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自分の嫌なところが似ている人が嫌い

ここ三日間ずっとスマホのゲームをして過ごしている。普段全くゲームをやらないけど、突然スイッチが入ってやりたくなった。最近、ストレスが増えて、何かに夢中になりたかった。でも、ゲームにハマってる自分が好きじゃないから、そろそろ断ち切ろうと思う。  


本題に移る。

私の性格について。

私は昔、超適当だった。今も適当なところは潜在的にあるけど表に出さないように努力はしている。

なぜ適当だったか。

それはわたしの家族を見ればわかると思う。わたしの親は適当な性格。途中でだめだなと思ったことは、すぐに諦める。それと周りに流されて、自分が何が好きなのかもあまりわかってない。

そんな親に育てられて、自分も適当に生きてきた。適当家族の中では一番気を使ってた方だと思うけど、気を使うと自分ばかり真面目にやって損をしている気分になった。

でも、適当な自分は外では通用しないことがわかった。雑な人は周りから白い目で見られる。周りとうまくいかなくなる。傷つきやすいのに適当な自分がいた。そんな適当な自分を直そうと努力してきた。今では昔より遥かに気をつけて生きている。


昨日、ようやく年末年始休暇に入ったので、そんな家族と久しぶりに会ってきた。

会う時に感じる感情は毎年ほぼ同じだ。

正直、嬉しいとか感じない。やることないし一応帰ってみるかって思うくらい。尊敬してない娘。尊敬されてない親。

私は家族に対して愛情とか尊敬をなかなか感じることができない。

なぜなのか、それは言葉にはうまくできなかった。

でも、今日改めて思った。

適当さが尊敬できないんだなと。

今日親が祖母の年賀状作りを手伝っていて、間違えてモノクロで印刷してしまった時に行った言葉。

「モノクロの部分を色鉛筆で塗ればいい。」

もったいないのはわかるけど、人に渡すものなのに、

喪中はがきみたいなの送ることになる。

そういう人は人間関係においても適当。

自分が友達少ない理由もよくわかってない。それと、数少ない友達に対しても気遣いできてないし、そもそも友達も似たような人たち。







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