見出し画像

すべて読者の投稿でできている雑誌があった

その雑誌は、ポンプ!といいます。
ウィキペディアによると『おしゃべりマガジン ポンプ!』だそうです。
私は、ただポンプと呼んでいました。

創刊が1978年12月で1985年7月まで刊行されていました。

中学校の時、横須賀の親戚のところに行って、書店でロッキングオンという雑誌を買い、「ロックを聴く以上にロックを読むのが面白い!」とイナズマ級の衝撃を受け、それ以来盛岡に行くたびその雑誌を探しては貪り読むロックに憧れる田舎の中学生だった私は、その雑誌からスピンオフするような形で創刊されたその雑誌に、創刊当時から読者・投稿者として関わることになりました。

創刊時・投稿時代

創刊時に、私は岩手の高校生2年生。
弓道部に入り、部活を楽しみに高校に通う毎日でした(弓道部は男女一緒に活動するんです)。

当時のメディアはテレビと新聞とラジオと本。通信手段は電話と郵便しかない時代です。その時代に、読者の投稿で全誌面を埋めるなんてことをやっていたんです。信じられますか?

誰も投稿しなかったら、誌面が埋まらないんですよ。

そんな馬鹿げた企画、誰が考えますか。

でも、本当にそういう雑誌があったんです。

これに、田舎の高校2年生はとても胸躍ったんです。

自分の書いた文章や写真を送ると、それが紙面に載ったんです!!

当時、印刷は、ガリ版印刷かポールベン原紙での輪転機印刷(この言葉のイメージすら湧かないでしょう?)しかありません。コピー機も普及していななかった時代ですよ。

繰り返しますね「自分の書いた文章が活字になり、写真が掲載され、紙に印刷され冊子になって書店で販売される」のですよ!全国デビューですよ!!

そのインパクトたるや、田舎の高校生には凄まじいものでした。
載るだけで嬉しいのですが、採用されないものも当然あります。
投稿する人たちの中で埋もれないように、どうにかして目立つように、個性が出るように、工夫しながらせっせと投稿したのでした。

投稿といっても、今のようにメールもありませんから、原稿用紙に文章を書き、写真の紙焼きを同封して郵便封書で切手を貼ってセコセコ送るのです。

投稿の内容は、すでに45年も前のことなので、今となっては全く覚えていませんが、高校行事の写真とかスナップ写真とか送っていたように思います。毎月、掲載されるかボツになるか一喜一憂しながら、ページをめくっていたあの頃が懐かしく思い出されます。

そして、上京。リアルポンプの人々との出会い。

冊子の創刊から1年ちょっと経った頃、私は、大学進学のため念願の首都圏の一角である横浜に住むことになりました。
ポンプは相変わらず快調で、東京でイベントを開催することもあり、田舎者の私も、渋谷あたりのイベントにおずおずと参加したりすることもありましたが、投稿の常連者の人気者オーラが眩しく、人見知りで口下手な私はただただモゴモゴして帰ってきたような記憶があります。

冊子の創刊から1年ちょっと経った頃、私は、大学進学のため念願の首都圏の一角である横浜に住むことになりました。ポンプは相変わらず快調で、東京でイベントを開催することもあり、田舎者の私も、渋谷あたりのイベントにおずおずと参加したりすることもありましたが、投稿の常連者の人気者オーラが眩しく、人見知りで口下手な私はただただモゴモゴして帰ってきたような記憶があります。

投稿者の中には、その後一世を風靡する漫画家の岡崎京子さんがいたりして、その当時から輝きが凄かったなあ、凄かったなぁ、という思いは残っています。

イベント終了後、帰り方面が一緒だということで漫画家の岡林みかんさんと一緒に東横線で帰ってきたのは嬉しかったですね。

インターネットが普及する前、ケータイ電話が普及する前、ワープロやプリンターが普及する前の世界が想像できますか。

地縁を超えて人と繋がるためには自分から何らかのアクションを起こして、実際に田舎を飛び出して、行動することが必要だったのです。

そう思うと、当時の自分は今より大胆だったなと思います。怖いもの知らずだったし、無知だったし、情報量が少ない分、何でもできた気がします。比べる人がいなかったし、世間の目も気にならなかったし、バカだったし。

ポンプが私のメディア原体験

今から、45年前、冊子というメディアで、インターネットやSNSの先駆けとなる全投稿型のコミュニケーションの場が実在していたこと、そこに感度の高い若者が集っていたこと(多くはティーンエイジャー)。そういうムーブメントの端っこに関われたことが、それ以降のメディアとの関わりの原体験になったことは間違いありません。

人が集って、何かをなすこと。

その楽しみを10代で知ってしまったのですから。

その当時の、ポンプ創刊者の橘川幸雄さんのことば。
「よはとつ」

よりそう
はなれる
とどまる
つどう

今、60歳を過ぎ、いろんな学びや活動の場にいる時、この”つどう”感覚を実感します。
様々な人生を経て、その上で何らかの共通項で人が集い出会う。
若い頃の”よりそう”とは違った、楽しく重みもある気張らない”つどう”がそこに感じられるのです。

話しがズレた気もするけど、今日はここまで。ではまた!





こんなこんな思いつきの雑多なページにようこそ。いつもご覧いただきありがとうございます。