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とりとめのない文章

ママ友との散歩してきた朝。
人との会話と言うのは、本音を言うと面倒くさいな、と思ってしまうことが多い。気を遣うし、無意識に気に障ることを言ってしまうのではないかとハラハラしてしまう。
けれど話してみると、会話が自分を癒してくれることもあったりする。

でもやはり気を遣うのは神経を使うため疲れるので、子供の習い事の送迎ではなるべく他の親御さんに会わないよう建物の外で行ってらっしゃいしたりしている。

数年前までは子供が外遊びしている時などは自分も公園で見ていなければならなかった。あれって苦痛だったりする。同時に情報収集にもなる。
他のママさんも居合わせたりするので、礼儀として話し始める。すると近所のことや学校のこと、町の次の催しについてなど色々と話すのであの頃の自分は結構周りのことに詳しかった。それで内心実は少しだけ得意な気分になっていたりした。
今はもう外遊びに付き添う必要はなくなり、子供だけで行かせている。
そうすると必然と外ママの枠から外れる。
子供たちがまだ小さいママたちにさらに小さな子供たちを連れたママたちが新しく加わり、また新しいママさんサークルみたいなものが誕生する。

付き添いがなくなったのはとても嬉しいけれど、情報網もなくなったのでそれはちょびっと残念だった。もう前のような世間通ではなくなった。
でもあの頃にまた戻りたいかと思うと、ノーサンキューである。
何かをなくして、かわりに何かを得る。

最近ひしひしと実感するのが、人は人の助けなしでは進めないってことだ。
私はあまり多くの人を知っているわけではない。
広く浅く付き合うのが苦手だ。
人と話すときも一対一の対話が一番落ち着く。
その相手だけに集中できるからだ。
私の周りにいてくれる人たちが、今も自分をサポートしてくれる。
ひと昔前までは、一人でなんでもできると大きな勘違いをしていた。
手を差し伸べてくれた人たちに心から感謝していなかった気がする。
ありがとうと口では言っていたけれど、今ほどに実は感謝などしていなかった。
若い頃はもしかしたら、人や家族に助けてもらう機会がたくさんありすぎて、それが当たり前だと思っていたのかな。
今は違う、気がする。
サポートしてくれる人たちがいるからこそ、前に進めているような気がするんだ。いなかったら、途方に暮れてしまうような感覚がある。

今日は何を書こうかわからなかったので、とりとめなく思いついたことを書いた。深い意味はない。

ただ感謝日記として、周りにいてくれる人たちに感謝、感謝。
それだけだ。

今日は月曜日。
今週も頑張っていきましょう。
おやすみなさい。


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