齢を重ねるたびに思うのは、自分を顧みる機会はやはり減るし、他人からの指摘や本音もどんどん減る。実際に減るわけじゃなく、言われなくなるだけなので、それが噴き出した時にはもういろいろと遅いことが多い。「こんなに頑張ってきたのに!」「精一杯やってきたのに!」「あの人にも認められてきたはずなのに!」とそんな気持ちしか残らないのは寂しすぎる。
原体験ドリブンをすることで、自分の行動の理由の根底に善意や想いがあったなら、行動自体を変えることはできる気がする。

もう一つは、親としてやってみるのもいいかもしれない。
虐待とかも、自分にその経験があると繰り返してしまうというのは聞いた事があるが、私はかなり家族に恵まれ愛されて育ってきたほうだと思うので関係はないと思っていた。
それでも、今日ワークをしながら自分の子供の頃を振り返っていて「そういえば、アレされて悲しかったり寂しかったな」と自分が親にやられて堪えたことを私自身子供にやってることがあると気付いた。「ど、毒親じゃん…‥」「思ってる以上に自分がされたことやってるかも??」とちょっとショック。
なんていうか、子供ってこちらが辛いことや私の言うことを分かってるのか分かってないのかがそもそも分からなくて、とにかく苦しめたいような気持ちになることがある。嫌いな掃除機わざとかけて泣かしてみたりとか、「お外に出すよ!」「じゃあもう一人でいなよ、バイバイ」と言ってみたりとか。良くないことだと分かってても、それをするときはこっちもいっぱいいっぱいなので、手を上げない代わりに何かで溜飲を下げたくなるのだ。子供が泣いた後、後悔はするけど、自分の心を保つために必要だったりする。(非難や反論は受け付けるが、私はそういうことがあるのも事実)
ただ、それが自分のどの原体験から来ているか知ることで「あ、今やっちゃってるな」と自覚できると思う。自覚してやめられたら苦労しないけど、自覚していないとエスカレートはすると思う。
今日のワーク中、相手の方の経験としても親の話があった。家族のことは好きだけど「あなたは○○だから」みたいなことを言われ続けて固定概念的なものは自分の中にあった、という話も出ていた。育児に答えなんてないけれど、自分の原体験として知っておくのは、どんな親にももしかしたら大切なことかもしれない。多分、向き合うのしんどいけど。しんど。

さいごに

ちょっとネガティブなことを上記で書きすぎた気もするが、素直な今の気持ちの忘備録なので許してほしい。誤解を生みたくないのは、原体験ドリブン自体のワークが、今の私にとってはとてもとても楽しかった、ということだ。
「原体験ドリブン」「原体験ジャーニー」と字面だけで見るとちょっと怪しく感じていたのだが笑、今日実際にやってみて本当によかった。「自分の良さ」とか「欠点」みたいな形のないモノを探す作業じゃなく、自分の経験を振り返る。なぜそう思ったのか、いつそう思ったのか、経験・体験を思い出す。昔語りって実はとても楽しい。あの時こうだった、こう頑張った、これが辛かった、と事実だからこそ浮かび上がってくる。そして、それを説明できるのは自分だけだ。間違いがない。
書籍を拝読したら、また改めてその発展を考えたい。また、自分を見失った時・辛い時、しんどい時にこれが本当に生きるのか、どう生きたのかもまた振り返れる機会があればいいと思う。
さいごに、今回の機会を頂いたRUNTEQと、関係者の方、ファシリテータの方、チカイケ秀夫さんに感謝。


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