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「若手」について

「若手」って難しい言葉だよなと、思う。

私は小劇場演劇の制作者をやるときがあって、ときどきプレスリリースを書いたりするのだけれど、どこまで、作品をカテゴライズしていいのかについて、いつも迷う。

できれば、「若手」という言葉によって、自分たちのことを自称したくない。
芸術に年齢は関係ないのだし、「若手」という言葉をつけた途端、「若手なのにすごい」もしくは「若手だからこんなもんか」という、いずれかの見方に誘導してしまうような危険も生じるだろうから。
作品は、若手と名付けた瞬間、若手の作品として、簡単に消費されてしまう。若さの呪いである。

とはいえ、難しいのが、何らかの形で作品を、広報可能な形にフレージングしないと、関係各所で宣伝してもらうのは難しいし、もし客席がガラガラで大きな赤字が出たなら、その後、作品作りを継続していくことは難しいわけで。
たしかに、安易なフレージングを使ってしまうこと自体、作品の商業的身売りに過ぎないのかもしれない。ただ、それでも私たちは作り続けていかなければならない。


「若手」を自称せざるをえない瞬間、芸術と商業との境界を感じる。
ああ、また生活に負けた、というような気持ちにもなる。
イスカリオテのユダが舞台制作をしている様子さえ思い浮かべる。

簡単に消費されてしまうフレージングに頼らず、消費に抗いつつも世に流布しうるような言葉を生み出すことができるのが、いわゆる、「よき制作者」であるのだろう。
したたかさと芸術家の誇りは、絶え間なく緊張していなければならない。

そんなことを考える台風一過の昼下がりである。


(写真:台風一過の海)





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若手研究者海外挑戦プログラムに応募した。

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