見出し画像

苦しいのにやめられないとき

症状か個性か、明確に線はひけません。
混ざっている部分もあると思っています。

苦しいのにそのことをやめられない場合は、
少しでも解決する方法、和らぐ方向を、私は考えています。

ここから、私自身のことを書いていきます。
つらくなってしまったときは、迷わず閉じてくださいね。

摂食障害は、難病といわれることもあります。
しかし、ほぼ治る方もいらっしゃいます。それが数年の方も、数十年かかる方もいらっしゃいます。
同時に、亡くなる方も少なくありません。心不全などの場合も、自殺の場合も、合併症による場合もあります。

ぼちぼち付き合いながら、やっていく方も。

摂食障害といっても、経緯も症状もひとりひとり違います。体も生き方も違うので、当然です。


私は決してよい例とはいえませんが、もしひとつでも安心していただける何かがあれば、嬉しいです。
がんばらず読めるところまで、お付き合いくださいね。

〜〜〜

私は現在、発症前の14歳のときより体重は4kgほど多い。
(身長は3cm弱伸びた。)
体重は2kgほどの変動はたびたびだですが、このあたりで何年も落ち着いています。
発症が子どもの体のときなので難しいところですが、
おそらくこのあたりが落ち着きどころなのかなと最近感じています。
その理由のひとつは、感覚。

もうひとつは、1ヶ月ごとにきちんと生理がくるからです。
(生理前と生理中の不調はあります。)
最近はだいたい満月に合わせて来るので、自然の摂理に合っているのかなと、勝手に思っています。
満月は、1ヶ月の中で満たされるエネルギーが高まる時期。
昔は、満月付近で月経になる人が多かったそうですよ。

摂食障害はダイエットとの境目も難しいですが、
小さめの女性(152cm未満)が、±20kg体重が変動するというのは、どう考えても健康的ではないですよね。



野菜も水も、重さを量らないと食べられなかった時期が長くありました。
これは、“こだわり”の範疇を超えていると今ならいえます。

結構大変でしたよ。
乗せたりおろしたり、足したり減らしたり…。
でも、量らないと不安で食べられませんでした。
電卓と、紙と鉛筆も、必需品でした。明らかに、頭で食べていました(今もゼロとは言い切れませんが)。

普段食べる食材のカロリーは、表にしていましたし、
ほぼ暗記しいました。すごいでしょ。

摂食障害の症状は、強迫性障害と似ていると言われています。

今は、秤も計量カップもほぼ使いません。ごはん(お米)くらいかな。
量りたいときは量れる、という安心のために、手元に置いています。
実際は、洗剤などの計量に使う場面の方が多いくらい。



カロリーもほぼ気にしないで食べられています。
不安にもなりません。

家では毎日蒸し野菜ですが。
身体を冷やさないために生野菜を少なめにしていることもあり、大きめのお鍋にドカドカ入れて、何でも蒸しちゃいます。

「料理とかするの?」
と日常会話でよく聞かれますが、
「料理はしませんが、毎日自炊しています。」
と意味不明な回答をしています。

簡単な“料理”はできたらいいなとは思います。
梅干しは漬けますよ。
今年のはしょっぱくなりすぎてしまった…。

当初から、原材料がすべて分からないと、怖くて食べられません。
原材料を気にすることに関しては、ヴィーガンである部分の比重の方が大きいので、認めています。

ここが私の場合は複雑で、発症にこのこと自体が関わっています。
はじめに食べなくなったのは、動物性食品でした。
白米は食べていました。

家族とも食事ができない点は、本当にかなしいと感じます。
家族が私の安心できるものに合わせる気はない、というのもありますが、
見られている状況で食べられなくなったためです。
これは長引いたことで起きた(大きくなった)部分。

果物のみ、一緒に食べるときはあります。
ただ、数カ月前に家族そろってさくらんぼを食べたときも、喉で止まるような、喉が閉じるような感じがしました。


20年間のすべての食事が個食、孤食、はさびしいです。
想像しづらいと思いますが、この点は孤独を感じる大きな要素です。


10年前くらいから、飲み物(ストレート、ブラックにかぎる)は、緊張しない間柄の人とはお話ししながら飲めるようになりました。
これは、だいぶ和らいできた気がする。

不思議だなと思います。
うまく飲めないぞ、と思ったときはじめて、緊張していることに気が付くから。

10代(15歳〜)は、体重計に一日に何度も乗っていて、
その後過食に転じた後、一時期は一切乗らなくなりました。
今は一日一回、朝一番軽いときに測ることで落ち着いています。

摂食障害でなくても、気にする方は一日に数回乗ったりしますね。

増えたときに、
自分の価値がゼロになったような感覚や、
ダメな存在で、そんな自分が恥ずかしくて、誰にも会いたくない、
といった気持ちになるなら、

なぜそんなに追い詰められた気持ちになるのか、自分にきいてみてください。

理由が分からなかったら、デリケートなことですので、専門職の人へ相談することを強くおすすめします。

体調を記録していて、体重は気象などでも変動することが分かってきました。
一喜一憂しなくなったわけではありませんが、
自分がちゃんとできたことの価値判断としてではなく、
健康チェックの一環に変わってきたことを感じます。

むなしくて泣きながらも、食べることをやめられない。
食べているとき、心動が聞こえるくらいにドキドキ苦しい。
胃腸を通り越し、背中まで詰め込むように食べる。

これが頻繁なら、一過性のやけ食いや食べ過ぎではないと考えてよいと思います。


おいしくて、味わって食べているのではない状態です。
止まったときに罪悪感とむなしさ、「ごめんなさい」という気持ちしか残りません。

過食に転じてからも、嘔吐をせず、絶食することで帳尻を合わせようとしてきたことは、自分にYESをあげられる唯一の部分かなと思います。

過食をしている時点で矛盾しているので、あきれてしまいますよね。
飢餓状態を回避しようとする体の力は、本当に恐ろしいです。
まず自らの命をつなぐことを最優先するように、体に刻み込まれているのだと、痛いほど感じます。
 

私は見えないところで殺してもらった命を食べることや、食べること自体に罪悪感を感じる、というのが根底にあります。
嘔吐をしないことは、私の中では不思議ではありませんでした。



素直だった10代のときに、信じられる人からいただいた言葉が、ずっと支えになっています。

同じ病室で、とてもかわいがってくれたお姉さんからの
「どんなに体重が増えても、吐こうと思わないで」。


主治医の先生がおっしゃった
「摂食障害の人は、お酒は飲まない方がいいよ」。


今でもハチ公のように、忠実に守っています。


はじめて信頼できた先生でした。
私は自分をコントロールできない感じがものすごく苦痛で、心の中がパニックになるのですが(今もゼロではないと思う)、
先生はそのことを分かっていらしたのだと思います。

〜〜〜

投げやりにならない。

できるだけ自分を傷つけない選択をする。

今できる中で、後悔の小さい方を選ぶ。

それが、心と身体を守ることにつながると思っています。


お酒の楽しさを知らないので、飲みたいと思わないです。

おそらく、飲めない、または弱いと思う。
「小学生のとき、お酒入りのチョコで気持ち悪いと騒いでいた」と母が言っていましたから。
飲めなさそうな見た目らしく、助かっています。

〜〜〜

先のお姉さんは、
知的でかっこよくて、先生にもしっかり自分の気持ちを伝えられて、おしゃれで。強くて、やさしい。
今でも年1〜2回の文通をしています。

長年の嘔吐のしすぎで、消化管が破裂して、強制入院の強制断食で大変だったのです。現場にいました。

入院中は、いろいろなことがありました。

本棚から、本がバンバン飛んでくるし、
時計を割ってまで、リストカットしてしまう方もいる。

みんな、本当はそんなこと、したくないんです。

いつも一緒に、廊下に散らばった本を拾っていました。
リスカしてしまう方も、警察官になりたかったと話してくれました。

おかげさまで、たいていのことには驚かない。
「あら〜」だけ。
その人の内側の魅力は変わらないもの。




苦しいと分かっているのに、
どうしてもやめられないとき。

“私、だいじょうぶかな?”
と思ってくださいね。

精神的な傷は、『よくなった』(治る、ではない場合もあるため、よくなる、とさせてください)といえるまでに時間がかかります。


少なくとも、苦しくなり始めてから『折り返し地点』までの時間と、同じだけかかる。
ここまでの倍はかかると思って、あせらずに。

と、10代のとき言われました。

当時は絶望しかなかったけれど(笑)
あせりまくっていました。
10代の一年は大きいですので。

Dr.から「30歳まで生きられないよ」と言われたときも、
「30歳まで生きているなんてヤダ!」と思いました。
反抗期でしたでしょうか…。

誤診だったようで、今のところ死ぬ気配はありませんが。

『折り返し地点』は、私は22〜23歳くらいだと思います。
そのときは分かりませんでした。


適切な手当てが始まるのが遅れると、苦しい期間がどんどん長くなることは確かです。
私は、14〜15歳の出だしが、今考えても非常によくなかった。
Dr.や病院自体も怖くなってしまいました。


できるだけ早く、だれかに相談してください。
できたら、医療機関や、自治体の設けている相談窓口のような、ある程度知識のあり、適切な手当てにつなげてくれる人に。

〜〜〜

ギャンブル依存症の方は、泣きながらも賭けるといいます。

アルコール依存症の方も、手に入らないときは、食用でないアルコールでも口にするとききます。

強迫性障害も、
自分の行動がおかしい、こんなことしなくていい、
と自覚していて、やめたくてたまらなくて、
それでも止められないんですよ。
家族が当事者なので、よく分かります。

もし相談を受けた場合は、話してくれた勇気と、今まで耐えてきたがんばりを受け止めてあげてください。

どうにもできず、苦しいのですから、
「それはおかしい」
「やめたほうがいい」
「〜した方がいいよ」
は言わないでいただきたいかな。
なんとか力になりたくて、アドバイスするお気持ち、分かります。ありがたく思います。

追い詰められているときは、ありがとうと感じる、その心の余裕がないのです。
どうかお許しください。



繰り返しになりますが、
自分を、また他人を、傷つけることをやめられないとき、
恥ずかしいと思わず相談してくださいね。


背負ってしまったものは、自分で解決していくしかないんです。
病気にかぎらず、たとえば詐欺にあったときなどもそうですよね。明らかな被害者でも、どんなに傷ついても、繕っていくのは自分です。

かなしいですし、悔しいですが、そうするほかありません。

ただ、忘れていただきたくないのが、
そのために、人の力を借りていいということ。
助けてもらうことは、少しも恥ずかしくないということ。

自分の身体と心は、だれにも代わってもらうことができません。
具合が悪いときに預かってもらうことも、借りることもできません。

どうか、
自分を手当てすることを、
おろそかにしないでくださいね。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
よろしければ、またお開きください。

健やかで、穏やかな日々を。

2024.8.28・29・30


対面で話しづらいときは、電話やSNSで相談できる窓口があります。

『TALKの原則』
自殺予防の観点でいわれるものですが、
これはすべてに当てはまると思っています。

人の話を聴くとき、
自分の心の声を聴くとき、
思い出せたらよいですね。

Tell:言葉に出して(心配していることを)伝えること
Ask:気持ちを尋ねること
Listen:つらい気持ちを傾聴すること
Keep safe:安全を確保すること


『ゲートキーパー』
命の門番という意味です。
ゲートキーパーには、だれもがなれます。
自分のゲートキーパーにも。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?