歴史から見る"愛とは何か?"

この記事は、ハンムラビ法典や、ハンムラビ法典の影響受けたユダヤ教やキリスト教ついて少し掘り下げ、愛とは何かというお話をしていきます。

「目には目を歯には歯を」の本当の意味

二発殴られたらあなたは何発殴り返したいですか?
私は1000000000000000発殴り返したいです!

人間は基本的に一発殴られたら二発、二発殴られたら四発、つまり倍やり返したくなるという動物的本能があると言われています。
人間は、昔流行った某ドラマのように、やられたらやり返す!!!倍返しだっ!!ってしたくなるってことですね。

つまり、本能の思うままに倍返しを繰り返していくと、どちらかの部族が絶滅するまで殺戮を繰り返してしまうことになります。
「目には目を歯には歯を」で有名な、メソポタミア文明で生まれたハンムラビ法典は、それを防ぐための規範でした。
目をやられたら目をやり返しておっけ〜的なニュアンスで解釈されがちですが
目やられたら目までにしとけよってことなのです。

「目には目を歯には歯を」を引き継いだユダヤ教

この同罪刑法の考えはユダヤ教の旧約聖書に引き継がれました。
さらに、モーセによって細やかな社会的規範や道徳的規範が付け加えられ、厳しい罰も増えました。
例えば、不倫したらイスラエルから追放。


石打刑といって、受刑者の身体を地面に埋め、首から上だけが出るようにして周囲から村人全員で石を投げ当てて殺害します。これに参加しないと村八分にされてしまうので全員参加です。
受刑者は顔の肉が引き裂かれ、骨が砕かれ、頭蓋骨に穴が空いて脳に損傷を受けるまで石を投げられます。
ちなみにこれはユダヤ教から分岐したイスラム教でも行われているらしく、現在(2018現在)でもイラン、アフガニスタン、サウジアラビアでは、シャリーアに基づく憲法や刑法を定めて姦通罪などに対して石打刑をしているらしいです。


ユダヤ思想の行き詰まり

そのユダヤ教の根本方針そのものに立ち向かったのがイエスでした。
あるユダヤ人がエルサレムから旅に出た途中で強盗に襲われ身ぐるみ剥がれ、半死半生となって道端に倒れていました。そこにユダヤ教の司祭や律法学者が通り過ぎましたが、彼らは非常に細やかな戒律に縛られているため、汚れていたこの人に触れることができず、助けることができませんでした。
このユダヤ人を助けてあげたのは彼らから下層民と嫌味嫌われていたサマリア人でした。
このように、ユダヤの戒律や律法では人を救えない、儀礼や規範ばかり縛られている人間は現実では何もできないとイエスは批判していました。
また、イエスはマタイによる福音書第5章で応報主義と同罪刑法を明確に否定しています。
代わりにイエスは、誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとするものには、上着をもとらせなさい。誰かが千歩いくように強要するなら、一緒に二千歩行きなさい。求めるものには与えなさい。あなたから借りようとするものに、背を向けてはならない。と言っています。
赦しの愛ってやつですね。
このように、戒律や立法で人を縛りつけようとするユダヤ思想の行き詰まりを、イエスは愛の思想によって打破しようとしたという解釈がされていました。

感想

愛だけ聞くと、恋愛とか異性愛とかLOVEとかを連想しがちだけど、
また一味違う愛を知れて面白かったな。

読んだ本

愛の論理学
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