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ひとりひとり

私は世間ではマイノリティと言われるだろうが、マジョリティでもある。

マイノリティ・少数派とは、
“その人が今生きている社会では”、めずらしいということ。

マジョリティ・多数派は、その逆だ。

手話サークルに参加したとする。
そのサークル内での言語が手話の場合、私は一瞬で少数派になる。
(視覚障がいの方で、手話を使われない方は多くいらっしゃいます。)

海外に行ったら、だれもがマイノリティ(少数派)になる。

日本に生まれ、日本人の両親を持っている私が、日本にいるときは、その面ではマジョリティ(多数派)である。

そんなふうに、簡単に変わりうるもの。

ーーー

障害者、障がい者という呼び方は、できることならば使いたくない。

健常者、という言い方も。

マイノリティ / マジョリティ。障害者 / 健常者。

そんな簡単に二分できないし、
分けないと伝わらないことに、さびしさを感じる。


『障がいのある方も、(ない方も)参加できます』
『LGBTフレンドリー 』

よいこと、には間違えない。
ただ、この時点で分けられてしまっている。

そう言葉にしなくても、
だれもが、当然のように、
望むことをできるといいのに。

ーーー


困りごともつらさも、少ない方がいい。ただ、


困りごとがなければ、幸せか。
つらくなければ、幸せか。

そんなことはないはず。


外から分かる障がいがあっても、家族やまわりからの理解があり、楽しく学校に通う子はたくさんいる。

障がいがなくても、暴力を受けていたり、見ていたらどうだろう。

健常者の人は、(心も体も)健やかで幸せ、とはかぎらない。

ーーー

日本の貧困は、いわゆる途上国(と呼ばれる国)の貧困とは違う。
蛇口をひねれば、安全な水も飲める。


だから、忘れがちだ。


私たちの身の回りにも、
いつも空腹に耐えている人がいることを。

長期休みに入ると、栄養不良になったり、痩せてしまう子どもたちがいる。
朝食は食べることができず、給食が唯一の“食事”だという子も。


学校生活に必要なものでも、「買って」と言い出せない子もいる。
子どもたちは、家にお金がないことを分かっていて、遠慮してしまう。
遠慮の度合いは、
ひとりひとり違う。

ーーー

つらさや大変さは、比較はできない。
本人にしか、分からない。

自分がつらいと感じるのなら、それはつらいんだよ。

『もっと大変な人がいる』

その励ましは、自分にも、だれにも、必要ない。


目の前の人が持っている悲しみ(生きづらさ)は、
残念ながら、Google先生には答えてもらえない。


一対一の心と心で、教えてもらうもの。

時間をかけ、少しずつ。

2024.9.29


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