「企業の公共性」と「オルタナティブ・パブリックネス」概要
(最終更新:2019年10月23日)
CAP(=Club Alt. Publicness)というチームで「企業の公共性」という活動をしています。
各企業のビジネスの幅を広げ、広げた結果としてその企業なりの公共性をもデザインしてしまうという仕事です。
1. 企業の公共性とは?
既存の概念と比較して言うと、CSR(corporate social responsibility)のように企業の営利活動内容に半ば関係なく社会的責任を考えるのではなく、企業による公共性のデザインが企業の価値になるというCSV(Creating Shared Value)を目指した活動といえます。また、社会問題の解決をビジネスとする「社会的企業」とも志を共にしていると考えています。
一方で、「社会的企業」と「企業の公共性」では異なる点が2点あります。ひとつひとつ説明していきましょう。
[A] 大きな企業が持つ資本を再解釈したり再利用することで結果公共性が生まれるというデザインプロセスであるということ。
[B] 企業活動を通じて既往の公共性論のバージョンアップも目的としているということ。
まず[A]について。公共性を考えるうえで、我々CAPは特定の社会問題ではなく「企業の使いきれていない資本」にまず着目します。
例えば賃貸住宅メーカーは多くの場合、賃貸建物と付置の駐車場の供給のみにビジネスがとどまっています。しかし、賃貸建物は使いきれていない部分をもっと有効利用できるはずです。例えば、もしアパートが住宅以外の方法でも利用出来たらどうでしょうか?既往の賃貸住宅の枠組みを広げ、新しいビジネスを企画する際には住人や利用者のライフスタイルに関する提案も必要となります。そのような試行はもしかすると公共性と呼ばれるものの一部を今までとは違う形で賃貸住宅メーカーが形作ることにつながるのではないかと考えています。そして公共性のあり方が広がることがそのまま企業の顧客の幅が広がることに繋がり、それが企業の収益へと還元されます。つまり「企業の公共性」をデザインすることで、ビジネスと公共性の好循環を生むことができるということです。
要約すると、
①企業の資本を再解釈・再利用する
→②民間資本が公共的役割を担いつつ、新しいビジネスが展開される
→③収益事業が公共的空間の運営を支える資本となる
→①→②→③→・・・という循環が生まれるということです。
そのため、すでにある企業の資源をリノベーションするという意味で、新しく企業とビジネスを構築する社会的企業とはアプローチは真逆であると言えるでしょう。
2. 企業の公共性のための公共性論:オルタナティブ・パブリックネス
次に[B]について。我々CAPが依拠する公共性概念を「オルタナティブ・パブリックネス」と呼んでいます。この公共性概念はハンナ・アーレントや斎藤純一氏の公共性論を元にしつつ、またこれらを変奏するようにして構築されたものです。ですので、ここではアーレントや斎藤氏の公共性概念を図式化(下図)しながら、「オルタナティブ・パブリックネス」がどのようなものかを説明したいと思います。
公共性および公共的空間を論じるためにアーレントはさまざまな関係する概念を提示して公共性論を構築していますが、ここでは説明のため、アーレントを中心とした戦後~20世紀末までの公共性概念を大胆に簡略化した図にしてみましょう(上図、左上)。アーレントは全ての人が自由に行為ができ、またお互いが分かり合える空間を公共的空間と呼び、それを公共性と捉えます。ここではそれによってできる公共圏を「大きな公共圏」と呼びます。一方、社会にはマイノリティと呼ばれる人たち(近年で言えばLGBTがそれに該当します)もいて、そういう人たちは「対抗的な公共圏(これはアーレントではなくナンシー・フレイザーによる概念)」を形成し、大きな公共圏への参入が認められるよう社会運動を行います。そのようにして「大きな公共圏」は全ての人をカバーできるような、より大きな公共圏となりアーレントの理想に近づいていく、これが戦後の公共性概念の枠組みと考えられます。
その後、理想として掲げた公共性だけですべての人にとっての公共圏を作ることは難しいと考える人たちが現れます。人によっては突然知らない人と分かり合うなんて不可能だったりしますし、知らない人の前で自由に行為し発言しようとも思い通りにできない人のほうが多いでしょう。そのため、斎藤純一を始めとした論者により親密圏の重要性が説かれるようになります(上図、左上)。親密圏は家族や地域社会など小規模で顔の見える範囲での人間関係を指し、いわば「大きな公共性」に至る前のクッションのような役割と考えられています。ここまでが我々CAPから見た既往の公共性論のかなりザックリとした概要となっています。
一方、我々CAPも「現われの空間」で表現されるようなアーレントの理想とする公共性、つまり全ての人がお互いを分かり合えることを理想とする公共性を目指しています。しかし我々の思い描く公共圏には「大きい公共圏」は存在しません。すべての公共圏は「小さな公共圏=オルタナティブ・パブリックネス(AP)」でしかなく、家族も国も大学のサークルもSNS上のつながりも、あるいは対抗的公共圏としてみなされるコミュニティも、大きさや仕様の違いはあれど等しくAPであると考えます(上図左下)。また、各人は複数・多数のAPに所属しており、そのまとまりが個人のアイデンティティとなるとしています(上図、右下)。
例えば、筆者は建築設計をしながら、大学で研究をしつつ家族もいます。twitterやfacebook、InstagramといったSNS でもそれぞれ別の人間関係があります。他にはテニス観戦も趣味なので、実際にあったことはなくてもテニスが趣味な人とは潜在的に、あるいは間接的に共有する社会があります。設計分野・大学・家族・SNS・趣味はどれもAPであり、筆者はそれぞれに別個の人間関係(ここでは会ったことがなくても潜在的に関係性のある人たちも含めて人間関係としています)を持っています。さらにどのAPにいるかによって自分の表現の仕方も変わります。家族に対しての筆者は穏やかなのに対し、建築設計分野での筆者はすこし怖かったりと、共通点はあれど違ったふるまいをします。他にも大学というAPではまた違うでしょうし、SNS上でもさらにまた異なっているでしょう。平野啓一郎の「分人」という概念におけるアイデンティティのとらえ方にも類似性があります。
このように我々CAPの公共性概念ではオルタナティブ・パブリックネス(AP)という無数の小さな公共圏によって構造化します。なぜわざわざそんなことをするかというと、一つは「大きな公共圏」という一つの中心的なまとまりを想像することに違和感を覚えたからです。どんな公共圏にも必ず疎外されてしまう人たちは発生してしまいます。とても残念なことですが、それはその公共圏の運営のされ方で決まった来るものであり、避けがたいことであると考えています。そこで我々は、すべての公共圏が何かしらの形で不完全な公共圏(=privative publics)なのであれば、不完全さを個性と捉え、それを重ね合わせ補い合うことでアーレントの理想に近づくべきなのではと考えました。大学という公共圏でもし筆者が上手く分かり合えない人がいたとしても、SNS上ではお互いを理解し合えるかもしれないし、コミュニケーションの方法が多様化した現代では事実そのような社会になりつつあると考えています(下図)。
そういったAPの中に各企業が担保する公共性もありえるはずで、そういった公共性を「企業の公共性」として不完全な公共性(privative publicness)、言い換えれば個性的な公共性としてデザインするというのがCAPの活動になります。
※出典など、今後こちらのテキストは積極的に加筆修正を行っていきます。
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MACAP代表 西倉美祝
ウェブサイト : https://www.macap.net/
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