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なぜ私たちが「まちだ里山農の会」を創設したのか? - 発起人編

むかしのデータを引っ張り出しての投稿で長文となりますが、この節目の年に一度振り返るのも良しとしての投稿です。
投稿者の思い違いや記憶の欠如、***があり、完全に正確ではないかもしれません。それでは、振り返ってみます。


町田市の農業

町田市は、高度経済成長期以降において東京のベッドタウンとして急激に都市化が進み、宅地開発により人口が急増し、大消費地として発展を遂げ、現在の人口は43万人を超える。
名前の通り、町→街/田→里山が見事に混在する近郊都市である。
町田市の農業の特徴として 生産地と消費地との距離が近い都市農業であり、農業者は市民や区民に良質な農産物や植木・花卉を供給してきた。
しかしながら、近年は農業者の高齢化と後継者難とともに、担い手不足により遊休農地(特に非農家所有)が増加する一方でまた相続等により 農地面積は減少している。
加えて、多摩ニュータウン町田地区開発の頓挫で当時の公団が買い上げた農地や山林の放置でさらに状況が悪化した。
- 第4次町田市農業振興計画より 一部引用

モニター研修

さて、話は2009年にさかのぼる。
2009年10月10日(土) 
町田市小野路町万松寺谷戸の一角、新たに造成された町田市研修農場に、多数の応募者から選抜された精鋭8名(善良な一般市民)が呆然と立ち尽くしていた。
里山の何もない荒くれた広い土地に、ビニールハウスが一張りだけの農地と思しき場所だった。

呆然と一人たたずむ

正式な農業研修は2010年4月開講であるが、予行演習を兼ね、本番さながらのモニター研修のスタートであった。ところがその土地は見てくれは更地だが、造成時のガラや石等が多く残り、その除去に屯田兵さながら、多くの時間を費やすこととなった。
水たまりはあったが水場は無い。建築現場用の仮設トイレはあったが、掃除当番がもれなくついてきた。
しかし、この経験がのちの会創設時に役立つとはメンバー全員夢にも思っていいなかった。

それでも野菜は育った。

農業研修

2010年4月に正式開講、一期生のスタートメンバーは13名となった。
市を挙げての新規事業の記念すべきスタートに当たり、市長をはじめ近隣農家、運営サポートスタッフ(たがやす)、市役所職員、JAの幹部の皆さん、メディアの方々等多くの人が参加してセレモニーが行われた。

東京新聞

研修は近隣の専業農家の講師による鍬の使い方の実技指導でスタートし、土づくり/播種/育苗/防除/管理/収穫/販売までを2年間しっかりと学び、農業経営の知識を得ることが出来、大きな財産となった。


初めての夏野菜栽培

グループ結成

時は流れて、2年間の研修の終了が見えてきたころ、研修終了後もこの素敵な仲間たちと農業を続けたいという意見がまとまり、2011年11月にさてこれからどうすベェーと話し合った。
農家の後継者である一期生の仲間の畑の一角を援農という形で耕作しようと話し合い、10名が参加意思を表明した。
現役~リタイア組、幅広い年齢層と異なる職種が参集するハイブリットグループの誕生である。

農地バンク

準備でわさわさしている時、ミラクルが起きた。
2011年に、農業経営基盤強化促進法に基づく農地のあっせん事業(農地利用集積円滑化事業)がスタートし、遊休農地の解消・里山の保全が図られることになった。いわゆる「農地バンク」が町田で我々の研修終了時期に合わせてスタートすることになった。主目的は農業ボランティア育成だったが、一気に新規就農への道が目の前に現れたのである。
研修農場の修了生が農業の担い手として市に登録、その登録者が農地バンクを借り入れる権利を得られることになった。早速、担い手登録し、農地バンクの申し込みを行った。

専業農家→認定農業者→担い手登録者の優先序列最下層であったが、結果として、2012年4月に3か所の圃場を借り受けることが認められて決定した。
が、資材や機材を購入する資金が無いため、年会費と設備購入負担金として70,000円を徴収し運用することにしたが、収入も見込めない中で、考えると大きな投資であった。

それでも、ここまで発展し、地域連携/地域貢献活動/里山風景の保全/地産地消の一役を担っていることを思うと今は大満足である。そして何より、「楽しい農業」を気の合う仲間たちと一緒にできる喜びは何事にも代えがたい。創設メンバー(農業研修場一期生)10名中8名が、現在もバリバリの現役で作業に従事しているという現状が継続の源かもしれない。

初めの一歩

2010年3月29日 ブログ開設

活動の記録と会員への周知を目的にブログを開設したが、2024年3月をもって12年間の幕を閉じ、DX推進のためこの「note」に引っ越した。
「継続は力なり」とはよく言ったもので、欠かさず記録した12年は財産だ。

2010年4月1日 第一次農地バンク借り入れ圃場決定


1.小野路万松寺谷戸果樹園 1,219㎡ + ミニ水田 22.5㎡

2.野津田綾部原耕作放棄地 1,817㎡
栗の老木が数十本点在し、この開墾が記念すべき最初の大作業となった。

3.野津田綾部原遊休農地 570m2

2010年4月7日 組織名称決定


年度末にグループ名を公募した。
とにかく皆やる気満々で、驚くべき48がノミネートされた。
(青字は既存団体名、黒太字は最終投票決戦)
そして決選投票の結果、「里山農の会(読みは "..のうのかい")」と「町田みのり倶楽部」が同点で1位となり、その時の参加者の数が偶数だったため、再度投票してもまた同点になる可能性があるので、折衷案として「農」を"みのり"と読ませさらに町田をひらがなにするという案が提案され「まちだ里山農(みのり)の会」となり、現在に至っている。

いよいよ本格始動だが・・・・・・
次回 「まちだ里山農の会」 沿革編に続く

髭男子

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