ドラマティックだけが感動じゃない
セッションはいつも
しみじみと感動的です。
でもそれは決して、セッションが成功したという意味ではありません。
その日のセッションのなりゆきは、クライアントご本人が抱えているトラウマの大きさ、深刻さ、切実さ、痛さ、苦しさによるし、今どのプロセスにあるかにもよります。私とクライアントさんの関係性にもよるでしょう。当日のコンディションももちろん左右します。
わかりやすく「今日はトラウマ経験をひとつ乗り越えたね!」というセッションもあれば、ほとんど何も起きないセッションもあります。
だからといって、乗り越えたセッションだけが感動的で、何も起きないセッションは感動的でないかというと、そんなことはありません。
わかりやすい何かが起きたかどうかにかかわらず、
セッションはいつも
しみじみと感動的なのです。
トラウマに取り組もうとするとき、クライアントさんご本人の中では少なからず、葛藤や対立が生まれます。
単純な対立ではありません。いろいろな感情や体験が重なりあって、とても複雑です。まるで葛と藤のつるの絡み合うように。まさに葛藤ですね。
そうした葛藤や対立を外に出すまいとする抵抗もあります。抵抗はからだ全体をぎゅっとこわばらせ、息苦しさや消化不良などとして感じられることもあります。
弱い自分を見せたくない。見せたところで助けてもらえるとは思っていない。強い恐れと深い悲しみ、恥、孤独、絶望。
あるいは、葛藤も対立も抵抗も感じないために、からだの感覚がほとんどない人もいます。セッションで何をしても何を聞いても、何も出てこないこともあります。
こうした葛藤や対立、抵抗は、ときにセッションを難しくします。プロセスが進むことを阻み、停滞させます。表面的にみるとほとんど何も起きていないようなセッションになることもあります。
そんなセッションでも
やっぱり
しみじみと感動的です。
渦巻くような葛藤や対立を抱え
抵抗でこわばったからだで
あるいは
自分のものという実感のないからだで
それでも今ここにいる。
なんとか自分の傷を癒そうと
今日ここに来てくださった。
ZOOMの画面で顔を見せてくださった。
そのことだけでも
しみじみと感動します。
セッションの感動は、ドラマティックな起承転結にあるのではなく、クライアントさんの存在そのものにある。
人ってすごいなぁと、心から思います。
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