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今更だけど『大豆田とわ子と三人の元夫』の感想を書いてみる

2021年春ドラマでは一番推しだった「大豆田とわ子と三人の元夫」
8月1日よりNetflixで配信が開始されたので、一気見してみた。

連ドラの辛いところは(あたりまえだけど)毎週の放送を待たなければならないこと。

が、情報量の多いこの世の中、これは結構なディスアドバンテージだ。なんせ1週間も間が空くと、ドラマへの興味とか感動とか、そういうものが薄れてしまう。というより忘れてしまう。よって毎週、登場人物に感情移入した時の感覚やドラマの世界を思い出すのに苦労する。

なので、「動画配信サービスで短期決戦&一気見する方が連ドラマを楽しめる」というのが持論。

ともあれ、リアルタイムで鑑賞していた「大豆田とわ子と三人の元夫」を、一気見した感想を綴っておこうと思う。


↓こちらのブログでは未視聴の方向け、作品紹介とネタバレなしの考察を書いています。↓


1. ドラマティクな設定なのにドラマティックにならない魅力

3回離婚を経験した女が主人公のこのドラマ。
この設定なら、おもいっきりドラマティックな展開(あるいはおもいっきりコメディ路線)になる要素が満載だと思うけど、この物語はそうはならない。というか、ドラマティックな展開があっても、劇的と感じさせまいとする制作側の確固たる意思を感じる。


さて、主人公大豆田とわ子は、建設会社「しろくまハウジング」の社長ながらも社長然としていない、気の抜けた存在感。
彼女の持つ普通っぽい雰囲気と、彼女が歩んできた普通っぽくない人生のアンバランスが、とわ子の魅力になっている。

そんな大豆田とわ子と三人の元夫たちのキャラクター、そして彼らの絡みを淡々と楽しむのがこのドラマの正しい鑑賞の仕方(だと思っている)。

加えて伊藤沙莉の独特なナレーション。これ、好きだった。
また、ドラマの始まりと終わりに「大豆田とわ子と三人の元夫!」「大豆田とわ子と三人の元夫、また来週!」と、とわ子がカメラ目線で発するあたり、昔懐かしの昭和ドラマ的、サザエさん的な作りで、くせになる演出だった。

ともあれ、ドラマティックさをあえて感じさせないのがこのドラマ。登場人物たちは深刻な事情を抱えていたとしても、その深刻さを表面に出さず、淡々と対処・対応している風に見える。
つまりは、彼らの日常が淡々と描がかれているのだ。
一方で、その日常の中には温かな可笑しみがあり、なんとも言葉にできない魅力と心地よさを生み出している。


そして思う。
「これ、今私がハマりにハマっている韓国ドラマ「賢い医師生活」と同じカテゴリーだわ。。」と。

というわけで、どうしてこのドラマに惹かれたかが自分なりに腹落ちした次第。


2.かごめの死が表現するもの

「日常」とは、常に何かが起きている。

その「何か」は、時に大事件であったり、どうでもいいことだったりと様々だ。
そして何があろうと淡々と過ぎていく。それこそが「日常」。

その事を象徴しているのが、とわ子の親友「かごめの死」だ。
リアルタイムで鑑賞した時、ここにはすごく違和感を感じ、どうにも消化できなかった。

一気見することで印象が変わるかも?という期待もあって、再見に臨んだのだが、抱いた印象はリアルタイム鑑賞の時と同様、何か釈然としないものだった。


それにしても、この釈然としなさはいったいどこから来るのだろう?

「人の死」という最も衝撃的な事象をサラッと扱っていることが違和感につながっているとは思う。でも、一番の理由は「なぜ彼女は死んだのか」という死の理由や原因が明確にされていないからだ。

また、とわ子も田中(彼はかごめに想いを寄せいていた)も、彼女の死に対して淡白に見える。

とわ子に関して言えば、オダギリジョー演じる小鳥遊(たかなし)に「かごめの死」について心情を吐露するシーンがある。でも、それを除けば、飄々と、彼女は彼女の日常を生きている。
そこにある種の寂しさみのような、物足りなさのようなものを感じてしまうのだ。


一方で、そんなとわ子のを見て、ふと思う。

そもそも、生きるということは日常の積み重ね。
人の死は衝撃的な出来事には変わりないけれど、人間にとっていつか必ず訪れる日常の一部でもある。人生とは、生まれて、生きて、死ぬまでがセット。

つまりは、死を日常の一部として受け入れているのがこの物語なのではないかと。日常は全てを飲み込む。そう、死さえも飲み込む。


そして、「寂しがり屋には寂しがり屋が近づいてくるもんです」という小鳥遊の言葉の通り、とわ子と三人の元夫、そして小鳥遊、みなそれぞれがそれぞれの心の隙間を埋め合うために、お互いを必要としている。

そんな風に寂しさを分かち合える誰かがいる人生は幸せだと思うし、日常とはそういう人たちと共に過ぎていくのだと思う。

実際のところ、かごめが存在していない世界は、とわ子やとわ子の周辺の人々にとってやがて日常となる。そしてそれがどんなに辛く、寂しいことであっても、結局は受け入れて生きるしかないのだ。



いずれにしても、日常は多様だ。
「"布団が吹っ飛ぶ"に出くわすこと」「ラジオ体操のあるパートが人と合わないこと」「夜中に食べるプリンの蓋は半分しか開けないこと」「親友のお葬式の花を選ぶこと」「ボーイフレンドのいいなりになっている娘を心配すること」「恋の相手に会社を買収されそうになっていること」そして、「親友の死」。
その全てが日常に包括される。


3.三人の元夫たちの魅力と幸せを諦めない大豆田とわ子

田中、佐藤、中村。

この、最もメジャーな苗字を持つ男たちが象徴するのは、どこにでもいる男たちなのだと思う。

彼らは三人三様、個性的ではあるけれど、一方で「あぁ、こーゆー人いる」な男たちでもある。オーガニックな田中も、ケチだけど気のいい佐藤も、めんどくさい男中村も然り。

ちなみに、田中の魅力は受け入れる力。つまりは傾聴力。これを嫌いな女はいない。だから女にもモテる。事なかれ主義なのでズルいといえばズルいのだけど、一番めんどくさくない男。

それに対して佐藤はちょっと分が悪い。
いいやつなんだけど、図々しいところがあったり、ケチだったり。いいことをしてもそれをありがたがられることがないタイプというか。とても人間味のある男なのだけど。

最後に中村しんしん。
イケメン弁護士@だだっ子な彼は、最もめんどくさい男。
不器用さではダントツ。でも、実は純粋で。ひねくれてて空気読まないけど、そんな自分を反省し「変わろう」と努力する姿が愛おしい。
ルックスと性格のギャップに萌えているのかもしれないけど、三人の元夫の中ではイチオシだった彼。
(とい言いつつ、結婚するなら田中が一番面倒がなくていいけれど)


ともあれ、とわ子はとにかくモテモテで羨ましい限り。三人の元夫に加えて、彼女の前に現れる男たちにことごとく気に入られる。

しかし、とわ子の人生はそれほど思う通りに運ばない。器用なのか不器用なのかよくわからない彼女だけど、幸せになることをあきらめずにいるということだけはわかる。

そう、この「幸せをあきらめない」とわ子の姿勢こそが視聴者の気持ちを引き寄せるのだと思う。

そして、時々歌を口ずさむ彼女。その上手さがすごい。(ここだけは、とわ子ではなく、松たか子になっている。。)


ともあれ、続編があってもスッと入っていけそうなのが「大豆田とわ子と三人の元夫」。

ウィットに富んだ会話や心に刺さるセリフの数々。
スルメの如く、見れば見るほど味が出てくるタイプのドラマだと思う。


【大豆田とわ子と三人の元夫 シナリオブック】
セリフが秀逸なこのドラマを文字で味わうのもおすすめです!



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