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トラウマワークは続けることが力になります

トラウマワークが一度きりで終わることはほとんどありません。

トラウマというのは、たとえひとつだけに見えていたとしても、実は大きなものから小さなものまでいろいろなトラウマがあって、それらが煮込みすぎたシチューのだんごのようにくっついている状態であることがほとんどです。

たとえば、小学校のときに理不尽なことで一方的に先生にひどく叱られて硬直してしまったというトラウマの場合、

できごとは「先生に叱られた」というひとつだけのことであったとしても

誰も助けてくれなかった
誰にも信じてもらえなかった
みんなの前で恥ずかしかった
友達からそのことをからかわれた
びっくりした
怖かった
恥ずかしかった
なのに逃げられなかった

泣きながら帰った
親も味方になってくれなかった
それどころかおまえが悪いとさらに叱られた
翌日も先生から避けられた

というように
よくよく見ていくと、ひとつのできごとからいくつものトラウマを抱えることがあるのです。

そのすべてを、一度のセッションで処理することはできません。

いっぺんにやろうとすると、雪崩のようにトラウマが覆いかぶさってきて、圧倒され、のみこまれてしまうからです。

しかも、生育歴の中で親との関係にトラウマがある場合には、ひとつだけのできごと、ということはまずありえません。

日々の生活の中で、くり返しくり返し傷つく。安心できる日常がほとんどない。夜寝るときでさえ何かに怯えなければならないような毎日が、何年も何年も続くのです。

たったひとつのできごとでさえ大小たくさんのトラウマを抱えるのに、それが毎日のことで、何年も続くとしたらー。

たった一度のセッションでは、とてもすべてやりきれませんよね。



継続するセッションのあいだには、もちろん良いときもありますが、体調を少し崩したり、深いトラウマが浮上してきて苦しい思いをすることもあります。

それでも続けようとセッションにいらっしゃるクライアントさんには尊敬しかありません。

そうなったのは決してご本人のせいではないのに、なんとかして人生をその手に取り戻そうとする姿は、どんなドラマより感動的なものです。生きる力を感じます。

その生きる力は、はじめは小さく頼りなく、とてもかすかなものです。

でも命の輝きがたしかに燃えている。
そう感じます。

生きる力、その輝きを信じてセッションを続けていると、あるとき「前とは確実に違っている」と実感できるときがきます。クライアントさんご本人にも、私にも、明らかにわかるようになります。

そこまでくれば、もう大丈夫。


トラウマワークは、続けることが大事です。一度きりですべて終えることはほとんどありません。

続けてみなければ出会えない景色があります。

でも、セラピストがむりやりに続けさせることはできません。ご本人が自分のために、自分の人生を取り戻すために、トラウマに取り組み続ける意思こそが、生きる力を燃やす燃料になります。

クライアントさんと次にお会いできるたびに、うれしく、ありがたく、感動しています。セラピストとして精一杯の力を出したい、と思います。生きる力にもっと薪をくべられるセラピストでいたいと思います。

クライアントさんの生きようとする力、人生を取り戻そうとする力は、セラピストに力を与えるものでもあるのです。