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孤独な闘いにならないように

セッションを受けに来る方の中には
トラウマについて
すでにいろいろな情報をお持ちの方も
いらっしゃいます。

この頃はトラウマについての書籍も多く
SNSで体験談を語る方もあるので
知りたいと思えば
たくさんの情報が得られます。

専門的に学ばなくても
本を読んだり
SNSをフォローしたりして得られた情報を
自分自身に当てはめてみて
育った家庭の歪みや
親が自分にしたことの意味を
理解することはできます。

それこそ年単位で
自分の生きづらさについて考え
トラウマについて学んできたわけです。



そうしたクライアントさんが
1回か2回のセッションの後に

「こんな感覚、今までなかった」と
不思議そうに
ときには戸惑うように
つぶやくように
おっしゃることがあります。

本やSNSでは決して得られなかった
「新しい感覚」です。

何年も何年も
トラウマについての理解を深めてきたのに
たった1、2回のセッションで
こんなにも違うのかと
驚かれる方もあります。

もちろん
その1、2回ですべてのトラウマが
昇華されるわけではありませんが

「新しい感覚」は
最初の1回目、2回目のセッションでも
感じていただけることが多いです。



なぜそんなことが起きるかというと

セラピストとしての私の腕がいいとか
SEというトラウマ療法が万能だとか
そういうことではなく

自分ひとりでがんばることには限界がある

ということなんです。

瞑想なりマインドフルネスなり
あるいは呼吸法であったり、

自律神経を整えて
トラウマによる反応を穏やかにするための
セルフケアはたくさんあります。

トラウマについての専門的な情報は
書籍やエッセイ漫画のほかにも
研究論文もインターネットで無料で読めるもので
おおよそのことは理解できます。

だけどやっぱりそれは
「ひとりきりの闘い」です。

ひとりでがんばっているんです。

SNSで体験談を読むこともできるし
自助会的につながることもできますが
お互いに傷ついていれば
助け合うことが難しい場合もあります。

どうしたって
ひとりでトラウマに向き合っているわけです。

たったひとりきりの闘い。



ひとりきりの闘い、

それは
幼い頃と同じですよね。

ずっとひとりでがんばってきたんです。
ひとりで乗り越えてきた。
痛みも悲しみも寂しさも、
小さなその胸におさめてきた。

親はその痛みに気づいてくれなかった。
気づいていても知らないふりをした。
知ろうともしてくれなかった。
だから
ずっとひとりきりで
とんでもない難局を切り抜けてきたはずです。

大人になって
そろそろこの生きづらさをなんとかしたい
からだに閉じ込められたトラウマを開放したい
とやっと思えたけれど

やっぱり
ひとりきりでがんばっている。

「ひとりきりの孤独な闘い」という意味で
それは
幼い頃と同じ、
痛みを抱えた日々と同じなんです。

ひとりきりで闘ってきた人に必要なのは
テクニックや理論ではなく

その闘いを見ていてくれる誰かの存在
です。

「ひとりきりじゃない」という実感が
新しい感覚につなげてくれるのです。



トラウマについて
情報収集したり理解したりすることは
決して無駄ではありません。

そうした土台があったからこそ
1回目、2回目のセッションで
「新しい感覚」を感じることができた
ということもあるでしょうし

「新しい感覚」によって
今まで読んできた本の内容が
より深く、腹落ちしたように感じる
ということもあります。

ひとりきりの闘いも無駄ではない
だけれども
ひとりではどうしようもない
深いトラウマを解放するには
「闘いを見守る誰かの存在」
こそが必要だということです。



ひとりきりの闘いを続けるあなたに
心からの敬意をおくります。

苦しさや生きづらさの中で
それでもなんとかして
自分の人生をその手に取り戻そうと
闘ってきたこと、

素晴らしいと思っています。
生きる力の強さを感じます。

でもこれからは
その生きる力を
トラウマとの闘いではなく
あなたの人生の可能性に使いましょう。

そのために
「闘いを見守り続ける誰か」の
力を借りましょう。

トラウマセラピストは
闘いを見守ることのプロフェッショナルです。



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