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地獄のオフィス勤め(雇う側が)

 コーヒーで絵を描いている自分が
 絵を描いていくなかで
 いろいろ体験したことを書いています


いつも丁寧語でノートを書いてたのだけど
前回から言い切り口調にしてみたら
そっちの方が
書きやすいし
なんとなく読みやすい気がするので
そんな感じで続けてみようかなと
思っています

そんな前回の記事
沖縄
(↓詳しくはこちら)

その沖縄から帰ってきて

バーもやめていたし
やることがなくなった

「絵を描いて生きていくぞ」
と、決めてはいたものの

どうしようと思っていたところで

知り合いの人が
アパレルの会社に誘ってくれた

「やることないなら、ウチこい
家賃も払わないかんやろ?」

願ってもない

「うちで平日働いて
夜とか、土日に
絵かいたらええやん」

ありがたすぎる話だった

・・ありがたすぎる話だったのだけど

これが
本っっ当ーーに大変だった。。

誰がってね
もう雇った側が!!!
(本当にもうしわけない)

もちろん仕事を
適当にやろうと思っていたわけじゃない

まわりも優しかったし
役にも立ちたかったし
精一杯やりたいとおもっていた

それなのに

まったく
まったく
何をしてもダメだった

じつは

試用期間の2週間で
これはダメだと思って
入社をしないと伝えに行ったのだけど

ダメ人間の行く末を
気にかけてくれた社長が

「やめてどうするん?
もう少し頑張ってみたら・・」

と、引き止めてくれた

たしかに、いくところも
やるところもない

「分かりました。がんばります」

そして悪夢のオフィスライフがはじまった
(しつこいようですが雇う側にとって・・)

なにしろ学生時代
履歴書が1枚もマトモに書き上げられなくて
就職活動を諦めた
わたし

もうね
コピー機をはじめ
なんか強力な静電気を
発してるんじゃないかというくらい
私が触ると
電化製品は必ずトラブルを起こすし

要領がわるくて
作業はどんだけやっても終わらなかった

「絶対に間違えないで」といわれた
2通の請求書を
きっちり逆に送り

わざとなの?悪意があるの??
と思われても仕方がないくらい
とにかく
とにかく何をやらせてもダメだった

この脳みそには藁がつまってるのか?!
簡単なことほど
ビックリするくらいミスをした

そういえば自分は
母にADHDの本をそっと差し出された人間、、

きっと人一倍努力をしないと
追いつけないんだ

なんとか仕事を終わらせようと
連日
かなり頻繁に徹夜して
朝までオフィスで作業をしたけど
やっぱり
シャクトリムシほども進めなかった

オフィスにいるだけで
息が上がって
頭がおかしくなりそうだった

思い返すと
そういえば幼稚園のころから
わたしは四角い教室が
ものすごく苦手な子供だったのだ

大人になったら
四角い箱に
毎日行かなくていい人に
なりたいって思っていた

しまった!!
ここ!四角い箱だー!!

手に触れるマウスを
毎日,毎日
野球ボールみたいに
投げてしまいたくて
右手がプルプルしていた

そんなときに
いつも考えていたのは

「絵が描きたい
 絵が描きたい
 絵が描きたい・・」

もしかしたら
ブツブツ呟いていたかもしれない

いま思うと
だいぶやばい

そして
なによりキツかったのが

「仕事の後と、土日祝日」
では
絵が描けなかったことだった

うまくいえないけど

どうしても、うまいこと
切り替えができないのだった

なんていうか
思うように
絵を描き始めるのに
どうしても3日くらいかかる

たとえていうと平日に
重たい石のハンドルを
ゴロゴロと左側にまわしているのを

こんどは右側にまわさないと描けないのに

そのハンドルが重すぎて
なかなか逆がわにまわらない
みたいな感じ

やっと切り替えて
こっから
ぶっ続けで描くぞー!という
テンションになったころに
いつも
月曜日の朝が来る


やっと描けると思ったのに!
こっからなのに!

こっから1週間くらい
ずーっと止まらずに描けそうなのに!!

なんていうか
いっかい人間をやめないと描けないところ

毎朝10時に
人間の自分を
オフィスに持っていかなきゃいけなくて

キャンバスに
後ろ髪を引かれて
出かける朝がつらかった

そして
また次の週末には
リセットされたハンドルを
右巻きに戻すのに
おなじくらいの
時間と体力をつかう

毎週、毎週
これを,繰り返しているうちに
見る間に
めちゃくちゃ疲弊していった

何より不思議だったのが
きっちり給料をもらっていて
自分のものは何も買わず
ご飯はコンビニのおにぎりだけだったのに
見る間にお金がなくなっていった

こんなに恵まれすぎるくらい
恵まれている環境なのに

ずっと、どうやって
折り合いをつけていったらいいか
わからなくて

どんどん体調が悪くなっていった


そんな時に
描きあげた絵が
一枚あって

着物を着ているのは友達です

赤坂にある日本料理のお店に
頼んでいただいた絵

これもまた西麻布のバーで
紹介してもらったのだけど
NYの大使館でお料理を作ってた方らしい
(すごい)

海外のお客様にも対応できる
創作和食のお店なので
ちょっと面白い絵が欲しくて
お願いしたいと言ってくれた

お店のオープンの日が決まっていたから
絵を納める日も決まっている

そんな感じでオフィスワークに
すったもんだしていた中で
描きあげたのだけど

この絵を描きあげた瞬間だけ

胸がスーーーーーーっとした


ブレブレだった景色には
その瞬間だけ
静かにピントがあった感じ


ああ、やっぱり私は
絵が描きたいんだ
と思った

そのお店は
赤坂にある白坂というお店です

この美人は友人です
偶然ですが
飾ってみたら影が鶴の形になってた


このお店はなんと後に
ミシュランの星をとられてますよ
さすが

この絵はのちに
ものすごい出会いをつくってくれるのだけど
これはまたちょっと後の話

そんなこんなで
ヨロヨロになりながら
オフィス勤めをしていたわけなんだけど

この期間に
後のいろんな方向性を
劇的に変える出来事に
出会うことになる

そのことは
すごく長くなるから
次に分けようかな

でも、ちょっとだけ会社で良かったことは

海外出張に行かせてもらえたこと
仕事できないなりに
すごく好きだったなぁ

プライドが高すぎて
1週間一言も口を聞いてくれない
イタリア人とかが
毎朝めげずに挨拶し続けてたら
最後に仲良くしてくれたりとか

なんかいろいろ思い出があるよ

あとすごく仕事ができる上に
すごい優しい人と
一緒に働けたこと

もう神かな?!
っていうくらい
今でも尊敬しています

本当にお世話になりました

ちなみに
この会社には
その後
わたしなんかの1億倍
仕事のできる人が入ることになって

会社の業績もうなぎのぼりに
なることになるのだけど

彼女の仕事ぶりをみて
わたし
心の底から
辞めて良かったなぁーって思った

あんな風に出来るようになる日は
百万回生まれ変わっても無理だもの

自分が開けた穴に
完璧にやって来た人を見て
なんていうか
自分が抜けたからこそ
もっと上手くやれる人が
ちゃんと来てくれる
世の中っていいなぁって

そうやって
いろいろと丸く治るのは
数年後のことではあるのですが

そんなふうに
思ったりすることになるのです




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