女子野球が人生の軸になるまで②

約20年前は女子硬式野球部がある高校は全国で5校
その1校の埼玉栄女子硬式野球部に出逢えたのは、中学時代に所属していた
軟式野球部の先生が女子硬式野球の大会が近くでやっていると新聞の切り抜きを見せてくれたのがきっかけ。

実際、当時は女子が野球をすることは珍しかった。
だから、正直なんで女子が野球やんの?みたいな偏見もあったり
男子野球部に溶け込める空気じゃない現実もあった。
でも野球が好きだから頑張れた。

その姿を見て、応援してくれていた先生が
高校に行ったらソフトボールに転向しようと考えていた中
野球を諦めなくていい選択肢を知ることになる情報をくれた。

すぐに両親に連れて行ってもらい
前回の記事に書いたように、純粋に「楽しそう!!!」と思い
絶対に埼玉栄高校に行って野球をやるんだ!という明確な目標ができたから
苦しい状況にも負けず、野球を続けることができた。
中学時代の野球部の先生への感謝の気持ちは今も忘れたことはない。


そして念願の埼玉栄高校女子野球部に入部
そこで、女子野球で強くなることだけでなく
女子野球の普及発展を主体的に考え、実行する3年間を過ごした

グラウンドを自分たちでつくる
部室にするプレハブを自分たちで運んでくる
バッティングゲージを自分たちでつくる
大会を自分たちでつくる
これを埼玉栄高校の監督と一緒になってやった

その監督の言葉
【君たちが野球を一生懸命続けていれば必ず見てくれる人がいる】
この言葉が自分の人生の軸を女子野球にしたのは
間違いない。
この言葉を信じ、歩み続ける中でたくさんの女子野球の歴史を見てきた。

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