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13.がんになって良かったこと8選 がんから始める開き直り入門

こんばんは、肺がんサバイバーのminoriです。
今回はキャンサーギフトのお話。がんになって良かったこと8選です。

…いや、勿論病気にはならない方がいいに決まってるけど、なったものは仕方がない。それに私自身、大きなマイナスと同時にプラスを感じています。

今更ですが私はAYA世代。29歳という一つの節目に罹患したので、がんとは関係ない気づきもあるかもしれません。そこは温かい目で見守ってやってください。

<AYA世代とは>Adolescent and Young Adultの頭文字をとったもの。主にライフイベントの多い15〜39才までのがんの罹患者を指す。


【ギフト①】死ぬのが怖くなくなった

痛いのは嫌です。
苦しいのも嫌です。
ここで人生が終わってしまうのもなんか勿体なくて嫌です。

どういうことかと言うと、これまで私が恐れていた死は、死そのものよりもその直前の動揺と絶望感に押し潰される感覚だったんだと思います。
負の感情に完全支配されるのが怖かったってことですね。

で、結果はご覧の通り。早計ではありましたが、死を意識するとどうやら私はこんな感じになるみたいです。なるほどー。

また同じように宣告されたとしてもリアクションは薄そう。だってもう見たもん、それ。知ってる知ってる。すでに転移もしちゃったし、なんか醒めちゃいました。


【ギフト②】病気に関する行政サービスに詳しくなった

これまで存在すら知らないくらいだったのに、自分事となった途端やたら詳しくなるという…。人間のげんきんな本能にはホント驚かされます。

今なら誰か身内に相談されてもある程度なら答えられそう。
手続き面倒だよー、とか。


【ギフト③】将来の不安がなくなった

多くの人が抱える将来の不安の中には、厄介な病気にかかってしまうことも含まれていると思います。
そういった意味では、私は将来の不安の一つをクリアー出来ていることになりますね。

①に話にも関連していますが、こうした不安は起きていないうちが一番恐ろしくて、実際起きてみるとなんてことなかったりします。
だって、どうにも出来ないから。
焦っても気を静めても状況は大して変わらない。出来ることがあったとしても、まずはその不自由さを受け入れなければ何も始まりません。

…と、簡単に言いましたが、うろたえる人がいても仕方がないと思います。私がそうだったから。

ところで、将来って大体何歳くらいのことなんでしょ?
60歳くらい? えー、私そんな長生きできるかな? それだけ生きられるなら最早それだけでいいような気がしてきましたよ。


【ギフト④】必要なものの整理ができた

あとどれくらい生きていられるだろうかとなったときに、「あれ要らないこれ要る」と猛スピードで頭の中が整理されていきました。

こうなったらいいかもなぁ程度に思っていたことはほぼゴミ取りネット行きです。時間がないんだもの。結果、自分にとって本当に必要な願望だけが搾り出され、ノイズが格段に減っていきました。スッキリ。

…なのですが、新薬の服用を始めるようになって「意外と長く生きられるのでは?」と考えたときに、ギュッと絞った願望だけでは物足りないような気がしてきました。
かといって、実現させたいことが浮かぶわけでもありません。あのときあらゆる可能性をペイッとしたことの弊害が、今ここに来て起きています。いや困りました。


【ギフト⑤】ものの見方が変わった


30歳で天寿を全うする人を、以前なら「まだ若いのに…」と思っていましたが、今は普通のことのように感じます。むしろ60歳も70歳も生きるそっちの方が可笑しいのでは? そう考えると、この世界は奇妙な人達で溢れかえっていることになる。

あまりにも例えが悪いのでここで一旦終わって、まあこんなふうに死を意識したことでものの見方や考え方が面白い方に変わりました。
これは創作や空想が好きな私にとってとても嬉しいギフトです。
想像力一つで世界が違って見える。こんな良いことはありませんよ。

【ギフト⑥】決断が早くなった

もとからその傾向はありましたが、時間の有限さを身に染みて感じたことで前よりも決断を下すのが早くなりました。
悩んでいる時間が勿体ない! それに真剣に悩んでも必ず何か取りこぼしているし、悩むのもほどほどにしてなるべくすぐ行動に移すようになりました。

…と言えば聞こえはいいですが、実際はせっかちがよりせっかちになっただけです。
でも、それの何が悪いのかわかりません。

【ギフト⑦】他人の目を気にしなくなった

文明社会で生きるにはある程度必要だとは思いますが、がんになってからはあまり気にならなくなりました。

というのも先ほど上げた記事でも書いていますが、自分の人生を振り返るとき他人の目は全くと言っていいほど入って来ないからです。考えることリストにも上ってきません。真っ先に淘汰されます。よくてお葬式に誰が来るのかなー程度。

それと同時に他人からの評価もあまり気にならなくなりました。
理由は単純。待てないから。悪い評価受けても構ってらんない。ここでもまたせっかちに拍車がかかってます。

【ギフト⑧】常識にとらわれなくなった

というより「常識がわからなくなった」が正解ですね。

上に上げた諸々のギフトにより、感覚のズレみたいなものが生じています。
がんで死――短い生を意識するようになって、人生のどんな行為も肯定的に見れるようになり、その結果常識的な感覚がわからなくなってうっかり失言とかしてそうです。

けど、30手前で肺が片っぽ取れちゃった人が常識を語ってもねぇ。

今のもまさにそうですね。誰かが気に触ったとしても何が悪いのかわかりません。
まあこれはあまり褒められたことではありませんが。

そういえば、これまで理性や道徳心が身体のどこにあるのか真剣に考えたこともありませんでしたが、案外全摘した左肺にあったのかもしれませんね。



またまたお久しぶりの投稿になりました。


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